片瀬教会に集う信徒の紹介です!

信徒の皆様からご自身の体験した事や、洗礼を受けるきっかけなどのお話を
こちらにてご紹介しております。

母として、娘として導かれ K.H

初めて片瀬教会を訪れた頃の私は、頭の中が空っぽで不安で、例えるなら大海に取り残されたオールのない小舟のような感じでした。

前の年の初夏に母を、秋に父を亡くし、医療従事者であるにも関わらず何もしてやれなかった後悔と、自分の不甲斐なさに心が折れてしまっていました。悲しみに負け、目の前にいる大事な子供のことも見失ってしまっていたと思います。テレビ等で、大阪に大雨が降っていると聞くと、『おかあさん、大丈夫?』と受話器に手が伸び、『あ、もう誰もいないんやった。』と泣き『だれか…わたしはどこにいけばいいの?私が代わりに死ねばよかったのに』そんな気持ちでした。でも、このままではいけないという気持ちが私の心に少しは残っていたのか、以前、尊敬する先生が『教会は救いと癒しをくださる。』と話されていたことを思い出しました。私と先生との出会いは、20年前、まだ私が大阪にいた頃の病院長先生で、新人の私は大変お世話になりました。『病気は時を選ばへん。人の都合なんか構わず、しんどい時ほど罹(かか)るもんや。お金は後でいい。まずは治そうな。』と笑顔で話す優しい医師でした。そんな先生を頼って、病院はとても人気があり、私は先生のおかげで時間外の救急も、どんな患者さんにでも対応することが出来るようになったと思います。

そして、昨年1月、私は地図を見ながら自宅から一番近い片瀬教会へ向かいました。お御堂に座ってひとしきり泣いた後、掲示してあった聖書講座のチラシを見て『学びたい』と思い、マリオ神父様にお取り次ぎをして頂きました。突然伺ったのにも関わらず、マリオ神父様は優しいお顔で話を聞いてくださいました。—マリオ神父様本当にありがとうございました—その日から、私の中でマリオ神父様は藤沢のお父様のような存在となりました。

そして、1年間聖書講座を受け、今年4月5日に洗礼を授かることとなりました。

1年前に比べ、私の心にも暖かい風が吹くようになり、たくさんの方々と出会えたことに感謝しています。そしてこれからも、どうか私が道を外れないよう、大事なものを見失うことがないようお導き下さい。いつも何事にもありがとうの気持ちを忘れないように。といつも心に唱え、今年2年目の聖書講座を迎えました。皆様ありがとうございます。神に感謝を。

洗礼への道のり K.K

私が、初めてキリスト教と出会ったのは、娘がカトリックの幼稚園に入園した時でした。娘が小学生になると、神父様などから聖書に関する事や教育に関するお話を聞く会に参加しました。無神論者の私がなぜ参加したのだろう? まったく興味のない聖書の話を聞けたのは何でだろう? 今でもさっぱりわかりません。

生きていれば辛いと思う事は多々ありますが、尊敬していた父が27年前に他界した時は本当に辛かった。それからの私は父に少しでも近づきたい一心で、

20年近くをworkaholicでした。 しかし、そんな生活から疲れ果て、毎晩のようにお酒を飲んで量も増えていき、若い頃に乗っていた大型バイク熱も復活! バイクはやんちゃな乗り方で、救急車のお世話になったのは一度ですが、「もうだめだ・・あの世行き~」と死んでもおかしくない場面は数知れず。このような生活を続けてよく生きていたものです。

その生活の報いからか、4年前に体調を崩して仕事が思うように進まなくなった時から、すべてがボロボロと崩れ去り「私は無能で価値がない人間、生きている必要がない、もうどうでもいい」と自暴自棄になっていきました。でも不思議なもので、ある時「このままでは本当に価値のないダメ人間で終わる、それは怖い、自分に正直に」という気持ちが湧いてきました。そして、誰かに導かれたかのように片瀬教会にたどりつきました。そこでマリオ神父様にお会いして、自分の気持ちを聞いていただくうちに、なぜか心が安らいでいき、いつのまにか聖書入門講座に参加しようという気持ちになっていました。

昨年から講座に参加したものの、しばらくは、神を信じることやイエズス様の復活を信じること、愛することについて、なかなか自分のこととして受け入れられず、神を信じたい気持ちと、わからない気持ちとの葛藤がありました。 しかし不思議なもので「自分の気持ちを縛っているのは、自分の心の縄で、その縄をといて素直に向き合う気持ちになろう」と感じるようになり、ようやく心の闇の世界から小さな光が見えてきました。これはマリオ神父様から学ばせていただいた「イ言じること」の大切さだと感謝しています。

洗礼を受けた今も、間違いや迷う事は多々ありますが、神様はすべての人に、どんな時でも寄り添い、導き続けてくださっていると信じています。これからもイエズス様への信仰を通して神様の愛のうちに生きる喜びを深めていきたいと思います。

最後に、私の人生は不思議なことが多すぎるかもしれません。

キリストの愛に魅かれて F.U

 一昨年10月、最愛の妹が59歳の若さで急逝しました。私の家族は、結婚式も葬儀もすべて日本神道のしきたりで行っていましたから、当然のことながら妹の葬儀もその方式で厳かに行いました。妹の棺の前で、例によって玉串奉奠をして、かしわ手を打ちました。 神道には、死後の世界を教える詳細な教義がないことから、私はこの日が妹との永遠の別れとなってしまったことを嘆き悲しみました。
 そのような折、カトリック信者である夫と、自分たちの死後や葬儀のことについて話し合う機会がありました。夫は自分たち夫婦には永遠の別れなどはないと主張し、熱っぽく復活と永遠の生命の話をしました。私は、処女懐胎はもとよりキリストの復活などまったく荒唐無稽な話だと思っていたので強く反論しました。
 片瀬教会のミサに通い始めたころから、夫がとても明るく穏やかになったことを不思議に思っていましたから、この教会ではどんなことを教えているのだろうかと少しばかり興味を覚えたことがあります。夫の勧めでマリオ神父様の聖書講座へ出席するようになったのはこの頃のことです。私は読書好きでしたから、この機会に世界のベストセラーである聖書を読んでみようかという、まるでカルチャーセンターのキリスト教セミナーに出席するような軽い気分で講座に参加しました。
 こんな調子でしたから、まさか自分が、勉強を始めてわずか1年数か月後に洗礼を授かりカトリック信者になろうなどとは夢にも思っていませんでした。
マリオ神父様の日々のお話はとても楽しく私の予想をはるかに超えていました。マリオ神父様のお言葉を通して、聖書に書かれている真実と深いキリストの愛について学びました。それらのことは、勉強の日を重ねるごとに私の心の中に強い感動となって響いてきました。荒んだ現在の世相の中で最も足りないものは愛だと思っていましたから、その愛の在り方と真正面から向き合い実践する宗教など、キリスト教以外どこを探しても見当たらないことに気づき、このキリストの限りない愛に少しずつ魅かれていきました。
 マリオ神父様をはじめ、教会に集う多くの方々の素晴らしい生き方に触れ、その愛の形を見たとき、キリストの傑刑と復活も真の神の愛であり、私たち人間の救いの源泉であることを素直に信ずることができるようになったのです。
 私は小学生の頃、教会の日曜学校でイエス様のことを学んだことをふと思い出しました。何もかもすっかり忘れてしまっていたはずなのに、そのころロずさんでいたあの歌が私のロからほとばしり出てきました。
  「子供の友はどなた、どなた、子供を守るイエス様よ、ホザナと歌え、ホザナと歌え、子供を守るイエス様よ。」歌いながら子供の頃に感じたイエス様へのいとおしい想いが蘇ってきて胸が熱くなりました。
 自らを真っ直ぐにして、神の栄光の道を歩んでいくことがこれからの私にとってとても大事なことであると気づかされ、キリストとともに、夫とともに、教会の皆様方のご指導を仰ぎつつ、道を逸れることなく進んでいきたいと今強く心に願っています。

キリストの愛に導かれて T.I

我が家は妻と二人の娘は早く洗礼を受けました。私はカトリックには全く関心なく、妻も私に洗礼を強要することはありませんでした。私は本棚にある聖書も手にすることもなく、開いたこともありませんでした。今、思い起こせば、妻が私にカトリックの話をしても関心を示さないのをわかっていてそれ以上何も言わず、会社人間だった自分の夫がいつの日か必ず理解してくれる日が来ることを信じていたと思います。私はそのような人間でした。

2011年7月1日暑い日でした。妻は私の右手を握り、左手には娘がかけたロザリオを胸に、だんだん意識が薄れていく中で、その顔は穏やかな微笑みさえ浮かべているような、苦しむことなく安らかな顔をして神さまに召されて、午前0時26分、眠るように帰天いたしました。

私は妻がイエス・キリスト様を信仰していた、そのことが人は死を前にして恐れずあんなに安らかに迎えられることができるキリスト教とはいったいなんだろう。神さまの力か、イエス・キリスト様の愛か、私はその時からキリスト教をよく理解し知ることが、妻の安らかに死を迎えた時の心の内を見ることができるのではないかと思いました。妻の病床に2度もマリオ神父様が来て下さり、病者の秘跡の祈りをしてくださいました。
後3ヶ月と宣告され(妻は知りません)、残された3ヶ月を穏やかな病床生活で過ごすことができたのも、病者の秘跡の祈りによってキリスト様の愛、そして祈りをささげてくださったマリオ神父様の愛の恵みをいただいたからではないかと、そしてもう一つ片瀬教会に於いてマリオ神父様司式により、美しい聖歌の歌声のなか、厳かに粛々と進められる葬儀に私は今までにない感動を覚えました。

この3つのできごとによって、まったくカトリックに無関心だった人間、私をその道に一歩踏み出させたのです。しかし、カトリックを知るためにはどこから進んでよいのか解りません。まず、教会に行くことだと考えました。80余年の人生で一歩も教会に足を踏み入れたことがない私は多少の不安がありましたが、幸いクリスチャンの娘がいましたし、皆さんの心温かいお言葉により、安心してごミサに通うようになり、その一週間が心穏やかに過ごせるようになってきました。これも神さまの愛の恵みの力なのでしょうか。そして昨年1月、勧められてマリオ神父様の聖書講座を受けることにしました。

「キリスト教の聖典」を学ぶことによって神さまの言葉の豊かな恵みを知ることができるのではないかと、一年間勉強しました。まだまだ本当の聖書の心がつかめません。 しかし自分の座右の書として読み続ける事により、だんだんわかってくるのではないでしょうか。
こうした一連のことがあり、昨年の6月妻の1年目の追悼ミサを行っていただいたとき、私は誰に相談することなく自分で受洗することを心に決め、妻に報告し決意しました。

今、神に召され天国にいる妻が、「パパ、やっぱり私と同じ道を歩いてくれますね、ありがとう」と言っている声がきこえてくるような気がします。

洗礼式を迎えて S.S

洗礼式の日の朝、いささかの不安と重い気分で家を出た。
しかしそれらは見事に払拭された。何という素晴らしさだろう。言葉などという安易なものでは表現できない感動に包まれた私がいた。
何かに包み込めれているような温かさは何だったんだろう。幸せいっぱいで信仰の道に導いて下さった方々に大声で叫びたい衝動に駆られた。「ありがとう!」
私は生まれ変わって神の導きと助けを信じること、祈りと思索により信仰を深めること。マリオ神父様のもとで聖書の勉強をさせて頂いて、私なりの拙い結論に達した。聖書から学んだことは、人間の心の温かさ、思いやり、素直さ、そして厳しさ、おそれ等々。聖書は心で読むものであることを痛感した。
共同体の皆さまと共に歩んでいけますように。マリオ神父様有難うございました。彼のグローバルな考え方が好きです。
人は死ぬ時、それまでくっついていた名誉も肩書も学歴も財産もすべて無になってしまって、残っているのは素のままの自分だけ、すべてを取り払った時に残っているのは、心そして自分の生き方、影法師のように後ろについて来る1本の道だけ。私は今迄ずいぶん色々なことを模索し悲しんだり苦しんだり時には喜びもあった。しかし戦争の時代に子供だった私には、食べるものがなくて空腹で死にそうだった思いは今でも忘れられない。だから現在戦火の中で生きている難民の人達のことを思うと胸が痛くなる。私には何が出来るだろうか。私が「ありがとう」と叫んでいる間にも彼らは何人亡くなっていくのだろうか。子供たちの目の美しさが忘れられない。自分のしあわせの中で、こんなことをふと思った。

受洗にあたって K.O

「また教会?」この一言が私の人生を変えるきっかけとなったのかもしれない。
家内がカトリック片瀬教会のお世話になっていて丁度マドンナ会の活動とかで、それこそ毎日のように教会へ通っていた頃であった。
私は定年退職後、毎日が日曜日…テニス、ゴルフ、麻雀、ギターそしてショッピングの為の徘徊と動き回っていたが、冒頭の言葉で家内を送り出していた時、きっと私が冷ややかな目で見ていたと思ったのだろう。
ある日「キリスト教のイロハも理解しないで云々言って欲しくないわ!」と家内から言われてしまった。
何しろ、私の実家は一応仏教ではあるが法事の時と墓参りくらいしか縁もなく、私も人生66年、自分では精神的に強い人物で仕事、スポーツなどで神頼みなんて必要ないと思って生きてきた。そんな中、家内の言葉が気になって昨年の一月からのマリオ神父様による聖書入門講座を受講する決心をした。もともと家内と一緒に片瀬教会のイベントなどには顔を出させて頂いていたのでマリオ神父様はじめ多くの方々とは面識があり、人見知り?な私でも片瀬教会は親近感のある場所であった。
講座の初日、最初に信仰の心構えとして「理屈だけでは信仰は得られない」「信じようと思う気持ちが大切」「勉強だけでは絶対に信仰を得ることはできない」そして「祈る心が大切」とマリオ神父様からのお話しを伺い初回は不安の中で講座に参加したが帰りには自分でも解らない何かすがすがしさを感じたことが思い出される。
毎週水曜日にきちんと参加できるだろうか?内容についていけるだろうか?との不安もあったが、あっという間の一年間であった。二年目を迎え、旧約聖書の講座を続けているが、この春に家内に相談せずにマリオ神父様に受洗したい旨お話したところ、一瞬びっくりされた表情であったのが意外であった。おそらく、まだ受洗の決心はついていないのだろうと思われたのかもしれない。
帰宅して家内に話したところ、家内もびっくりしてとても喜んでくれた。家内も教会の仲間から期待されていたらしく、プレッシャーから解放されたようだった。
結婚して今年で42年を迎えるが、やはり夫婦が同じ神を愛し信じることはこのうえない喜びであり幸せに感じる。
いまだキリスト教のほんの入口に立たせて頂いたばかりであり、特に人生の中で神や仏に頼るという気持ちを持ったことのない自分が「神を信じられますか?」「キリストの復活を信じることができますか?」という大きな大切なテーマでは一抹の不安があるのも事実ですがこれからの残された人生を神と共に生きてゆきたいと心から思っている次第です。
おわりに、今回の受洗にあたってはマリオ神父様のユーモアあふれる暖かい人柄とカトリック片瀬教会で暖かく接して頂いた代父の方をはじめとした沢山の皆様の存在が私の大きな支えとなったことに感謝したい。
14年前に家内と行ったアッシジ。何の宗教心も持たなかった私が、かの地で言葉では言い表わせない感動を覚えたのも、今思えば神様のお導きであったのではないかと思う。
これからがスタート。迷い出た一匹の子羊を皆様是非暖かく見守り導いて頂きたい。
神に感謝。マリオ神父様に感謝。仲間の皆様に感謝。

怠りの罪とタレントの意味 M.S

2012年2月から1年間マリオ神父様の聖書入門講座を受け、翌年2013年の3月に洗礼を受け、昨年の5月に堅信の秘跡を受けました。毎週、日曜の朝7時のミサに通うことが週課になりました。
私がキリスト教に初めて本格的に触れたのは、東京のミッション系の大学に通っている時でした。必修だった宗教学の講義の中で、内村鑑三の「世はいかにしてキリスト信徒となりしか」という本を読まされ、その内容に深く共感を覚えました。
私の両親は、ある新興宗教の信者で、私は中学・高校一貫の全寮制の学校に入れられました。そこで、その宗教は、人生をいかに芸術していきるかということが教義の主体になっており、こころのあり方が病気をつくっていること等を教えていました。それなりに生きていく上で役立つ考え方や行動の仕方を学びましたが、教団の組織運営のやり方に疑問をもつようになり、高校を卒業した後、私はその教団から離れていました。
内村鑑三の本を読んで、信仰は、個人で神と向き合えばいいのだと思うようになりました。ドストエフスキー等の小説が好きで、唯心論的実存主義という哲学にも興味を持ち、大學の先生からロシアの哲学者ベルジャーエフの著作を借りて読んだりしていました。
大學を卒業後、自動車会社に就職し、翌年、結婚、2人の男の子を授かりました。妻はクリスチャンで、息子2人にも幼児洗礼を受けさせましたが、私は、その頃は自分が洗礼を受けようという気持ちにはなれませんでした。信仰に、洗礼という儀式は必要ないという、傲慢不遜な考えをもっていたのです。
企業勤めが長くなるうち、企業の利益追求、生産性や効率の向上等を常に優先して考えるような癖が身につき、神と向い合うことなど忘れていきました。会社の仕事で、イギリスとフランスにも駐在する経験を持たせていただき、その間いくつか欧州の有名なキリスト教寺院を訪れたりしましたが、それは偉大な文化遺産を鑑賞するためでした。
そんな私が、またキリスト教に戻ってきたのは、3年半前に長男を失ったことが、きっかけでした。息子の葬儀の時、マリオ神父様のお世話になり、その暖かい人柄に励まされました。息子の死によって、私の心の半分は一緒に死んでしまっていました。教会や聖書入門講座に通うようになったのは、息子への追悼の気持ちと自分の心の穴を埋めるためですが、受洗し、3年たって。死んでいた自分の心も復活させていただけたのではないかと思って、感謝しています。
私は、人生では、正しい行いをすべきだと思っていました。そう思って生きていれば罪を犯すことはないと信じていました。しかしミサのお祈りの中で罪は、「思い、言葉、行い、怠り」によって犯すものだと知りました。怠惰な自分は怠りによる罪をどれくらい犯していたことか。
言うべきことを言わず、してあげるべきことをしないのは罪なのです。タレントという才能という意味を持つことばもともとはイスラエルの通貨で聖書から出た言葉だと知りました。神から与えられたタレントを磨き、高め、社会に役立てないのもまた罪なのです。最近、私はこのように思い、日々お祈りを捧げながら、毎日を送っています。

『信仰』とは『天国への憧れ』 M.Y 

私は幼児洗礼で、しかも幼年期は日常生活の近くに神父様やシスター方が沢山おられ、日々の遊び場の中に聖堂もあり日曜日のミサでは当然のように侍者をしていましたのでそれらが当たり前だと思っていました。小学生の頃、昔は外の道路にも聖体行列を行っていましたので、侍者服を着た私を見た友人から『赤いスカート着ていただろ!』とからかわれた事もあり、私が皆と違う環境に居る少数派である事を実感していました。

しかし、私にとっては余りにもカトリック教会の空気が当たり前の日常であった為、深くその意義を考えてはいませんでしたが、高校生の頃に人生や社会、世界の構図について深く考えていた時期に、祖父の終油の秘跡と受洗があり、その死に立ち会い感銘を受けました。父方の家族で祖父だけ最後まで受洗をためらっていました。祖父は当時としては外国語も堪能で石油関係の仕事をしていた為、海外にも精通していて比較的先進的な考え方を持っていた祖父では有りましたが、受洗をためらっていた理由が代々受け継いだ仏式のお墓を自分が受洗する事で継げなくなると悩んでいたようです。

個人主義、核家族構成の現代の私たちにとってはそんな事で?と思われますが、明治生まれの祖父にとって、自分より家系の行く末を案じていたようでしたが、神父様との話もあり受洗後は心から安心して亡くなり、結果として新たにカトリック教会墓地に眠っています。

親族のカトリック信者へのきっかけは父が初めて受洗した事から始まり叔母、叔父、祖母、祖父と順次受洗されて行きましたが、その父が亡くなる時も天国へ憧れるように穏やかに旅立って行った事が印象的でした。

また、『信仰』と言う言葉で思い出す事としては、母方の祖母の祈りの姿を思い出します。古い家で仏壇が有り、その隣の部屋の床の間に十字架とマリヤ像が有りました。祖母は毎朝、仏壇に向かい一心不乱にお経を唱え、終わると隣の床の間に座り直し、今度は主の祈りと天使祝詞(アベマリヤの祈り)を本当に熱心に祈っていた姿が忘れられません。宗教の教義から見るとおかしいかも知れませんが、信仰とは学問では無く、純粋に信じ切る事と思います。

私の信仰とは、突き詰めると『天国への憧れ』という事になります。確かに『生きる喜び』も有りますが、実は『死ねる喜び』もある事に気が付いている人は少ないのでは無いでしょうか?

平穏と希望  E.M

昨年1月より聖書入門講座を受け、今年4月に受洗致しました。当初は洗礼まで考えていた訳ではなく、これからの生き方で何か指針になるものを探し、週に一度考える時間を持つのも良いかな位の気持ちでした。

昨年12月のクリスマスミサに与り、それ以来勉強会の前に御聖堂に入り、自分なりに短い黙想の時を持つと、不思議なほど平穏な気持ちになりました。その後間もなく「洗礼を受けませんか」とお誘いを受け、マリオ神父様のお人柄に導かれるように洗礼、堅信と進んで参りました。「あなたが私を選んだのではない 私があなたを選んだのである」入信志願式でこの言葉を聴き、本当に神に導かれたのだと思いました。以前友人から「あなたは周囲の人に恵まれているのね」と言われたことがありました。その時は「あなたもその周囲の人の一人よ」と笑って終わりました。自分ではおかれている環境が日常であり、当然のこととして受け止めていましたが、今思えば何か難しい局面に当っても誰かが手を差し延べて助けて下さっていた気がします。その救いの手を導いて下さっていたのが神のお恵みであったのだと感じています。ロザリオを手に祈り、「許しを受けなければいけない事をしていないか」「身の廻りに起きた事で神の救いの手を忘れた時がなかったか」と黙想していると、とても穏やかな心の平安が拡がってきます。

洗礼を受けた日の帰途、奥様が亡くなられる時に「何故あんなに穏やかな顔で神の元に召されたのか不思議に思って教会に通い、洗礼を受けたのです」とおっしゃる方に声をかけて頂きました。9年前に病の告知を受け治療しましたが、3年前に再発し、お医者さまから「完治は考えないで、これからは共存を考えて下さい」と言われており、いつとは判らないものの、いつか来る日を漠然と考えていました。そのこともあり何か指針を求めて聖書入門講座に眼が止まったのかもしれません。マリオ神父様のその日が来ることが「神の元へ行ける希望」というお話を聞き、奥様の穏やかなお顔の意味が少しわかった気がします。

洗礼を受ける際も、代母さんは?洗礼名は?とすべてマリオ神父様に負んぶに抱っこ状態で迎い入れられ、教会の皆様にとても温かく気遣って頂き、心安らぐ刻に恵まれております。

まだ聖書の通読もできておらず、本当に初心者ですが、キリストにならい、聖人にならい、教会の皆様にならい、少しでも信仰を深め、より強く平安と希望を感じられる日々を迎えたいと思っています。「後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進みなさい」(フィリピ3.13)を心に、神のお導き、教会の皆様のお導きを祈りつつ一日一日を送って参ります。

神に感謝

洗礼を受けるまでの道のり  K.S.さん

全ては神様のお導きとお恵みによるものと、改めて思います。私達母子が4月20日、ご復活の日に洗礼を授かり、カトリック信者になれました事、しみじみかみしめております。
この世に生まれ、結婚までの私の、結婚後、出産前、出産後、そして震災に会いその後の人生、・・・。
人各々人生には様々な出来事や困難な時がございます。私自身はあまり困難とはとらえておりませんでしたが、一般的に困難と言えます事が多々ありました。私は、教育熱心な母の下、カトリック信者ではありませんでしたが、いつも聖書がそばにある環境で育ちました。困難と思える出来事が起きた時は常に自身に”世界にはもっともっと大変な人々が沢山います。そして決して明けない夜はなく、人のせいにせず、だれも恨まず、逃げずに自ら選択し、微笑みをもって過ごしましょう”と“そして全ての事は神様が私を強めて下さる為にお与えになった事”と考えるようにしておりました。
震災後、娘と二人で鎌倉に居住いたしました。夫は復興の為、仙台に残りました。
娘にも辛い思いをさせた日もございましたが娘も成長し、入園、その間も近隣の教会へと足を運んでおりました。
そして片瀬教会に電話しました。“母子で洗礼を受けたいのですが・・・”とお話し致しました。運命の出会いです。
はじめて足を運んだ時“はじめてですか?”と親切に信徒の方に声を掛けて頂き、聖書講座にも参加するようになりました。そこで出会った方と心を開いて様々な私自身の事を聞いていただき、心が楽になってゆきました。
勉強会の中やごミサでの神父様がイエス様(神様)に向かう姿勢やお話を通して、イエス様に惹かれてゆき、愛する気持ちが強くなってきました。この気持に合わせるように毎日曜日ごミサに与る事、それはわたしにとってかけがえのない時間、何をおいても大切な時間になってきました。人間の世界ではないイエス様にすべてをおまかせし、信者の方にお会いできたくさんの愛を頂き、とても救われるからです。そして自分の過去の事を抱え込み、思い込もうとしていた事、消化不良だった事、その事柄が神様の力で少しずつ自然に消化されていくのを実感しています。それは教会に足を運ぶ度に、涙が溢れて止まらない事が多々あるからです。もともと涙もろいという事もありますが (笑)。
神父様の優しいまなざしに触れ、涙と共に様々な思いがあふれ流れ出てゆく気が致しました。
あるごミサの時、皆の歌声がそろわずバラバラだった時、神父様が“声をそろえて”とおっしゃいました。私には“心をひとつにして”と聞こえたように思いました。皆で声をそろえ、心をひとつにいて祈る事ができた時、何とも言いようのない一体感と充実感、どこかスーッとした感じを強く感じました。
聖書を勉強し、様々な本を読み、もちろん「からし種」も大ファンです。益々イエス様の生き方、教えに感銘を受け共感し、求めてから自身の迷いも恐れも無くなりました。心強い支え、確固たる人生の軸ができたように思いました。信念を持ち生きてゆきたいという思いが一致したように思います。
神様は人に様々な人生をお与えになりました。強く素敵に楽しく美しく生きる為、このお恵みに感謝しています。とても幸せな事です。
イエス様がいらして、教会があり、神父様がいらして、祈りがあり、信者の皆様そして家族があります。洗礼に授かり、初めてイエス様の御身体と御血を頂戴した時、自分の中にイエス様がおられる、大切に生きましょうと深く感動しました。
人間である以上、いつも優しく強く穏やかである事は難しく、自らのコントロールに反省の日々ですが、私たちを愛して下さる神様のお導きにお任せし、素直に私自身が愛ある人として、皆様が幸せになるよう努めてまいりたいと思います。
私が大切に思い実行している事、それは継続する事です。仕事はもちろん趣味、子供の教育、そして大切な信仰も“休まず、焦らず、あきらめず”素直にまっすぐ続ける事です。これからは神様の愛のもと、続けてゆきます
神様からお授かりした子供が、社会の役に立てる人として成長できるよう、そして神様にお返しできるよう環境を整え見守ってゆきたいと思います。
最後にこの場をおかりして、洗礼を受けるまでの間、現在も私達家族を支えて下さる神様、神父様、教会の信者の皆様の慈悲あふれる愛に心から感謝とお礼を申し上げたく思います。いつも本当にありがとうございます。

洗礼を受けて思うこと  W.H

4月20日ご復活祭の日にマリオ・バラーロ神父様のお導きで洗礼を授けられ、
皆様の仲間に入れて頂く事が出来て、夢を見ているような嬉しい気持ちです。
頭に聖水を注がれた時には、思わず涙がこぼれました。
1951年10月に戦前から熱烈なカトリック信者であったローズメリー八重子と結婚以来63年間、
陰に陽にカトリックの恵まれた家庭環境下に過し、頭では絶対者の存在を認め
乍らどうしてイエス・キリストに結びつくのか、それはお釈迦様であっても同じではないかとの
疑問は解けませんでした。旧制第三高等学校入学以来、理性知性を通じた人間探究の生き方故、
理性では理解し難い奇跡を信じる事が出来ず信仰には程遠く、又我家は臨済宗妙心寺派の仏教徒であり
乍ら私個人は無神論者の域を出る事が出来ず、昨年暮のクリスマスまでまいりました。

京都広隆寺の弥勒菩薩像を見てもそれは信仰対象としてではなく美しい芸術作品としてしか見えなかったのです。
唯その間にもメリノール派のファーザー・マキュロップ様やスイスの神学博士の方等の
お話を聞いたりしてカトリック的環境には恵まれていたり、又クリスマスと復活祭の年に
二度だけは妻に連れられて教会に行き神父様から祝福を受ける等、所謂牛にひかれて善光寺参りの有様でした。
そんな環境下神父様から祝福を受けると何故か気持ちが落ち着き素直な気分になれました。

それでマリオ神父様から貴方は腰が悪く教会に来るのが難しいでしょうから、
私がお宅に伺ってお話しをしましょうかとのお言葉を頂いた時には、何の躊躇もなく有難うございますと
返事をいたしました。可故か神父様の前では素直になれる。我ながら不思議です。
それから週一回神父様から聖書のお話を聞いている内に何の抵抗感もなく、ごく自然な形で処女懐胎や
キリスト復活の奇跡を信じる事が出来る様になりました。理屈抜きの超飛躍です。説明がつきません。
妻の長年に亘る祈りのお蔭でしょう。私か初めて体験しました新しい感覚・・・これが信仰というものでしょうか。

私は90歳にして漸く神の道に辿り着く事が出来た様な気がします。歳こそいと高き所にいますが信仰はしもべです。
入口に立ったばかりの新入生です。 日々が祈りであり勉強です。受洗後皆様からおめでとうと祝福された後、
でもよく決断されましたねとの言葉を頂きましたが、私には勇気ある決断などはいりませんでした。
自然な神のお導きでした。神に感謝の一言です。

「いちじく桑の木」より再び  M.Sさん

十九の冬にプロテスタント教会で洗礼を受けました。時代背景としては、「プラハの春」から飛び火して延焼した全共闘・新左翼運動が社会を席巻したときで、その頃それに身を投じないのは、「権力の手先」でしかないという感覚です。じきに教会から飛び出し、或る左派の組織からのオルグに応じ、マルクス主義に傾倒していきます。
「貧困」を内面の問題としてのみ捉えることなどできない。構造的に抑圧されている「無辜(むこ)の民」は政治的・経済的に解放されなければ救われないという悲愴な使命感のもと、身も心も削って活動に参加していました。資金的にも人員的にも苦しい中、十年も経たぬうちに「弓折れ矢尽きる」思いで、そのグループから離脱しました。

心のリハビリを余儀なくされる中で、やはり自分の行動原理は聖書にあるとの確信を持ちます。事あることに頭に浮かぶのは「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。」や「狭い門からはいれ。」といった聖句でしたので。

それでも、しばらくは、目に見える教会に属していなくても、「単独者」として神に向き合っていればよいと考えていました。聖書はけっこう熱心に読んでいるし、一般のキリスト者にはその点では負けない、と。

そういえばまだ「新共同訳」では通読してないなと、また『創世記』から読み始めていた途上で、ただ「黙読」だけしている自分は「聖書」の読み方を誤っているのではないかと、或る日はっと気が付きます。「信仰」は内面化するだけではなく、表現されなければならない、それもひとりだけではなく、共同体のハーモニーとして「うたう」べきものではないかと、「教会」に戻りたいと強く願った瞬間です。

「信じる」ということは、あたまで何かを是(ぜ)であると認めることやこころのあり様・志向性のことだけを云うのではなく、心身の全てを傾けて生き、行動することなのだとだんだん思い始めたのです。ギリシア語の「ピスティス(信仰)」とは「忠誠」「誓い」という意味もあります。二十代の頃は福音書やパウロ書簡をあたまで理解しようとして、神学書を読みかじったりしていても、ほんとうには理解できていませんでした。

小学生の頃から愚鈍な私は母から「勉強でも何でも人の倍努力せよ」と言われていました。子どもの頃はそれができなかった。社会に出てから、ひとより優れたところなどひとつもないことを、そういう自分を、そのまま受け入れ、能力の足りないところは誠意で補うようにしてきました。いまは与えられた場所で、ひたむきに主イエスに従って生きていければいい、と祈念しています。

「World Youth Day 2013」に参加して  M.Yさん・M.Kさん

World Youth Day に参加して M.Y

私にとっては初めての参加となるブラジルでの世界青年大会(World Youth Day>以下WYD)は、出発前に思っていた以上に素晴らしい体験が出来ました。

最初にマリオ神父様から勧めていただき参加を決めた時、私はWYDが何をするどんな大会なのかよく理解していなかったので、準備会で今回の参加目的を聞かれた時も、上手く説明する事が出来ませんでした。ただ、世界中のキリスト教の信仰を持った若者が一箇所に集まるという事に興味があったという事と、偶々長い休みが取れたという事だけですが、それも神様のお導きだったのだと思います。

実際行ってみると、まず日本巡礼団の楽しい仲間達との出会いと分かち合い、そしてブラジルの方達の温かい歓迎、他国の若者達との交流、教皇様を間近に見る事ができ、そのミサに与れた事など、沢山のお恵を頂く事が出来ました。その中でも私にとって一番嬉しかった発見は、ミサ会場や道端、地下鉄の中など、様々な場所で出会うどこの国の誰かも知らない若者達と挨拶を交わし、ハグをして、歌ったり踊ったりしている内に、言葉は通じなくてもお互いに相手を信頼し、友愛を持っているという気持ちが自然と伝わった事や、閉会の教皇ミサでは約300万人もの人が、それぞれ隣の人と手を繋ぎ、皆一つになって主の祈りを唱えている姿に感動した事です。私はそれらの体験を通して、出会った全ての人の中にイエス様の愛を感じる事が出来ました。

WYDのテーマでもある「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」という言葉について、イエス様の弟子になる、宣教者になるってどんな事だろうと考えた時、今まで私は、司祭やシスターになる事だと考えていましたが、それだけではなく、人を思いやる事、心から愛する事、生きている事に喜び感謝する事など、自分の身近にあるささやかな、しかし決して忘れてはいけないお恵を他人と分かち合い、伝えていく事も宣教なのだと感じました。

これからは、今回のWYDでの経験をただのいい思い出にせず、きちんと自分と向き合って自分に出来る事を探し、私の信じるイエス様の愛を誰かに伝えていきたいと思います。

最後に、まだWYDに参加した事のない日本の若者の皆さんに、絶対一度は参加する事をお勧めしたいです。今回きっかけをくださったマリオ神父様、背中を押してくれた両親、応援してくださった片瀬教会の皆様、13日間お世話になった日本巡礼団の仲間達、陰ながらサポートしてくださった事務局の皆様、サンパウロでお世話になった日系ブラジル人のボランティアの皆様、リオでお世話になったボランティアの皆様、そして出会った全ての方々と神様に心から感謝しています。ありがとうございました。

World Youth Day に参加して M.K

7月19日から7月30日まで、ワールド・ユース・デー リオデジャネイロ大会に参加しました。

参加したきっかけは、タイのボランティア活動で知り合った友人がブラジル出身で、明るく、誰に対しても優しく、困っている人に、自然と声をかけるような人だったので、ブラジルがどんな所なのか興味を持ったからです。ちょうどその時に、神父様から大会のことを聞き、参加を決めました。

毎日使う寝袋が入った重さ12kgのバックパックを背負い、成田に集合しました。その時、私は、人見知りの性格のため、皆と仲良くなれるだろうかと心配していましたが日本巡礼団のメンバーは、心優しい人達で、すぐに打ち解けることができました。

1時30分就寝、6時起床というハードな毎日でしたが、疲れよりも、楽しさが上回る充実した毎日でした。大会では、世界中の青年と出会いました。コパカバーナ・ビーチでのミサでは、外国の青年達と手をつなぎ、お祈りをしたり、WYDのテーマソングを歌ったり、平和の挨拶を交わしました。平和の挨拶も、フレンドリーで、握手したり、ハグをしました。これは、仲良くなるために大変有効でした。

日本巡礼団では、3名の司教様方によるカテケージスが『希望への渇望、神への渇望』『キリストの弟子になる』『宣教者になる、「出発!」』をテーマに3日間にわたって行われ、自分の信仰やカトリック信者としての宣教について学びました。

私は、幼児洗礼で、学校もカトリックだったため、小さい頃からカトリックの勉強をしてきました。しかし、人間関係で傷つき、一時はカトリックが信じられなくなりました。自ら進んで信者になった訳ではないと思ったこともありました。しかし、巡礼団の勉強・分かち合いを通して、分かったことは、小さいときに学んだ教えは、自分の中にしっかりと入っている事です。カテキズムを学んでいる時に安心感を覚えました。また、WYDに参加したメンバーには、育ってきた環境が似ているのか大学や一般社会の友達とは違う、居心地の良さを感じました。

この旅で大変だったことは、日本と違って日本巡礼団にもスリの被害が出るなど治安が悪かったことです。 今回の巡礼で良かったことは、多くのカトリック信者の仲間と信仰・生きる目的・キリストを信じる意味を分かち合えたこと、パパ様(教皇様)が私達を必要としている使命を感じたことです。一生付き合っていきたいと思える友達にも出会い、カトリック教会の魅力を再発見しました。私の使命は、「小学校で学んだ良きサマリア人」のように今苦しんでいる人を助けに行くことだと感じました。リオの教会の神父様は、自ら厨房で、パンを焼き、温かいスープを作り、私達の帰りを待っていてくださいました。今回の旅の参加のきっかけとなったブラジルの人の心の温かさを改めて感じました。 WYDは、私にとって、信仰を取り戻す大きな力となりました。

最後に教皇フランシスコ様、同行してくださった郡山司教様・松浦司教様・浜口司教様、この旅に参加する機会を与えてくださった片瀬教会のマリオ神父様、片瀬教会の皆様方、横浜教区の宮内神父様をはじめ同行してくださった神父様方、事務局の皆様、一緒に旅をした日本巡礼団のメンバーに感謝いたします。

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* WYD大会日程 *

7月19日  成田空港集合  日本出発 N・Y乗り継ぎで、サンパウロまで(23h)
7月20日  朝サンパウロに到着。サンパウロでは日系ブラジル人の方々の温かい歓迎のおもてなしを受け、Mission Week閉会のミサに出る。その後、聖ゴンサロ教会で日系ブラジル人の方々と夕食を共にし、日本人移民の歴史のお話しを聞いた。
7月21日  日本巡礼団団結式。ゴンサロ教会で昼食交流会(劇や歌など日系ブラジル人の方と交流。) サンパウロ市内を観光・日系ブラジル移民資料館を見学。
7月22日  日伯司牧教会婦人会の手作りお弁当を持ってアパレシーダ巡礼、リオデジャネイロでWYD登録。
7月23日  WYD大会が始まる。登録をしてお揃いのバックパックや本などのグッズを貰い、コパカバーナビーチでの開会ミサやフェスティバルに参加。
7月24日  鹿児島教区郡山健次郎司教様のカテケージスがあり、グループごとで分かち合い、ミサに与る。午後、アジアの若者達と交流。
7月25日  大阪教区松浦悟郎司教様によるカテケージス、コパカバーナビーチにて教皇歓迎式典。
7月26日  東京教区浜口末男司教様のカテケージス グループごとでの分かち合い、ミサ。午後、松浦司教様の和解とゆるしについての講話を聞き、沈黙と個別のゆるしの秘跡をそれぞれが受けた。その後、コパカバーナビーチにて十字架の道行。
7月27日  コルコバード観光  コパカバーナビーチにて教皇様と共に前晩の祈り。コパカバーナビーチにて寝袋で野宿。
7月28日  派遣ミサ教皇フランシスコによる司式で行われ、お告げの祈りとそして次回の2016年WYD開催が、列聖が決まった福者ヨハネ・パウロ2世教皇ゆかりの町ポーランドのクラクフで行われるという事が発表され閉会した。
7月29日  振り返りと個別のゆるしの秘跡をし、グループごとでの分かち合いをして、3司教様から「青年への期待」のメッセージ一言ずつお話しをして頂き、ブラジル最後のミサに与った。
7月31日 成田空港着。

洗礼にあたって  K.Tさん

洗礼の秘跡に与る事ができた事、皆様には感謝の念に堪えません。
私がキリスト教に出会ったのは2年前の夏、藤沢北教会の合同祈祷会でした。誘われるまま参加した会で出会ったマリオ神父様は、カトリックとプロテスタントの確執や今後のキリスト教の進むべき道を実直に語られ、驚きと共に深い印象を受けたものの、踏み出すことはありませんでした。

その年の冬、妻が片瀬教会を訪れた時、私も感じる処があり同行し、一歩踏み込む気持ちで聖書講座にも参加しました。 聖書講座ですぐ感じたのは、信仰無しには聖書は理解できない事、キリスト教とは何かということでした。マリオ神父様の教えの基、ミサに参加し、キリスト教とはキリストに出会いを求める事、そしてキリストに出会うには、祈り、聖書、教会に加わる事、更に信仰は、聖体拝領を通してキリストと一致する事で生まれる物ではないかと思うようになりました。
そんな中で少しずつ洗礼を意識するようになり、自分のなかで洗礼の資格とは何か考え始めました。まだその時期には、使徒信条、神への愛、隣人への愛の理解、実践なくして洗礼の資格はなく、自分には縁遠いものと感じていました。今思えば汗顔の至りですが、自分への奢り、へりくだりの気持ちの欠如ゆえの考えでした。

自分の奢りとは、聖書もキリストへも対峙した形で接し、吸収できる事が自分にとって前進する前提と考えた事でした。中に入り、素直に自分を委ね、導くままに生きようとする気持があれば、信仰に踏み出していいと思えるようになったのは最近の事で、マリオ神父様に教えて頂きながら一年間聖書を学び、ミサに与った自分への神の導きだと感じています。
私は洗礼に与りキリスト者となる事ができました。しかし、未だ多くの迷い、疑問の中で生きています。こんな私ですが代父の方に迷ってもいい、迷いながらも歩めば神が導いて下さると言って頂けます。信仰の扉を開いて頂いたばかりの私には、神の導きと愛は感じられても代父の方の様に、神の慈しみの中で生きている実感には至っておりません。

 これからの歩みは、皆さんに支えていただきながら一歩一歩進んでいきたいと思います。そして主に信じることが出来るように助けてくださいと祈ってまいります。そうすればいつか本当のキリスト者になれると信じています。