ミニ教理

 ※しばらくの間、聖書に出てくる有名な人物を紹介する予定です。

マタイ、フィリッポ、バルトロマイ(ナタナエル)、タダイ(ユダ)、イスカリオテのユダ

29.マタイ、フィリッポ、バルトロマイ(ナタナエル)、タダイ(ユダ)、イスカリオテのユダ

十二人の使徒たちの紹介について、今回はまずマタイから始めます。
マタイ
マタイの名前は使徒たちのリストに出てきますが、その他では彼の回心はマタイの福音書(9.9~13)マルコ福音書(2.13~17)ルカ福音書(5.27~32)(マルコとルカではレビと呼ばれている)に出てきます。
福音書の作者と言われていますが、実際には作者は誰であるのか聖書学者たちは一致していません。マタイ福音書の大部分が書かれたのはキリスト信者であるユダヤ人から、そして西暦70年代に、つまりエルサレムの滅亡の後に書かれていると思われます。四つの福音書の中に一番ユダヤ的と言えるでしょう。マタイ福音書はマルコによる福音書の影響が大きいとみられています。
フィリッポ
ガリラヤのベトサイダの出身で直接にイエスから呼ばれました。彼はナタナエル(バルトロマイ)をイエスのところに連れてきました。またイエスがパンと魚を増やしたとき、イエスとちょっとした話をしました。ギリシャ人からイエスのところに連れて行くように頼まれ案内しました。またフィリッポはイエスに「御父を見せてください(ヨハネ14.8)」と願ったことが書かれています。彼の人生と働きについては何もわかりません。
バルトロマイ(ナタナエル)
彼についても少ししかわかりません。フィリッポの友達でしたが、イエスはバルトロマイに会った時「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」(ヨハネ1.47)とおっしゃいました。言い伝えによりますと、シリアで皮剥ぎの刑で殉教したようです。
タダイ(ユダ)
彼の名前は使徒たちのリストに出ているだけです。ルカ福音書には使徒たちのリストの中でタダイの代わりにユダと書いてあります。ヨハネ福音書にはユダはイエスに、「主よ、私たちにはご自分を表そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」(ヨハネ14.22)と言います。彼はアルメニアの最初のカトリコス(教会の長)でした。
イスカリオテのユダ
使徒たちのリストに書かれる時はいつも裏切り者と付け加えられます。彼が有名になったのは、30デナリオンでイエスを裏切ったこと、そののち後悔して自殺をしたことです。なぜ彼はイエスを裏切ったのか、いろいろな聖書学者は説明しようと試みましたが、確実なことは分かりません。ただ言えることは、イエスを裏切ったことよりも、ペトロのように自分の過ちを謙虚に認めてイエスのところに戻ることができなかったのが残念です。

ミニ教理2

生き方について(二)

10.生き方について(二)

先月、神を愛するとはどういうものであるか、モーゼの十戒の最初の三つの掟を参考にしました。つまり神を愛するなら、少なくとも神を信じ、尊敬し、神のために時間を取っておくということでした。
今回の掟、つまり“隣人を自分のように愛しなさい”という言葉は人間同士のもので、どんな人間にしても、すでに心に刻んであると思います。もう少し具体的に言えば、残った六つのモーゼの掟が参考になると思います。
説明をわかりやすくするために、順序を変えました。お許し下さい。

第四戒  父母を敬え
第五戒  殺してはならない
┌第九戒  他人の妻を望んではならない・・・ 望み
└第六戒  姦通してはならない  ・・・ 実行
第八戒  偽証してはならない
┌第十戒  他人のものをみだりに望んではならない ・・・ 望み
└第七戒  盗んではならない      ・・・ 実行

十戒は、残念ながら人間が全部破っていますので、そこから様々な不幸が生まれてくると思います。
神が望むように生きる為に、大きなが必要ですし、又は失敗を乗り越える為に、謙虚さ(過ちを認めること)と希望(がっかりしないこと)が必要なものですので、それを得るために、祈り求めることが大事ではないかと思います。

バックナンバー

20.物語と系図

旧約聖書の初めに創世記という本があり、その最初の11章にはいろいろな物語が紹介されています。その物語は子どもっぽく見えるのですが、人間が持っている様々な疑問に応えようとしていたのです。
たとえば宇宙と人間は何処から出てきたのかという疑問に応えて、創造の物が言おうとしていることは、神が宇宙万物であり、命そのものであることを教えています。
同じように、アダムとイヴの物語をもって、なぜ良い方である神にも関わらず悪、苦しみ、罪などがあるか、その原因は神にあるのではなく人間の不完全さによって生じているのだと考えるように教えようとしています。
昔はこのような物語は、歴史的な出来事として受け入れていましたが、研究と科学の進歩によって、その物語は歴史を語るのではなく、その意味だけが聖書の教えだとわかってきました。つまりもっと正確に旧約聖書の中身を理解するようになりました。

又その創世記の最初の11章の中に、色々な系図が書いてあり、その系図によってユダヤ人達は、自分達の民族が最初の人間につながっていることを強調したかったようです

19.聖書 その2  歴史か 神話か

旧約聖書は、大きく分けたら次の三つのグループの本で成り立っています。歴史書、教訓の書、預言書です。

聖書は昔の本であり、異なる文化と感覚によって書かれたので、私たち現代人にとって分かりにくい、または誤解しやすい本だと思います。読んで正しく理解するには、予備知識が必要だと思います。今回、予備知識に関する二つの点についてだけ申し上げたいと思います。

一つは歴史感の違いです。

一つの例として、出エジプト記に出てくる数々のモーゼの不思議なしるしを読みますと、私たちは本当にその通りかどうか、疑問が湧いてきます。現代人の歴史観は正確に出来事を確かめて、互いの関連を示しながら伝えることでしょう。しかしユダヤ人の歴史観は宗教的な体験を子孫に伝えることでした。つまり、神の助けがなければ、エジプトから脱出し、長い間砂漠で生き、先祖の国に入ることができたのは神のおかげなので、その体験を子孫に伝えることが歴史であり、正確に様々な出来事を伝えることとは違うのです。

もう一つの違いは、ユダヤ人がほとんど来世に対する信仰がなかったことです。

人は良いことをすれば、この世で神から祝福を受け、悪い事ならこの世で罰を受けると考えていました。しかし現実は度々違うので、先祖か子孫の責任にしてしますことがよくあります。例えばソロモンは多神教に走ったにも関わらず、自分の国は栄えたし、ずっと平和を保つことができたのです。聖書には、それはダビデ(ソロモンの父)のおかげだったと紹介されています。そして罰として、ソロモンの死後その国は分裂してしまうのです。つまり歴史を自分たちの信念に合わせるのです。私たちにとっておかしな歴史と思うかもしれませんが、ユダヤ人にとってそれが真実だったのです。何故なら、神が人の生き方によって祝福と罰を受けるのは、動かせない真実だと思っていたからです。

18.聖書 その1 聖書は何の本?

説明しやすくするために、まず旧約聖書、新約聖書を分けた方がよいと思います。

まず、旧約聖書は一度に一人の人から作られた本ではありません。

旧約聖書はいくつかの本によって成り立ち、大勢の人が手を加えたのです。一番古い個所は、紀元前1000年頃に書かれているし、最後の本は紀元前50年頃でした。一言でいえば旧約聖書には、ユダヤ人の文化そのものが含まれています。歴史、宗教、道徳などが書いてあります。キリスト教にとって、このユダヤ人の聖書の意味は、イエス キリストの到来を紹介してくださったことにあるのです。特に唯一で、創造主である神の信仰と、救い主への思想はキリストと密接に結びついています。最初キリスト信者は、別の宗教を作ったとは思いませんでした。逆にユダヤ人が待ち望んだ救い主は、イエス様だと思ったので、自分たちこそ本物のユダヤ教だと思っていました。

次に新約聖書は、イエス様が亡くなられてから、弟子たちは生きた言葉でイエス様のことを伝えたのですが、次第にその教えを文字にする必要性を感じたので、四つの福音書が出来上がったのです。その上使徒たちの手紙も加えて、新約聖書が出来上がったのです。

参照

旧約聖書はカトリック教会にとっては46書によって成り立っています。プロテスタントの諸教会にとっては39書だけになっています。新約聖書についてプロテスタントもカトリックも4つの福音書と21の手紙と2つの本、つまり27書によって出来上がっています。

17.永遠の命

信仰宣言の終わりに「永遠の命を信じます」と書いてあります。人間は神の愛から出て、この地上で愛に生き、最後に神の愛のうちに戻り、永遠の幸せな状態に生きるために生まれてきました。

イエス様の言葉によりますと、場合によって、人はその愛から離れることがあります。そして悔い改めないなら、神の愛に心を閉ざしたままであれば、神の幸せを味わうことはできなくなってしまいます。その状態は地獄という名前で表されています。

人が神の愛から完全に離れていないけれど、永遠の命を味わう前にもう少し清める必要性がある場合、その状態を表すために煉獄という言葉を使います

最後に神の愛に結ばれて亡くなる人は、永遠の命に入ります。その状態は天国と呼ばれ、理想と想像をはるかに超えるものです。

聖書にこれについて象徴的な言葉を使って“命、光、平和、父の家、楽園など”と言います。パウロによりますと、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を愛する者たちに準備された。」(コリント第一の手紙2.9)

皆がその栄光の命に参加できるかどうかわかりませんが、イエスは「私が来たのは世を裁くためではなく、世を救うためである」(ヨハネ1.47) とおっしゃったので、皆が救われるように希望しながら、すべての人が神の愛に応え、永遠の命を味わうことができますようにと願うしかないでしょう。

16.体の復活

信仰宣言の最初から二番目の信仰箇条としては、“体の復活を信じます”と唱えます。

コリントの教会では、ある信者は体の復活があり得ないと言い出してしまったとき、パウロは強い調子で次のようなことを書きました。

1.人間の復活がなければ、キリストも復活しなかったでしょう。

2.キリストが復活しなかったならば私たちは今なお罪の状態に留まっている、つまり罪があがなわれなかったのです。

3.私たち(パウロ)は間違ったことを教えたので嘘つきになります。

4.キリストと私たちの復活がなければ、私たちの信仰はばかげています。

(コリント第Ⅰの手紙 15章17~29参照)

その上イエスは生きていらしたとき、はっきりと体の復活を教えたので、キリスト信者にとって疑う余地はないでしょう。(マタイ22章30節参照)

来世を信じる宗教はたくさんありますが、体の復活を宣言したのはキリストだけであり、私たちにとって最高の喜びでしょう。

復活の時期について、ヨハネの福音書には次のように書いてあります。

私を遣わされた方のみ旨は、わたしが与えられたすべての者を一人も失うことなく、終わりの日に復活させることである。”(ヨハネ6章39~40)

その“日”を待ちながら信じる人の体と魂は、すでにキリストと共に生きているのです。パウロによりますと、”体はみだらな行いの為にあるのではなく、主のためにあるのです・・・あなた方の体は聖霊が宿っていてくださる住まいであり・・・・その体で神を讃えなさい。

(コリントの第Ⅰの手紙6章13~15、または19~20)

15.罪のゆるしを信じます(2)(2014年2月)

洗礼を受けたキリスト信者は、神への愛の裏切りを赦してもらうために、特に重大な過ちがある場合にゆるしの秘跡があります。イエス様は復活後十一人の弟子達に現れた時、次のような言葉をおっしゃいました。

聖霊を受けなさい。だれの罪であれ、あなたたちが赦せば、その罪は赦され、赦さないでおくなら、赦されないままである」(ヨハネ20.23)

ただイエス様は、具体的にどんな罪が弟子達を通して赦されるべきか教えてくださらなかったので、教会は自分の権限として決めるようになったのです。

現代では教会は重大な罪(大罪)をおかしたとき、ゆるしの秘跡を通して赦される必要があるとしています。又、何が大罪であるかを見分けるために、三つのヒントを与えてくれます。

1.大事な事柄について、神の掟に背くこと

(つまり神と人への愛に大きく背くこと。もう少し具体的に言えば、モーゼの十戒が参考になります。)

2. 大きな罪とわかっているのにやってしまうこと

3. 罪を避けられるのに避けなかったこと

この三つの条件がそろえばゆるしの秘跡に与った方がよいとなっています。

そうでない罪は、ゆるしの秘跡が必要ではありませんが、教会の勧めとしては、せめて一年に1回か2回与るように勧めています。それは自分の信仰生活が活性化するために役に立つと思うからです。

マリオ・バラーロ神父

14.罪のゆるしを信じます(1)(2014年2月)

キリスト信者にとって、人生はキリストと共に光に向かって生きる歴史であるはずですが、あいにくそれと共に失敗の歴史でもあるのです。

自分の生活において、過ちを知らない人がいるでしょうか。
自分が信仰の不足、希望の少ない事、愛が深くないことによって不十分であると感じない人がいるでしょうか。

イエスの教えによって一番大きな悪は神への嫌悪であり、神への愛に背くこと、そして創造主であり救い主である神への侮辱です。

人はどうして罪を犯してしまうのでしょうか。
それは愚かなことで考えられないことでしょう。
しかし罪が存在していることは誰でも分かります。
その罪から解放されるためにどうしたらよいのでしょうか。

来月それについて考えましょう。

13.聖徒の交わり(2014年1月)

信仰宣言の時、”教会を信じ”と唱えたすぐ後に”聖徒の交わり”を信じますと唱えます。聖徒の交わりというのは、キリスト信者が互いに精神的にも物質的にも恵みを家族のような気持ちで分かち合うということです。最初はエルサレムの教会において、その模範が見られると思います。(使徒行録 2.42~45参照)

そこにまず洗礼と聖体の秘跡を通して信者の絆が生まれ育てていきました。又それぞれ持っていた才能、働きなどによって互いに役に立ちました。その上、すべてを共有していたと書いてあります。(使徒行録4.32)
つまり初代教会には、物質的な面でも一つの家族のように互いに助け合っていたのです。

信者の交わりの考えは、いろいろな聖書の言葉に表れています。
たとえば「わたしたちのなかには誰一人自分の為に生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。」(ローマ14.7)
また「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(コリント第一の手紙12.26)などです。
その交わりは生きている人達の間だけではなく、亡くなった人達にも通じるのです。その意味で、私達は亡くなった人の為にもミサと祈りを捧げるし、神のもとに戻った人に祈りを求めます。一言でいえば、”聖徒の交わり”というのは、愛の実践そのものだと言えるでしょう。

12.教会(2)(2013年12月)

先月、イエスが教会に一つの共同体をお作りになったことについて、丁寧にお話しましたが、一番明らかなしるしは十二人の使徒たちの教育でした。

イエスはご自分のお望みの人々を選びます。(マルコ3.13)そしてこの12人の使徒たちに神の奥義を教えました。又、彼らに特別な訓練をし、洗礼の事を教えます。(ヨハネ4.2)
そして律法学士はその弟子に律法の解説をしましたが、イエスはご自分の使徒たちに”ある出来事”すなわち神の国の到来を宣言なさいました。マタイ10章には使徒たちへの忠告がいっぱいです。マタイ18章には、イエスが彼らに次の言葉をおっしゃっています。

”あなたたちが地上でつなぐもの”はすべて天でもつながれ、あなたたちが地上で解くものは、すべて天でも解かれるのである。
以上の言葉からわかるように、使徒たちは多くの権能を授かっていました。

十二人の使徒の中で一番目立つのは漁師のペトロでした。彼はつまずいたにしろ、イエスの後に教会を指導する者になりました。イエスがマタイ18章において12人の使徒たちに言われたことは、、マタイ16章19,20節においてはペトロだけに言われたのです。又、ヨハネ福音書にはペトロの選出がイエスの死後に行われたと示されています。(ヨハネ21.15~17、20~23)

話をまとめてみますと、イエスは一つの共同体(教会)をお作りになっただけでなく、12人を選び、その中のペトロを中心にして、その教会を指導するようにおまとめになったのです。

11.教会(1)新しい民(2013年11月)

人間の中にあって、イエスは人間として振る舞ったのです。
人間は一緒に暮らすものですから、神が旧約時代においてなさったように、イエスも一つの民をお作りになりました。初めは小さなグループでしたが、慰めの多い大きな約束をお与えになったのです。

恐れるな、小さな群れよ、
 父があなたたちに、御国の鍵を与えるであろう
(ルカ12.32)

イエスがこの民に対して、ただ先のことを見通していらっしゃっただけでなく、前もってそれに気を配ったことを示すしるしが多くあります。

イエスが亡くなる前に、大規模な組織を作り上げたと考えることは勘違いでしょう。イエスは預言的な教師として、まず人の心を探し求めたのです。しかしイエスは単なる言葉を述べ伝える偉大な預言者であったのではなく、人間の共同体を作ろうとされたのです。
イエスによって新しい民が生まれ、そして全人類がそれに加わるように望まれたのです。しかしここで大切なのは、そこに加わるのに必要なことは、種族または生まれではなく、自分の足りなさを認めることと、神の国を受けるのに心開くことだったのです。

10.信仰(2)(2013年10月)

この世の中には色々な宗教があります。
たいてい道徳的にイエス様の教えとたくさんの共通点があると思います。違った形である程度同じことを教えていると言えるでしょう。
そういうことなので、おそらく大勢の方は富士山のてっぺんにたどり着くために色々な道があるように、どんな宗教でも同じ目的があるので、どんな宗教でもよいと考えているでしょう。

しかしこれはちょっと違うのではないかと思います。

どうして違うのかと申しますと、大部分の宗教において、神を理解するために必要なものは、人間の努力です。これは貴いものですが、でも人間の考えにしかすぎません。

キリストの場合、神のことと神と人間のかかわりはどういうものであるかは、人間の考えではなく、神からいただいた教え(啓示)なのです。それが一つの基本的な違いだと思います。

仏教の場合は話がちょっと別ですが、お釈迦様の場合は、神のことを求めようとか、理解しようとかではなく、人間は苦しみからどうやって救われるか、が彼の目的でした。ですからある意味でお釈迦様の教えは宗教ではないでしょう。

もう一つ考えていただきたいのは、この世には良いことを教えたたくさんの宗教家がいました。しかしその教えの為に自分の命を失った(殉教)方は、そんなに多くはありません。また死んでから復活されたのはキリストだけです。

そういう意味でもキリスト信者として、どんな宗教でも同じ立場に置くことを認めることはできないでしょう。

9.信仰(1)(2013年9月)

私達は色々なことを信じて生きています。
信じるということは、信頼することです。又人間は確認できないものに対しては、信じる又は信じないことができるのです。

例えば明日電車に乗りたいときは時刻表を調べます。そして明日出かける準備をします。実際に明日その時間に電車が出発するかどうかはまだ確認できないので信頼するしかありません。つまり、時刻表を信じます。決まった時間が来て電車は予定通り出発すれば、初めて確認できます。

キリストの場合、私達は直接に会ったことがないので、新約聖書に書いてあること、最初に体験した人を信頼してキリストを信じます。

今日理解していただきたいのは、私達の信仰はキリストへの信頼に基づいたものであって、数学のようなものではありません。信じるために、信じたい気持ちが必要だし、何を信じたいか、どうして信じるのか確かめることも大事で、そして信仰の恵みを祈りながらその信仰に自分の生活を合わせるようにすることは欠かせないことでしょう。
一般的に言えばそれが信仰を得るための道ではないかと思います。

8.祈り(2)(2013年8月)

先月祈りについて話が始まって、祈りとは神との対話であり、神の声を聴くことと私達が話すことによって成り立っていると書きました。
先月には、神の声を聴くことはどういうことであるかを申しましたが、今月は神に話をすることについて一言分かち合いたいと思います。

度々、「天におられる私たちの父よ・・・」という祈りを唱えます。神が父であるなら、お父さん又はお母さんと話すのは、難しくないはずです。
例えば、食事をしながらその日の事について自然に話したり、場合によっては親に自分の心配、夢、心にあるものを伝えています。私達にとって、神とイエスに対しても同じことでしょう。神を相手にして、今日あったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、失敗、希望などを表せば、すべて祈りになります。

たいてい私達は、祈りといえば神に何かを求めることだけになっている場合が多いでしょう。福音書には時々、願う祈りについて矛盾しているかのような言葉もあります(マタイ6章7節~8節、マタイ7章7節~11節参照)。

でもそれは矛盾ではなく、その言葉をおっしゃった環境が違っていたので、そのニュアンスも違ってくるのでしょう。しかしイエスがいつも求めていらしたのは、神に対する信頼の心でした。
キリスト信者にとって代表的な祈りはゲツセマネにおいての祈りだと思います。

父よ、もしできることならば、
 この杯がわたしの前を通り過ぎるようにしてください。
 しかし、わたしの思いどおりにではなく、
 あなたのおぼしめしどおりにして下さい(マタイ26章39節)」

つまり、良いと思うことを求めてもよいのですが、最終的に神の御旨になります様にという気持ちが大事です。なぜなら願う祈りは、神が私達に合わせるようにではなく、わたしたちこそ神に合わせることになりますようにと祈るべきでしょう。

7.祈り(1)(2013年7月)

イエスは祈りの人でした。
しかし一つの祈りの方法だけによって祈る人ではありませんでした。弟子達と共に、イエスは律法に定められた典礼を行い、民と共に御父と交わっていました。それと同時に、一人でご自分の言葉で、御父と話しておられたのです。
イエスは黙って祈ったでしょう。しかしそのことは、どこにも記されていません。祈りは神との対話なので、神の声を聴くことも、私達が話すこともあります。

今回は 神の声を聴くこと についてだけ一言申し上げたいと思います。

神は私達に少なくとも三つの形で話しかけると思います。

*一つは 自分の良心 を通してです。
つまり私達は、神から創られたものとして、自然に良いことをして悪いことを避けるべきという心の声を感じているからです。その声に従うことによって、いつも神の声を聴くことになります。

*もう一つの方法は、聖書を通して です。聖書、特にイエスの言葉を通して、神が私達に色々なことを語りかけられるということが言えるでしょう。

*最後に 人生に起こる様々な出来事 を通してです。私達の人生は神の御手の中にあると信じているので、人生に起こる様々な出来事を通して、きっと神が望んでいらっしゃる所に私達を導いて下さるでしょう。ただ多い場合、すぐ出来事の意味が分らないことがありますが、後になってあの嬉しかった事、又は悲しかった事は、何の意味があったのか理解できるようになると思います。
しかし神のもとに戻るまでわからない事もあるかもしれませんが、自分の人生におこる事が、何の意味があるか考えること自体、祈りといえるでしょう。

この三つの形で、私達は神の声を聴くことになると言えるでしょう。

6.奇跡(2013年6月)

福音書にはたくさんの不思議なイエスのわざがあります。大勢の人は作り話としてみているのですが、第3回目のミニ教理 (2.信じます参照) に書いたように、すべてのものの作り主、全能の神を信じる人にとって、そのような奇跡は当たり前のことでしょう。

すべてをお創りになった神が、病人を治したり、死人を甦らせたり、パンと魚を増やしたりすることは、できないはずがないでしょう。つまり、奇跡というのは、神が人間の為に大きな力を働かせたということです。

イエスの奇跡の主な特徴は

1.自分の利益のため、または見世物としての奇蹟をなさいませんでした。

2.イエスは、多くの奇術師、魔法使い、超能力者の態度に比べると、動作の単純さ、その落ち着き、その権威に満ちた態度が印象的です。

3.イエスは多い場合”哀れみをもって”(ルカ7.13)奇跡を行ったし、ご自分を救い主として信じてもらうために行われました。

5.神の国とは?(2013年5月)

三つの福音書には、イエス様が神の国についてお話になりますが、マタイの福音書だけに”天の国”と書かれています。それは律法学者の習慣に倣って、尊敬の為に””の国という言葉は、神がこの世の主であって、苦しい問題の多い世の中から不正とみじめさを取り除くために、いつか救って下さる方が来られるであろうという信仰の要約でもあったのです。

しかし時代の変化に伴い、純粋でない形を取るに至ったのです。それでこの言葉を聞いた途端、武器を手に取る者もいて、愛国心の覚醒、神の支配する王国の意味するものとなってしまったのです。

又他の人の考えでは、天の力を動かさせ、新しい世界を生み出す神の干渉と思われていたのです。彼らの叙述は黙示録的なものでありました。どちらの考え方も預言者の言った比喩をあまりにも物質的に文字通りに解釈したことになってしまっていたのです。預言者がはっきり言っていないのにそれが一定の形をとってしまい、国家主義的、または黙示的なものになっていたのです。どちらにしても、この言葉はユダヤ人の心に響いたのです。しかし、福音書に書かれている神の国の意味は、”神の王権”又は”神の支配”のもとで神の心に従って生きることです。

悔い改めなさい。神の国が近づいた」という言葉で、イエス様は公生活をお始めになったのです

4.洗礼と試み(2013年4月)

福音書はヨルダン川でイエスがヨハネから洗礼を受けられたことをもって、公生活を開始していらっしゃることを紹介しています。これはもっとも古い伝説から発し、強調されてきた出来事です。

イエスが最後に十字架の上で罪人の為に亡くなられたように、公生活の始まる前に同じように罪人の代表者として洗礼をお受けになったのです。また福音書は、あれのにおけるイエスに対する誘惑も挙げています。場所、悪魔の姿そして三つの誘惑が記録であるか、それとも様式化したものであるかというようなことは、救いのわざの値打ちを変えるものではありません。ただ言えることとして、砂漠はユダヤ人にとって、神との出会いと試練の場所であると考えられていたのです。

イエスは、三つの誘惑を通してご自分の使命の実現の仕方は何であるかをはっきりされました。つまり、人間の救いは物質的な要求を満足させたり、権力の力を借りたり、ビックリさせるような出来事を通して実現するものではなく、ご自分の命を捧げることによって人を救うものでした。このイエスの献身的な姿が、四旬節の初めに朗読されるのは当然なのです。

3.神殿における十二歳のイエス(2013年3月)

イエスのナザレでの生活について次のできごと以外は、何も知られていません。

イエスは十二歳の時、過越祭を祝うために、両親とともにエルサレムに赴きました。そしてルカ福音書によれば、両親に何も告げず一人で神殿に残ったのです。

三日目に、マリアとヨセフは、学者たちの中にいるイエスを見つけました。この律法学者たちは自分らの質問に答えるイエスの知恵に感嘆していましたが、マリアは母として叱責の口調で言いました。

私の子よ、なぜ、こんなことをしたのですか?。ごらん。お父さんと私とは心配してさがしていたのですよ。」(ルカ2.48)

イエスは「父」ということばを口に上せ、自分が父の家にいるのは当然なことだと答えました。父と呼んでいた神のことを指示したのです。両親には理解できませんでしたが、マリアはその言葉を心におさめていました。

このできごとの意味は何なのか。それには、ルカがなぜこのことを記したかを調べなければなりません。
前に述べたように、この福音史家にとって、イエスがエルサレムにおいて自分を表したことは重要なのです。神はエルサレムで人々に現れることを約束しました。最初の現れは、神殿におけるイエスの奉献であり、当時のイエスはまだみどり児で、話はできませんでした。それでエルサレムはシメオンとアンナを通じて語りました。エルサレムは初めてその主に出会いました。

そして十二歳の少年の物語では、イエス自身が話すのです。今、主は初めてエルサレムに出会います。神の民に対しての約束は、私たちの目の前で成就されたのです。

2.イエスキリストを信じます(2013年1月、2月)

イエスという名前はヘブライ語で”神の救い”という意味ですが、キリストは名字ではなく、ギリシャ語で”救い主”という意味のことばです。
聖書によりますと、イエスの誕生の次第は次のとおりです。

マリアはヨセフと婚約していたが、同居する前に、聖霊(神)によって身ごもっていることが分かった。・・・ヨセフは主の使いに命じられた通り、妻マリアを家に迎え入れたが、それまでヨセフは彼女を知ることはなかった。そしてマリアは初めての男の子を生んだ。(マタイ 1章18節~25節)

大勢の方がこの話を神話としか思っていないし、こんなことはありえないと考えています。確かにすべての創造主である神を信じないで、自然しかないと思う人にとって、受け入れられない話でしょう。
しかし、創造主である神を信じる人にとって、”神にはおできにならなことがない”と思っています。したがってすべてをお創りになった神が、一人の乙女を母にするのは別にありえない話ではないでしょう。

同じように福音書に書かれたさまざまな不思議なしるし(奇跡)についても言えるでしょう。そこにキリストを信じるか信じないかの、ひとつの分かれ道があると思います。

イエスはベツレヘムでお生まれになったのですが、ナザレトで育てられました。ヨゼフは大工だったので、おそらくイエスもその仕事をされたでしょう。 およそ30歳頃までイエスは一般の社会機構の中でその活動をしながら、ごく普通の家庭生活の中でお暮しになったと思われます。

イエスは私生活においてよいお手本を残して下さっただけではなく、神に対する理解、またどのような形で自分の使命を果たすかを考えておられたのでしょう。
すなわち神は、普通の生活様式において生きる事を望まれ、隠れるように、しかし一般人の普通の生活を人とともに生き、目立たず歴史にも残らない生活において、私たちの近くにおられる神であることを教えて下さったのだと思います。

教会は聖家族という祝い(いつもクリスマスの次の日曜日)を通して、イエスが普通の家族生活をおくったということを強調しているのでしょう。そしてそのことによって、神のわざを行う前には、必ず祈りと沈黙の期間が必要であるという教訓を得られるでしょう。

1.神(2012年11月、12月)

信仰宣言の初めに『天地の創造主、全能の父である神を信じます』と、唱えています。例えば、八百万の神とキリスト信者が信じる神は全然違います。
キリスト信者が信じる神が不可解な存在であっても、聖書によって少なくとも次の四つの特徴があるといえるでしょう。

つまり、神は唯一、全能、すべての造り主、私たちを愛して下さる方です。

この神の四つの特徴は、キリスト信者にとって否定できないものです。
もし聖書抜き、理性だけで神のことを理解しようと思えば、ある程度は理解できるのですが、やはり神の啓示がなければ難しいでしょう。

ところで、理性だけで聖書に書かれた神を理解できるでしょうか?。
パウロはこう書いています。『世界が造られた時から、目で見えない神の性質、つまり永遠の力と神性は被造物に表れており、それを通して神を知ることができます(ローマ 1-19~20)

つまりこの世には結果があれば原因が必要となっています。 それで例えば、宇宙があるから(=結果)、誰かがこれを造ったことがあるでしょう(=原因)。その他いろいろな例があります。 又、宇宙には秩序があるから(=結果)、この秩序を定めたものが(=原因)必要となるでしょう。 その他色々な例があります。

人間のことも考えたら、神が必要と思えるのではないでしょうか。人間は色々な物質的な要求があり、そしてそれを満たすために物があります。 例えば食欲があって、満足させるために食べ物と飲み物があります。性欲があってそれを満足させるために性があります。
しかし、精神的に一番肝心な欲求、つまり、完全に幸せになりずうっと生きることを求めているので、それが満足できるようなものがあるはずです。それを私たちは、神と呼んでいます。 その理由で偏見なしに考えたら神の存在を認められるでしょう。

神様は不可解な存在ですが、人間の次元と違っているので理解できないのは当然だと思います。 それにしても聖書から得られる神のイメージは、唯一、全能、想像主、愛して下さる神でした。おそらく私達にとってその四つの神の様子の中で、一番有難いものでありながら一番理解しにくいところは、神が私達を愛して下さるということではないでしょうか。

一方、神が完全なものとして愛であるのは当然だと思っても、実際この世において、物質的にも精神的にも人間の苦しみ、悲しみ、罪などがはっとするほど多くて、本当に神が私達の事を大事にして下さっているのかという疑問が湧いてくるかもしれません。 理論的に答えるのは難しいと思いますが、キリスト信者にとって神の愛を信じるのは、理論によってではなく、キリストの十字架によってなのです。

”神は、独り子をお与えになるほど、この世を愛された(ヨハネ 3-16)”

その言葉によって、苦しみと悪の謎はイエスの人生と死を通して、よくわからなくても信じられるのです。

聖書の登場人物

1.アブラハム

1.アブラハム

アブラハムは4000年位前、現代のイラクとイランの国境にあるウルというところに住んでいて、唯一の神に対する信仰を持っていて、その神から一つの使命を受けたのです。

聖書に次のように書いてあります。

『あなたは生まれ故郷父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にする。』(創世記12.1~2)

その言葉に基づき、故郷を去って西の方へ向かったのです。色々なところを回りましたが、最終的にカナン(現代のイスラエル)に留まったのです。

しかし約束された“あなたを大いなる国民にする”ということがあったにも関わらず、子供がいませんでした。しかしアブラハムは信じ続けました。やっと奥さんのサラからイサクという男の子が生まれます。

しかしイサクが12歳になった時、神からそのイサクをいけにえとして捧げるように命じられます。あの当時はどの民族でも神にいけにえを捧げる習慣があったので、アブラハムは神がこのようなひどいことを命じるはずがないと思わなかったので、苦しくてもイサクを捧げようとしました。しかし神が使いを送って止められたのです。

そのようなことで、つまり場所も知らず神を信じて出かけたこと、年をとっていて子供がいないのに神の約束を信じたこと、そして唯一の子供まで神に捧げようとしたことなどで信仰の模範となったのです。そして彼はユダヤ民族の太祖でありながら、三つの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)において“信仰の父”として認められている人物なのです。

2.モーゼ

2.モーゼ

ユダヤ人の民族のルーツは、アブラハム(BC1900年頃)にありますが、一つのまとまった民として歴史を歩み出したのはモーゼ(BC1300年頃)の時代からと言えるでしょう。
アブラハムの子孫(孫)であったヤコブがエジプトに入ったのはBC1750年頃でした。その時は70人位の大家族だけでしたが、450年の間エジプトにおけるユダヤ人は増えてきて、BC1300年頃モーゼという人物が出てきます。赤ん坊の時、エジプト王ファラオの娘によってナイル川から助けられ、育てられたのです。
大人になってから、モーゼは一人のユダヤ人を助けるために争いになり、エジプト人を殺してしまったのです。死刑になることを恐れて逃亡し、シナイ半島にたどり着いてそこで新たな人生を始めました。結婚をして子供をもうけて羊飼いの仕事に落ち着いたところで、不思議な形で神からエジプトにいるユダヤ人を先祖の土地に取り戻すように命じられたのです。
モーゼはいやいやながら神に従い、エジプトに向かいました。色々な困難を乗り越えてやっと彼らを脱出させ、40年間砂漠において、単なる群衆であったユダヤ人に律法を与え、一つの立派な民にしました。しかしエジプトから逃げた人々の大部分はその間に死んでしまい、モーゼも約束された土地(カナン、現代のイスラエル)に入ることはできませんでした。
出エジプト記という本のなかで、神はモーゼを通して様々な不思議なしるしを示されています。聖書に書いてあるものは何百年も後に書かれたので、録音されたかのようなストーリーではありませんが、あの当時のユダヤ人にとって、神の大きな不思議な助けがあったことを感じ、それが自分たちの支えになった事に違いありません。
旧約聖書の中にモーゼほど偉大な人物はいないと思います。モーゼが初めてユダヤ人に律法を与えたので、後の人が新しい律法を定めても、全部モーゼが定めたかのような感覚で、人々に与えられたのです。

3.ダビデ

3.ダビデ

旧約時代のアブラハムとモーゼの他に目立つ偉大な人物と言えば、言うまでもなくダビデでしょう。彼はユダのベツレヘムで生まれて(紀元前1000年頃)、少年時代は羊飼いでしたが、そのうちイスラエルの王サウルに仕えることになり、ゴリアトとの戦いによって人気者になりました。サウルは嫉妬を感じ、彼を何回も殺そうとしたので、しばらくの間逃亡生活をすることになりました。やがてサウルは亡くなり、ダビデはユダヤ人の王になりました。その立場から色々な戦いを通して、イルラエルにいる他の民族を従わせ、国は完全にユダヤ人の支配のもとに置かれました。彼から造りだされた国は、後にソロモンという息子によってもっと豊かにされたのです。ダビデとソロモンの時代はユダヤ人の歴史の中で黄金時代と言われています。
ダビデは音楽がよくできたので色々な詩編を作ったのですが、たくさんの罪を犯してしまった人でもありました。しかし唯一の神に対する信仰をいつも忠実に守ったことは、彼の偉大さの冠だと思います。彼から造りだされた国は、孫の時代から分裂してしまいました。何百年にわたる分裂の後、ユダヤ人は他国人からずうっと支配されてしまいました。がっかりしたユダヤ人は、いつも預言者によってダビデの子孫はもう一度国を建て直すという希望を持ち続けていました。それを実現する方は救い主(ヘブライ語でメシア)と呼ばれたのです。イエス様は公生活が始まった時、その救い主のイメージを変えました。私たちキリスト信者は、イエス様こそ長い間待ち焦がれていた救い主イエスだと信じていますが、ユダヤ人は今でもダビデの子(子孫)である救い主を待っています。

4.洗礼者ヨハネ

4.洗礼者ヨハネ

旧約時代に置いて、四番目に偉大な人物と言えば、私にとって洗礼者ヨハネだと思います。彼はイエスの親戚であり、年齢的にも数か月先輩でした。ザカリアとエリザベートの老夫婦から生まれたのです。大人になって彼の活動は主にユダの砂漠にあって、そこで大変厳しい生活を送りながら神の国の到来を宣教して、人々に回心を呼びかけたのです。この招きに応えた人々に、ヨルダン川に置いて洗礼を授けていました。
イエスはヨハネのところに行って、洗礼を受けようとしたとき、ヨハネは断わろうとしましたが、イエスは無理矢理に洗礼を授けさせたのです。(罪びとの代表者として受けたと思われています。) その後当時のユダヤ人の王であったヘロデ・アンティーパの結婚のことを公に批判したので、捕えられ牢屋に入れられたのです。そしてそこで斬首されたのです。おそらくヨハネの弟子たちは、後に何人かがイエスのグループに加わったようです。ヨハネの偉大さは、一言でいえばイエスの到来を準備した最後の旧約時代の預言者であったということでしょう。イエスご自身、ヨハネのことを高く評価して次のようにおっしゃっていました。“あなたがたによく言っておく。女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネよりも偉大な者は現われなかった。”(マタイ11.11)と。

5.マリア (1)

5.マリア (1)

昨年旧約聖書において4人の人物(アブラハム、モーゼ、ダビデ、洗礼者ヨハネ)を簡単に紹介したので、今年は新約聖書におけるイエスの周りにいた人物のことについて、一言申し上げたいと思います。
イエスの周りにいらした方と言えば、言うまでもなく、まずイエスのお母さんであるマリアのことでしょう。彼女が初めて聖書に登場するのは、ルカ福音書(1章26節~38節)の中です。
マリアは神の使いのメッセージを受けて、戸惑いながらも神の力によって一人の男の子のお母さんになることを、次の言葉をもって承知しました。“私は主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように。”(ルカ1章38節)その出来事は一般の人にとって信じられないことで、神話としか受け止められていないのです。しかしそのお告げの中に答えがあります。
“神には、何一つおできにならないことはない”(ルカ1章37節)すべての創り主、全能である神を信じる人にとって、マリアに起こったことを聞いてもびくともしません。しかし自然以外のことは何もないと思う方は、当然それを信じないでしょう。つまり問題は、マリアは乙女でありながらイエスのお母さんであることではなく、神を信じているかどうかの問題でしょう。

6.マリア(2)

6.マリア(2)

先月マリアのお告げについて書きましたが、お告げの後、ルカとマタイの福音書にはいろいろな出来事が示されています。例えばマリアの親戚エリザベトへの訪問、ナザレトからベツレヘムまでの旅、馬小屋でのお産、羊飼いと三人の占星学者が訪れた事、神殿におけるシメオンとアンナとの出会い、ヘロデ王から殺されないように難民でエジプトに逃げた事、などが書かれています。そしてナザレトに戻って普通の家庭生活をしながら、イエスを“神と人とに愛されるように”育てました。イエスが公生活を始めるまで、福音書は沈黙を保っています。一つのこととして、イエスが十二歳になり、マリアとヨゼフと共にエルサレムへ巡礼に行った事しか書いてありません。

これらの出来事は小さな出来事ですが、そこに考えさせることがたくさんあります。例えば一つ言えることは、マリアはご自分の子が神の力によって授けられたことは分かったのですが、でもその子がどんな大人になるか、神がイエスにどんな使命を与えたかなどは、マリアにとっても謎だったのです。

マリアはイエスのことが分からなかったり、心配したり、驚いたりしながら、ずっとイエスを見守っていて下さったことが、私にとって一番気に入るところです。皆さんにとっては?

7.マリア (3)

7.マリア (3)

イエスの公生活において、マリアの存在はだいぶ控えめだと言えます。それがあの当時のユダヤ人の感覚に合うことでしょう。男性主義の社会だったので、女性の役割はたいてい目立たないものだったのです。
しかしマリアについて印象深いところは(強調できるものは)、少なくとも三つのところがあると思います。一つはカナの婚礼の時のことです。ブドウ酒がなくなったと気がついたマリアは、イエスに“ブドウ酒がなくなりました”と告げました。それに対してイエスは、案外冷たい態度で答えます。“婦人よ、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていません。”(ヨハネ2.3~4) しかしマリアはイエスの気持ちを理解したのでびくともせず、召使いに“この人が何か言いつけたらその通りにしてください。”(ヨハネ2.5)と言いました。 そこにマリアの取りつぎの力を強く感じられると思います。
またもう一つ大事な場面は、イエスが十字架にかけられたとき、一番若い弟子ヨハネをマリアの子として受け取るように、そしてヨハネにマリアをお母さんとして受け取って面倒を見るようにおっしゃったことでしょう。もしマリアが本当の子供を持っていたなら、イエスはヨハネに母の面倒を見るようにおっしゃらなかったでしょう。
三番目のマリアの素晴らしい態度は、十字架の下に“立っていた”と書いてあることです。ユダヤ人の習慣として死者の前で悲しみを表すために、大げさに泣いたりわめいたりしていましたが、マリアの姿勢は違っていました。力強く品を持ってご自分の限りない苦しみを耐えていました。
そのあと聖書にはマリアがどうなったか何も書いてありませんが、キリスト信者は、ずっとマリアのことを大事にして、時間が経つにつれてマリアの偉大さを理解し、マリアご自身、エリザベトにおっしゃった言葉を実現されました。
“今から後、いつの時代の人々もわたしを幸いな者と呼ぶでしょう。”(ルカ2.48)

8.ヨゼフ

8.ヨゼフ

今回新約聖書の人物の紹介の中で、マリアの後はヨゼフのことを無視するわけにはいかないでしょう。聖書にはヨゼフのことがほとんど出てきませんが、彼の存在は欠かせないものでした。なぜなら、まず旧約聖書によりますと、救い主はダビデの子孫でなければならなかったからで、ヨゼフはその子孫でした。実際にマタイとルカ福音書にあるキリストの系図によりますと、ヨゼフはダビデの一族の子孫として出ています。
当時は“シングルマザー”を認めなかったユダヤ人の社会でした。不倫した女は石殺しになる決まりがあったので、マリアだけでイエスを産むことは不可能でした。神は人間としてこの世に現れるために、どうしても一つの家庭が必要だったので、ヨゼフはその役割を受け入れたのです。
そこに彼の偉大さがあると思います。イエスが12歳になった時、ヨゼフはまだ生きていましたが、十字架につけられた時はすでに亡くなっていたでしょう。なぜなら、そうでなければイエスはヨハネにお母さんを頼まなかったでしょう。マタイ福音書には“ヨゼフは正しい人”(マタイ2章19節)と言われていて、この一言をもってヨゼフのことを紹介してくれます。ヨゼフに対する信心は、東方教会では4世紀から、西ヨーロッパでは10世紀頃から始まったのです。
カトリック教会ではヨゼフを全教会の保護者としてたてています。片瀬教会自身もヨゼフを保護者としているので、全世界と共に3月19日に祝っています。
この一言をもってヨゼフのことを紹介してくれます。ヨゼフに対する信心は、東方教会では4世紀から、西ヨーロッパでは10世紀頃から始まったのです。
カトリック教会ではヨゼフを全教会の保護者としてたてています。片瀬教会自身もヨゼフを保護者としているので、全世界と共に3月19日に祝っています。

9.十二人の使徒達

初代教会においては言うまでもなく、イエスから選ばれた十二人の使徒達は中心的な役割を持っていました。ユダヤ人は十二の部族によってできた民族で、神の民であると自覚していました。しかしイエスがお創りになった新しい神の民は、民族に基づいたものでなく、神の心に従って生きている人が属していると教えたので、その新しい神の民の土台として象徴的に十二人の使徒が選ばれたのです。彼らの使命は、イエスの教えを伝え、信者を指導し、イエスの復活の証人であることでした。彼らの使命は、聖霊降臨の時から現実的なものとなったのです。
十二人のリストの中で、ペトロはいつも最初に書かれていました。その十二人の名前は、マタイ、マルコ、ルカ福音書に書いてあります。ただルカ福音書にはタダイの代わりにユダが書いてありますが、おそらく同じ人物でしょう。マタイ福音書によりますと、使徒達のリストは次のようになっています。
“十二使徒の名は次の通りである。
まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。”
(マタイ10.2~4)

10.ペトロ

10.ペトロ

先月、初代教会において十二人の使徒達は、イエスの教えを正しく伝えるために中心的な役割を果たしたと書きましたが、その中でもペトロは特別の立場に置かれたことについて一言申し上げたいと思います。

ペトロの本来の名前はシモンでした。ガリラヤのベトサイダの出身で、漁師の仕事をしていました。兄弟アンデレと共に、イエスに呼ばれてついていきました。

四つの福音書の中に、ペトロはどんな使徒よりも多く載っていましたし、度々リーダー的な態度をとっていました。しかし、教会の歴史の中にペトロの後継者の立場は問題になっていました。マタイ16章16節~18節によると、ペトロはイエスが救い主であり神の子であることを宣言してから、イエスは彼に「あなたはケファ(岩)である。その岩の上にわたしの教会を建てる。・・・」とおっしゃいました。ケファという名前は、ラテン語に訳された時ペトロになり、その形でずっと使われました。又ヨハネ21章15節~17節には、イエスはペトロに三回私を愛しているかと尋ねてから、「私の羊を牧しなさい」と言われたのです。その言葉によって、ペトロのリーダーシップについてはほとんどのキリスト信者は認めています。問題はその後継者も同じ指導権を持っているか、またはペトロ自身だけだったのかについて、カトリックと他のキリスト信者の考え方は違っています。その中でも教会によって考え方は色々違っています。他のキリスト信者によりますと、教会は次第に発展したことによって、ローマ帝国の政治的な組織をまねして、教会は君主体制になってしまい、ペトロの後継者であるローマ司教が教会の頭(かしら)になってしまったと考えています。カトリックの立場としては、ペトロにあのような強い権限を与えたのは、ペトロの為だけだったらあまり意味がなかったと考えています。そのあと教会が広まってきて、キリストの時代から離れていく事によって、このようなときこそ信者の一致を保つために力強い指導権が必要だったと思っています。その上最初の千年は教皇の立場は全教会から認められていたのです。現在この問題はエキュメニカル運動(目で見えるキリスト信者の一致)の一つの大事な宿題になっています。

教会におけるペトロの後継者の立場は何であるのか、共通の考えを見いださない限りキリスト信者はイエスの命令「一つであるように(ヨハネ17章22節)」を守ることができないでしょう。

11.教会(一) 四つの特徴

11.教会(一) 四つの特徴

先月ペトロの紹介をきっかけとして、ペトロの後継者であるローマ司教様の教会における役割について少し話しました。それに関連して教会のことについて今回一言申し上げたいと思います
教会とはなんでしょうか?それについて色々な定義がありますが、一つは不完全ですが分かりやすい言い方で言うと、教会はキリストとキリストを信じる人たちの共同体と言えるでしょう。キリストだけでは教会にならないし、私たち信者だけでも教会ではありません。キリストとキリスト信者で教会と言えるでしょう。
ローマ帝国においてキリスト信者の迫害が終わり(313年)、教会が自由になってから間もなく最初の公会議(ニカイア325年)が召集されました。その時、少なくとも次の四つの特徴を持たなければキリストの教会と言えないと宣言されました。つまりキリストが作った教会は、聖なる普遍的な一つのものであり、そして使徒継承を持つものです。ニカイア・コンスタンチノープルの信仰宣言を唱える時、その四つの特徴は次の様に表現されます。
「・・・・わたしは聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。」
次回はその唯一の特徴についてお話しようと思います。

12.教会(二) 四つの特徴

12.教会(二) 四つの特徴

先月、ニカイア公会議で宣言されたこととして、キリストの教会といえるのは、少なくとも四つの特徴を持たなければならないと申しました。今月はこの四つの特徴の中の二つについて簡単に説明したいと思います。
1. 聖なるもの
教会は聖なるものであるというのは、イエスがその頭であり、聖書、秘跡、神の愛から離れていない信者などがいるからです。しかし教会は人間によってできているので罪びとの教会でもあると言えるでしょう。教会を一つの木に例えてみると、木の樹液が流れていない枝は枯れてしまいますが、木にまだつながっている限りその木の一部分と言えるでしょう。それと同じように、神の愛から離れた生活をしている信者も信仰を捨てない限り教会の一員だといえますが、枯れた枝と同じように死んだものといえるでしょう。キリストが望んでいらした教会は枯れた枝のない幹ではないかと思われます。
2. 普遍
普遍の教会の意味は、キリストはすべての人、すべての時代、すべての文化の為にいらしたので、どんな人でも教会のメンバーになれるということです。
カトリックという名前は、ギリシャ語のカトリコスから出たもので、その意味は普遍的という意味です。ただ他のカトリック教会でない教会は、自分たちもカトリックだと言っています。たいていの場合他のキリスト信者は、私たちのことを表すために、ローマカトリック教会と言います。

13.教会(三) 四つの特徴

13.教会(三) 四つの特徴

ニカイア公会議によりますと、イエス様が創った教会は
四つの特徴があります。
1.聖なるもの 2.普遍 については先月号に書きましたので、今回説明したいのは次の二つです。
3. 使徒的
最初からキリストとしての信仰を教えたことは、今でもその教会で教えられている事です。
この二千年の間、色々なことが変わりましたが、その変化は最初の考えに基づいたものだったのです。もう一つの意味は、12人の使徒達を頭(かしら)として創った教会はその後継者が、途切れなく続いた教会です。
カトリックの考え方として、プロテスタントの諸教会がその点について欠けていると思っています。
4. 唯一である
つまりキリストがお創りになった教会は、一つだけであると強調しています。イエスは一致をお望みになったことは明らかだと思います。
まず代表的な言葉は、ヨハネ17章20節~23節までにあります。
パウロの手紙にもあります。例えば、コリント人への第一の手紙1章10節~13節まで。又エフェソ人への手紙4章3節~6節。
現代、残念ながらキリスト信者は分裂しているので、キリストの心に反している状態です。それだから、キリスト信者の一致を取り戻すのは皆にとって重大な責任があると思います。

この四つの特徴は欠かせないものですが、忘れてはいけないのは、ヨハネ13章34節~35節に書いてある言葉です。
「人々は互いに愛し合うなら、わたしの弟子であることがわかる」
従って愛がないところには、キリストがいらっしゃらないということになるのです。

14.教会(四) 信徒の役わり

14.教会(四) 信徒の役わり

ニカイヤ公会議(325年)や教会が持つべき四つの特徴について書きましたが、その後、約1700年経ってから第二バチカン公会議(1962年~1965年)という21番目の公会議がありました。そこで21世紀に向かってカトリック教会は、どんな姿勢をもって人々に福音を告げ知らせるべきかを考えてみました。この公会議における主な変化を、何回かに分けて紹介したいと思います。
まず今回最初として、教会における信徒の立場が強調されたことに注目していただきたいと思います。つまり教会は神の民であると言い、その民の中に色々な人がいて、そしてそれぞれ役わりがあるということです。聖職者の役わりもあれば、信徒の役わりもあります。その信徒の役わりというのを二つに簡単にまとめてみますと、
1.教会内部では、教会の活動に対して積極的な働きをすることを指摘しました。
2. 教会外部では、信徒は置かれた場所 (家庭、会社、学校 等)でキリストの精神を生かすことです。
公会議が終わってから50年以上たちました。その点についての実現は、国によって違いますが、私の印象として日本では第一の目的は大分実現されていますが、二番目はまだまだと感じています。

15.教会 (五) 旅する教会

15.教会 (五) 旅する教会

第二バチカン公会議がもたらした新しい姿勢の中に、今回もう一つの特徴について簡単に考えたいと思います。
第二バチカン公会議前まで、教会がいつも強調していたのは、イエスの普遍の教えのことでした。それに従って、キリストの教えは変わらないことを、信者の頭と心に強く訴えていました。第二バチカン公会議の時、教会の教えは変わらないのですが、時代と文化によって生まれた教えと習慣もたくさん入ってきました。時代と文化が変わると、それに従って教会も信仰の紹介の仕方も変わるべきでしょう。例えば私たちは子どもの時と大人になった時、体は変わりましたが、いつも自分であるということは変わりません。それと同じように教会もキリストの教えを大事にしながら、それを裏切らないで発展させることは当然のことでしょう。第二バチカン公会議の一つの姿勢は、そのようなものでした。つまりキリストの教えを変えないで、現代人に受け入れるような形で紹介することでした。その過程によって、初めに大勢の信者は戸惑ったのですが、教会が博物館にならないために必要な作業でした。
それに従って、キリストの教えを伝えると同時に、他人から学ぶべき姿勢も必要であると強調しました。その作業によって教会自身ももっと豊かになるし、自分の使命を忠実に果たすことができるでしょう。

身体的、精神的な慈善のわざ
身体的な慈善のわざ
① 飢えている人に食べさせること②.渇いている人に飲み物を与えること
③ 着る物を持たない人に衣服を与えること ④ 宿のない人に宿を提供すること
⑤ 病者を訪問すること⑥ 受刑者を訪問すること⑦ 死者を埋葬すること
精神的な慈善のわざ
① 疑いを抱いている人に助言をすること② 無知な人を教えること ③罪びとを戒める
こと ④ 悲嘆に打ちひしがれている人を慰めること ⑤ もろもろの侮辱をゆるす事
⑥ わずらわしい人を辛抱強く耐え忍ぶこと ⑦生者と死者のために神に祈ること

16.教会(六) 教会と神の国は同じではない

16.教会(六) 教会と神の国は同じではない

福音書を読んでみますと、イエスは神の国(あるいは天の国)について度々お話になりました。又神の心に従って生きる方は、神の国に属しているとおっしゃいました。その意味で、この世の中で、キリストを十分に理解できなかった、又は知ることができなかった方が、神の心に沿った生き方をするなら、神の国に属していることになります。
教会というのは、キリストを信じて洗礼を受けた方々のことです。その意味で、神の国の中に教会は含まれていますが、教会に属していない方でも、神の国に属することになります。
教会に誰が属しているのかは分かりやすいですが、神の国に誰が属しているかは、神だけがご存知なのです。

17.教会(七) 対話する教会

17.教会(七) 対話する教会

第二バチカン公会議がもたらしたもう一つの変化は、他宗教との対話です。つまりカトリックとそれ以外の宗教、教団、又は無神論者の中にもたくさんの良い事、正しい事、美しい事があるとすれば、互いに知り合いたい気持ちが生まれてきます。対話することによって、互いの偏見をなくし、色々なことを学ぶことができるようになります。
それで現在カトリック教会は、他宗教と色々なレベルで対話するようになりました。対話することによって、相手をもっと理解できるし、対立よりも和睦の方が真実に近づくことができる様になるのだと思います。または異なる宗教の間で言えることは、人間関係においても言えるでしょう。圧力、争いや軽蔑などは憎しみしか生まれませんが、
理解と寛大な心は、幸せを生み出すのではないかと思います。

18.教会(八)聖書中心としての教会

18.教会(八)聖書中心としての教会

教会(八)聖書中心としての教会

第二バチカン公会議がもたらした大きな変化は、カトリック信者の手に聖書を返すことでした。宗教革命(1517年)の時ルターが訴えたのは、信者が聖書を読むときは聖霊に導かれているので、仲介者としての教会はいらないということでした。しかしカトリックの教えは、聖書は教会の伝統的な教えの流れの中に、そして全世界の司教はローマ司教(教皇)を中心として読むべきものだと思っています。それで信者が勝手に聖書を読んで解釈しないように、教会で神父の説明と共に読むべきことを決めたのです。
そして聖書から主な信じるべきこと、守るべきことを取り出して公教要理という本を作りました。この本は問答の形で信者を教育する大事な道具になったのです。
残念ながら一時的な対策であったはずなのに、ずっと480年位続きました。第二バチカン公会議(1962~65年)をもって、幸いなことにもう一度信者は個人的に聖書を読むように強く勧められたのです。ただ聖書を正しく理解できるように、ある程度の予備知識と教会の指導のもとに読むことが好ましいものだと思います。

19.教会(九)

19.教会(九)

典礼の改革
信者に直接一番関係がある第二バチカン公会議がもたらした変化について、最後として典礼のことを簡単に説明したいと思います。カトリック教会では、ミサをはじめとして、すべての秘跡と祈りはずっとラテン語でした。昔ヨーロッパ全土ではラテン語を使っていたので当然でしたが、少しずつ各国はラテン語の代わりにそれぞれの国の方言を使うようになったので、ラテン語が通じなくなってしまいました。しかし教会は普遍性を大事にしてラテン語を使い続けたのです。その上ラテン語は使われなくなったので、言葉の意味が変化する危険がなく、信仰を表すために一番安全でした。しかし信者はだんだん教会から離れて、宗教教育を受けなくなったので、祈りは各国の言葉に変化する必要性を強く感じるようになりました。
日本では文語体か口語体かという問題が起こったのですが、できるだけ分かりやすくするために、すべての典礼と祈りが口語体の形で訳されました。
でも一番問題になったのは聖歌でした。ずっと大事にされていたグレゴリアン聖歌はラテン語を基礎にしていたので、突然音楽的にレベルが高いグレゴリアン聖歌が使えなくなってしまったのです。“ポピュラー”な聖歌はありますが、各国それぞれの言葉で、レベルの高い音楽を作るのはこれからの重大な宿題となっています。

20.教会(十)

20.教会(十)

エキュメニカル
今年2月号には“対話する教会”について一言書きました。その結果としては、他宗教との対話の中で、バラバラになっているキリスト者の一致を積極的取り戻すために、キリスト教一致を求める運動(エキュメニカル)に参加しました。
それに参加する教会の一つの道しるべとして、次の8つの指導があります。
* エキュメニカル運動のあり方
1. 他の教会を批判しないこと。それよりも自分の教会の中で、キリストの精神に合わないことをなくす努力をする。
2.互いのものの考え方は、どこで違うかでなくて、どこが同じであるか共通点を探すこと。
3.互いにキリストを大事にしているもの同士なのだから、心から相手を尊重する。
4.付き合う時は、情報交換はよいが議論は絶対にしないこと。
5.できるかぎり人間的なふれあいを持ち、特に社会のために共に活動すること。
まず相手の気持ちをつかんで初めて考え方が同じになる。
6.無理な改宗を勧めないこと。(proselytismを避ける)
7.祈りの中に一致を求めること。
8.多様性の中の一致、信仰は同じであれば表現の仕方、きまり、組織などが違ってもかまわない。

21.パウロ(1)

21.パウロ(1)

去年の1月から「聖書における人物」の紹介の中に、聖母マリアとペトロについてちょっと書き始めましたが、カトリック教会においてペトロは重大な役割があるので、教会について何回か書きました。今月からもう一度、「聖書の人物」の紹介を続けたいと思います。
十二人の使徒ではありませんでしたが、パウロという人物は宣教活動と手紙をもって新約時代において一番大事な人物だったといえると思います。パウロは、イエス様がこの地上で生きた時には会うことがなかったでしょう。何故かというと、パウロはキリキアのタルソ(現在トルコにあたる)の町で生まれ育ったからです。親はユダヤ人でしたが、パウロはユダヤ人でありながら、ローマ帝国の国籍を持っていました。大人になってからエルサレムの町でファリサイ人として勉強をしながら、キリスト教に激しく反対しました。キリスト教の最初の殉教者であるステファノの殺害に直接に参加できないので、(おそらく30歳にまだなっていなかったのでしょう)石殺しをしている人達の服の見張り役をしていました。西暦34年~36年頃、ダマスコにキリスト信者を逮捕するために向かう途中で、パウロは奇跡的に回心させられました。
次号に続く

22.パウロ (2)

22.パウロ (2)

パウロはダマスコにおいて洗礼を受けてから3年間アラビア地方で生活をしました。その3年間についてパウロはどう過ごしたのか書かれていませんが、彼にとってその時間はとても大事なものでした。何故ならば、その時イエスとの親密な体験があり、幻の中にも自分の信仰を深めたからです。
そのあとダマスコに戻って、一生懸命宣教活動を始めましたが、ユダヤ人から殺されそうになり、そこから逃げてエルサレムに行ったのです。しかしそこでも同じように命が危なくなって、信者達から逃げるように勧められたのです。そのあと生まれたところであるタルソに戻り、数年間そこで過ごしましたが、そこでもどんな生活をしたのか聖書には書いてありません。
タルソから呼び出されたのは、パウロの友達であったバルナバによってでした。パウロはバルナバと共にシリアのアンティオキアで一年間ほど活躍しました。その教会では大部分の信者がユダヤ人ではなかったのです。そこでパウロは本格的に異邦人に対しての宣教を計画して、47年頃に第1回の伝道旅行を始めました。

23.パウロ (3)  第一の伝道旅行

23.パウロ (3) 第一の伝道旅行

パウロはバルナバと何人かの人達と共に47年頃シリアのアンティオキアの教会から異邦人への宣教を本格的に始めました。最初はクプロ島へ行き、そこでは割合に楽に宣教ができて島の総督さえ回心しました。その後そこを去ってパンフィリア地方(現在トルコ中部の南)へ行きました。そこでマルコと呼ばれているヨハネは最初の町であったベルガにたどり着いた時に帰ってしまいました。そのことをパウロは非常に怒りました。
パンフィリアにおいてパウロの伝道の仕方はどんな町に行っても同じでした。まずユダヤ人の会堂に行き、そこで旧約聖書から始まって、イエスの死と復活を伝え始めました。その後異邦人もパウロの話を聞いて、大勢の人は信仰を求めるようになりました。
使徒行録によると特にパンフィリアにおいて、パウロは五つの町を訪ねました。最初は大勢の人がパウロについていくのですが、間もなくユダヤ人の反対が強くなり、町から追い出されます。一番ひどかったのはルステラという町で、ユダヤ人はパウロに石を投げ(ユダヤ人の死刑のやり方)、パウロが死んでしまったと思ってそのままにして行ってしまいました。幸いにパウロの仲間は彼を守り、命を助けられました。
最後に訪ねたのはデルベでしたが、そこからまた逆戻りして前に訪ねた町に行き、新しく信者になった人を励ましてから、もう一度シリアのアンティオキアに戻りました。第一の伝道旅行は約二年間でした。

24.パウロ (4) 異邦人と律法の問題

24.パウロ (4) 異邦人と律法の問題

第一の伝道旅行から帰ってきた後、教会において一つの大きな問題が起こりました。
キリストを信じたユダヤ人でない人は、モーゼの律法を守るべきかどうかという問題でした。多くのキリスト信者はユダヤ人だったので、彼らが長い間待ち望んでいた救い主はイエスだと信じていたので、本当のユダヤ教はイエスによるものだと思って、キリストを信じる異邦人もユダヤ教つまりモーゼの律法を受け入れるべきと思っていました。これに対してパウロは猛烈に反対しました。私たちが救われるのはキリストによってなので、モーゼの律法は異邦人にとって関係がないと訴えました。その問題を解決するために教会ははっきりした態度を示すべきだったので、エルサレムに教会の主な人々が集って、議論の末に決めました。やはり異邦人にユダヤ人の律法〈=文化〉を押しつけることは必要ないという結論でしたが、ユダヤ人の気持ちを汲んでちょっと妥協したのは次のようなことでした。“偶像に備えたものとみだらな行いとしめ殺した動物の肉と血とを避けるようにしなさい”(使徒行録15章20節)
そのようなことでキリスト信者になったダヤ人たちは納得したわけではありませんでしたが、教会としての方針ははっきりされたのです。

25.パウロ (5) 第二の伝道旅行

25.パウロ (5) 第二の伝道旅行

AD50年~53年頃パウロは第二の伝道旅行を始めます。残念ながらパウロとバルナバの間で、誰を一緒に連れていくかについて意見が対立し、二人はそれぞれ別の仲間と出発しました。この第二の伝道旅行は、三回の伝道旅行のうちで一番大事なものと思われます。
第一の伝道旅行の時に作った共同体を再び訪ねてからガラテア地方に入り、そして一つの夢をみたことによって、突然マケドニアとアカイア(現在のギリシャ)へも行くことになりました。パウロが訪ねたところは現在のトルコの南東と中央部でした。
そこでアテネを除けば大勢の人がパウロの言葉を信じましたが、成功と同時にユダヤ人から迫害されていつも逃げるしかなかったのです(例えばフィリピ、テサロニケ、ペレアなど)。アテネでは神様について興味深くパウロの話を聞きましたが、その神が人間になり十字架上で死に、復活したということを聞いたとたん皆離れてしまいました。
アテネでは成功しませんでしたが、その次に行った町コリントでは1年半か2年くらいの間に、大勢の人がパウロの言葉を信じて洗礼を受けました。その時までに作った教会の中で、コリントは一番大きな教会だったと言えるでしょう。
コリントに滞在した時に、おそらくテサロニケ人への第一の手紙と第二の手紙を書き送ったのでしょう。その後もう一度エルサレムとアンティオキアに戻りました。

26.パウロ(6)第三の伝道旅行と監禁(エルサレムの騒動)

26.パウロ(6)第三の伝道旅行と監禁(エルサレムの騒動)

第三番目の伝道旅行(53年~56年)は、もう一度アンティオキアから始まります。フリージャとガラテア(現在のトルコ)にある教会を訪問してから、自分の大部分の時間をエフェソの教会の設立と発展の為に費やしました。そのエフェソでは初めてユダヤ人でない人々から反対されたのです。それはその町で崇拝されていたアルテミスへの信心によって多くの人の商売が成り立っていたので、キリスト教に改宗する人が多くなるにつれて、自分達の商売に悪い影響を与えるようになり、激しくパウロに反対したのです。
またエフェソにいる間にコリント人への第一と第二の手紙、又ガラテア人、フィリピ人、ローマ人への手紙を書きました。その後、マケドニアとアカイア(現在のギリシャ)の教会を訪問してから一度エフェソに戻って、教会の指導者たちに感動的な別れを告げ、エルサレム教会の為に集めた諸教会の募金を携えて、直接に船でエルサレムに戻りました。
そこで何人かの人と神殿に行こうとして、ユダヤ人に攻撃されたのですが、幸いローマ人から助けられたのです。しかしユダヤ人から裁判を受けるところだったのですが、パウロを殺そうとする陰謀に気が付いたので、もっと安全な町であるカイザリアに連れていかれました。そこで総督フェリクスはパウロの無実を認めましたが、パウロからお金を取ろうと思って三年間牢屋に入れておきました。フェストという新しい総督が来た時、パウロはローマ人としてローマで裁判を受けたいと願って、その許可が下りました。
58年頃ローマに船で出発しました。

27.パウロ(7) ローマにおけるパウロ

27.パウロ(7) ローマにおけるパウロ

パウロはやっとローマに向かって出発します (58年) 。残念ながら乗った船はマルタ島の近くで遭難してしまいます。マルタではパウロは色々な人を治したので、大勢の人は彼を神様だと思ったのです。三ヶ月経ってから別の船でローマへ向かいました。ローマでは大勢の信者はパウロの色々な艱難を知っていたので、パウロを迎えに行き大歓迎しました。
パウロはそこで軟禁されましたが、自分の家に住むことは許されたのです。パウロの裁判がどうだったかは書いてありません。ローマの滞在期間に色々な手紙を書きました。(フィリピ、フィレモン、コロサイ、エフェソ、テモテとテトスへの手紙)
その後のパウロの行動ははっきりわかっていません。ある人は東の方に短い旅をしたと言っていますが、スペインに行ったという説もあります。しかしはっきりした証拠がありません。
パウロが殉教したのは(斬首)、ネロ皇帝の死ぬ前でしたので、おそらく67年か68年頃だったと思われます。ローマの教会の伝承によりますと、現在建っている“城壁外のパウロ大聖堂”の近くだったと思われます。パウロは聖書も地中海の文化もよく知っていたので、聖書の人物の中で一番国際的な人物であると言えるでしょう。
彼の外面的な姿について何もわかりませんが、彼の情熱と精神力は素晴らしいものだったと思います。その後のキリスト教はパウロ抜きには考えられないものになったのです。

28.アンドレ、ヨハネとヤコブ、ヤコブ

28.アンドレ、ヨハネとヤコブ、ヤコブ

十二人の使徒たちの人物は昨年ペトロだけについて書きましたが、これから他の人についても一言申し上げたいと思います。初めにペトロの兄弟アンドレのことを紹介します。
アンドレ
アンドレはマタイ福音書(4章18~22)によりますとペトロと共に漁師の仕事をしていましたが、途中でイエスから呼ばれてついていきました。福音書には、弟子たちのリスト以外には2回しか彼のことは出ていません。一つはイエスがパンと魚を増やした時(ヨハネ6.5~8)、もう一つはあるギリシャ人がイエスに会いたがっていたので案内した時(ヨハネ12.22)です。昔からの言い伝えによりますと、現在のトルコとギリシャで宣教しましたが、最後にパトラッソという町で十字架につけられてしまいました。しかしその話は歴史的な根拠はありません。
ヨハネとヤコブ
この兄弟はペトロとアンドレと同じように漁師だったのですが、イエスの呼びかけによってイエスについて行ったのです。福音書にはたびたびイエスはペトロとその二人の兄弟を選んで、特別な出来事の証人にしました。例えばイエスの変容(マタイ17.1)、 イエスがペトロの姑を回復させたとき(マルコ1.29)、ヤイロの娘の蘇り(マルコ5.37)ゲッセマネにおけるイエスの祈り(マタイ26.37)等々です。彼らのあだ名は雷の子だったので、きっと二人とも物静かな性格ではなかったようです。
ヨハネは十二人の使徒達の中で一番長生きをして自然に亡くなった人です。またヨハネはエフェソに住んでマリア様の面倒をみてさしあげたでしょう。十二人の中で彼は一番若かったので、イエスから可愛がられたという話もあります。
ヤコブはエルサレムにおいてアグリッパ王から首を切られたのです(西暦40年代の初め)。
ヤコブ
このヤコブは前述のヤコブ(大ヤコブ)に対して小ヤコブと呼ばれ、アルファイの子でイエスの兄弟と言われていました。エルサレムにおける最初の教会の責任者でもあったのです。外国人はモーゼの律法を守るべきかという問題について話されたとき、彼は大事な働きをし、それによってパウロの宣教を支持しました (使徒行録15.13~23)。新約聖書に出てくるヤコブの手紙はこのヤコブが書いたものです。彼の死については何もわかっていません。

29.マタイ、フィリッポ、バルトロマイ(ナタナエル)、タダイ(ユダ)、イスカリオテのユダ

29.マタイ、フィリッポ、バルトロマイ(ナタナエル)、タダイ(ユダ)、イスカリオテのユダ

十二人の使徒たちの紹介について、今回はまずマタイから始めます。
マタイ
マタイの名前は使徒たちのリストに出てきますが、その他では彼の回心はマタイの福音書(9.9~13)マルコ福音書(2.13~17)ルカ福音書(5.27~32)(マルコとルカではレビと呼ばれている)に出てきます。
福音書の作者と言われていますが、実際には作者は誰であるのか聖書学者たちは一致していません。マタイ福音書の大部分が書かれたのはキリスト信者であるユダヤ人から、そして西暦70年代に、つまりエルサレムの滅亡の後に書かれていると思われます。四つの福音書の中に一番ユダヤ的と言えるでしょう。マタイ福音書はマルコによる福音書の影響が大きいとみられています。
フィリッポ
ガリラヤのベトサイダの出身で直接にイエスから呼ばれました。彼はナタナエル(バルトロマイ)をイエスのところに連れてきました。またイエスがパンと魚を増やしたとき、イエスとちょっとした話をしました。ギリシャ人からイエスのところに連れて行くように頼まれ案内しました。またフィリッポはイエスに「御父を見せてください(ヨハネ14.8)」と願ったことが書かれています。彼の人生と働きについては何もわかりません。
バルトロマイ(ナタナエル)
彼についても少ししかわかりません。フィリッポの友達でしたが、イエスはバルトロマイに会った時「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」(ヨハネ1.47)とおっしゃいました。言い伝えによりますと、シリアで皮剥ぎの刑で殉教したようです。
タダイ(ユダ)
彼の名前は使徒たちのリストに出ているだけです。ルカ福音書には使徒たちのリストの中でタダイの代わりにユダと書いてあります。ヨハネ福音書にはユダはイエスに、「主よ、私たちにはご自分を表そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」(ヨハネ14.22)と言います。彼はアルメニアの最初のカトリコス(教会の長)でした。
イスカリオテのユダ
使徒たちのリストに書かれる時はいつも裏切り者と付け加えられます。彼が有名になったのは、30デナリオンでイエスを裏切ったこと、そののち後悔して自殺をしたことです。なぜ彼はイエスを裏切ったのか、いろいろな聖書学者は説明しようと試みましたが、確実なことは分かりません。ただ言えることは、イエスを裏切ったことよりも、ペトロのように自分の過ちを謙虚に認めてイエスのところに戻ることができなかったのが残念です。

ミニ教理2 バックナンバー

1.理想、現実、ゆるし

1.理想、現実、ゆるし

マリオ バラーロ神父
このミニ教理を通して今まで新約聖書の主な人物について、皆さんに‟電報的に”紹介してきましたが、これから片瀬教会の聖書講座に基づいて、いくつかの点について話をしたいと思います。
まず始めに申し上げたいのは、自分たちの生活と聖書の教えのギャップについてのことです。
福音書を読んでみると、イエスが示した生き方と、自分の人生の状態との距離が大きすぎるので、まじめな人であればあるほど、キリスト信者になるのは無責任であるかのように感じると思います。しかしイエスが示した理想的な生き方は、目指すべき目的であって、出発点ではないのです。イエスがおっしゃる通り百パーセントできないにしても、それに向かって歩めばよいのではないかと思います。
もう一つ考えて頂きたいのは、イエスの望む通りにできないからこそ‟罪人”であるということです。イエスが救い主と呼ばれるのは、私たちの罪をすでにゆるしてくださった方だからです。そういうわけで、罪の意識を持つことによって、イエスの有り難さを感じるはずです。
罪の意識を持ちながら生きることは、人生が暗くなるのではなく、謙虚に自分の弱さを認めながら、支えであるイエスがいつもついていて下さると思って、明るく生きていくことができるのです。

2.信仰の心構え

2.信仰の心構え

信仰は神の恵みですが、その恵みを受け入れるために、いくつかの準備が必要だと思います。
1.まず信じたい気持ちがなければ話は始まりません。たとえばある人を好きになるなら一緒になりたいのは自然でしょう。逆にその人に興味がなければ、いくら見合いをしても話はまとまらないでしょう。同じように信じたい気持ちも持つか持たないかによって、人は信仰を探し求めるか、無関心のままで残るか決まるでしょう。信じたい気持ちは本からは得られないし、どこかで買うこともできません。人生を歩みながら、その気持ちを持つようになるかどうかだと思います。
2.信じたい気持ちがあるなら次のステップとしては、何を、誰を信じたらよいか、なぜ信じるか又はなぜ信じないか、問題になります。そこでどうしても考えることや、ある程度勉強することが、必要になると思います。
3.学んだことは自分の生活の中に生かしておくことだと思います。すべて頭だけに留まっていれば学者になるかもしれませんが、信仰者にはなれないでしょう。
4.先ほど申し上げたように、キリスト教では信仰は神の贈り物であるし、神とつながるものなので、祈りなしに信仰を得るのは無理でしょう。つまり信じたいならまず心から祈り求めるべきでしょう。

3.宗教に対する考え方1

3.宗教に対する考え方1

日本における宣教活動をしながらいくつかの問題にぶつかりましたが、今回はその中の一つを紹介したいと思います。
それは‟宗教は弱い人のためにある”ということについてです。
日本では、宗教に激しく反対する人はあまりいないと思います。その代りに宗教に頼る人は弱い人だと思っている方がたくさんいらっしゃると思います。例えば病気の人にとってお医者さんは有難い存在ですが、元気だったらお医者さんは関係ないと同じように、生きるために宗教的支えがなければ生きてゆけない人にとって、宗教は有り難い存在ですが、宗教の支えがなくてもやっていける強い人なら宗教はいらないでしょう。
しかしキリスト信者にとっては神から生かされていると思うし、その神が人間になって私達に生きるべき道を教えたし、そして十字架上で自分自身を捧げてくださったので無視するわけにはいかないでしょう。大人になって親から独立しても、親に対する感謝と尊敬、愛情などを持つのは当然です。神も同じで、神から生かされていると信じれば、神に対して感謝と尊敬、愛情などを持つのは当たり前でしょう。つまり、キリスト信者は、神と人間の関わりは宗教だと思っています。したがって強くても弱くても神を信じるなら無視するわけにはいかないでしょう。

4.宗教に対する考え方2

4.宗教に対する考え方2

今回も前回に続いて宗教についてですが、キリスト教的な感覚と多くの人の思いの違いについて考えてみます。その中に次のようなこともあると思います。
一つの宗教を選べば、考え方と心が狭くなるということです。果たしてそうでしょうか。確かにこのような印象を与える信者がいると思いますが、聖書の教えはちょっと違うと思います。パウロのフィリピ人への手紙にはこう書いてあります。
‟真実であること、尊ぶべきこと、神のみ前に正しいこと、清いこと、愛すべきこと、評判の良いこと、また、なんらかの徳や称賛に値することは、全て心に留めなさい。”
フィリピ 4.8
パウロはキリスト教にある良いもの、称賛するもの、清いものなどはキリスト教だけにあるとは書いていません。それらはどこにあっても神に通じることだし、他の宗教であっても受け入れられるので、決して頭と心が狭くならないはずです。教皇フランシスコがよい例だと思います。カトリック以外のものにあるすべての良い点を喜んで認め、互いの共通点をよく強調しています。私達も大きい心で同じようにしましょう。

5.宗教に対する考え方(3) 

5.宗教に対する考え方(3) 

三番目として感じた宗教についての偏見は、戦争と争いの原因であるということです。現代日本では宗教に対して警戒心が強くなっているような気がします。何故なら時々歴史を見ても現代社会を見ても原因であるように見えることがあるからです。それで宗教にあまり触れないほうが無難だと多くの人は思っているでしょう。果たしてそうでしょうか。確かに宗教が中心になって戦争が起こったような印象があります。しかしよく調べてみますと、その戦争や争い、テロなどの下に隠れている本当の原因は、権力、国粋主義、経済的な理由などにあると思っています。しかしその上に宗教がかぶっているので、宗教のせいにしてしまうのではないでしょうか。
逆に宗教のない世界ではどうでしょうか。例えば二十世紀を振り返ってみますと、一番たくさんの人を殺したり苦しめたりしたのは、共産主義とナチの思想ではないでしょうか。この二つは無神論に基づいていたのです。
又個人のレベルで考えても、宗教を持っている人は間違いを起こしたら、大抵それは自分の信仰に反すると気が付いて、悔い改めようと思うでしょう。しかし何も信じていない人なら自分の罪を隠せばそれでよい、又はだんだん悪をくり返すことによって、その悪を善に変えてしまうのではないでしょうか。善と悪の基準は自分に都合がよいかどうかで決めてしまいます。残念ながら人間は弱いので、信仰があっても無くても悪を行います。しかし個人としても社会としても歴史を見れば戦争、争い、テロなどの原因は宗教ではなく、個人の欲望、利己主義と傲慢な心であるのではないでしょうか。

6.祈りについて

6.祈りについて

今回祈りということについて一言申し上げたいと思います。
まず理解していただきたいことは、祈る前に神と共にいたい、それができなくてもキリストと共に生きていきたいという気持ちを持つことです。そうでなければ、祈りは始まらないでしょう。
これを踏まえて、今回申し上げたいのは、祈りはただ神に向かって何かを言う前に、まず神に聴くことです。つまり神が私にどんなイメージを送って下さるかを理解することでしょう。
神が人と通じるために良心をお与えになったのです。そうであれば、神から創られた人間は良心の声を聴くことによって、神に聴くことになるのです。
もう一つの大事なこととして、神は人間の良心の判断がおかしくならないように、神の言葉(聖書)を通して私たちに話しかけて下さいます。
三番目のことは、自分たちの人生の出来事を通して、神は私たちをどこに連れていこうと思っているのでしょう。このやり方は時々人生の最後まで理解できないかもしれませんが、それを考えることは神に聴くことになります。
今回は祈るために、聴くことを覚えておきましょう。来月は神と話すということについて考えてみたいと思います。

7.祈りについて(ニ)

7.祈りについて(ニ)

先月祈るためにまず“聴く”ことが大事だと書きましたが、今回は神の声を聴いてから、神に向かって話すことを強調したいと思います。
神に何を言ったらよいでしょうか? 皆さんは一日が終わった時、色々なことをお考えになるでしょう。今日はどうだったか、明日はどんなことをすべきかなどです。一人で考えたなら、反省したと言えるでしょう。イエス様を相手にして同じことを考えたら、祈りになると思います。日によって違うかもしれませんが、神に感謝する日があれば、ゆるしを求める時もあります。しかし大抵私たちの祈りは求める祈りだと思います。時々神が自分の祈りを聞き入れて下さった感じがする時があれば、無視されたように感じる時もあるでしょう。でも私にしてみれば一番良い祈りの仕方は、イエスが十字架につけられる前の晩におっしゃった言葉だと思います。
“主よ、できればこの杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし私の願い通りではなく、
御心のままに” マタイ26章36節
つまりお願いしたいことを求めるのは良いのですが、求めるべきなのはまず神の思し召しでしょう。願う祈りは人生の試練から免れるよりも、その試練を乗り越える力を頂くためにあるのではないかと思います。

8.神について

8.神について

率直に言えば、キリスト教の唯一の創造主である神を表すために、神という言葉は大変誤解しやすい言葉だと思います。例えば日本では、八百万(やおよろず)の神があります。その考え方は多神教に近いので、キリスト教の考え方と随分違います。仏教では神という思想がありません。日本の文化は仏教と神道に基づいているので、フランシスコ・ザビエルの時代から、キリスト教的な神の観念を表すための適切な言葉がなかったのです。今でもありません。そこで迷いながらも長い間“天主”という言葉を使いましたが、第二次世界大戦の後からどんどん“神”を使う様になりました。しかし最初に言ったように、神というとキリスト信者の思う神と、神道の方が思う神とは全然違います。
神は不可解な方で、完全に理解することができませんが、聖書によりますと特に次の四つの特徴があげられます。つまり神は、唯一であり、創造主であり、全能で、私達を愛して下さる方です。ユダヤ教もイスラム教も同じ神を信じていますが、彼らは神が人間になったことをどうしても認められませんので、同じ一神教であっても大きな違いがあります。

9.生き方について(一)

9.生き方について(一)

キリスト教の生き方の手本になるのはご存知のように、「心を尽くし、精神を尽し、思いを尽してあなたの神である主を愛しなさい。又隣人を自分のように愛しなさい」そこに聖書の教えが全部含まれているのですが、もう少し具体的にするために有名な“モーゼの十戒”があります。
最初の三つの掟は、神と人間との関わりについて書いてあります。四番目から最後までの掟は人間同士の関係について書かれています。それはどんな人間にも心に刻まれていますので、分かりやすいでしょう。おそらくちょっと難しいのは、神を愛することではないでしょうか。それで今回最初の三つの十戒について、一言申し上げたいと思います。まず、
第一戒「私は神である。神以外の他のものを拝んではならない」
つまり神の存在を認めて、神を“一番の隣人”だと思って信頼と愛情を神に表すことではないかと思います。
第二戒「神の御名みなをみだりに言ってはならない」
つまり神に対する尊敬の気持ちを態度で示すことは、一つの愛の形ではないかと思います。
第三戒「安息日を聖とせよ」
今で言えば日曜日は神の日として、まず神のことを優先しなさいという意味ではないでしょうか。モーゼも教会も一つの具体的なこととしては、神の日には仕事を休むこと、そして共同体として神を賛美することでしょう。
まとめて言えば、神を愛するというのは、神を信じ、尊敬し、そして神のために時間を取っておくことでしょう。現代社会では、これを守るのは難しいですが、しかしミサに与りたいと思えば、その方法はきっと見つかるでしょう。与りたくないのであれば、色々なことを神よりも優先するでしょう。

10.生き方について(二)

10.生き方について(二)

先月、神を愛するとはどういうものであるか、モーゼの十戒の最初の三つの掟を参考にしました。つまり神を愛するなら、少なくとも神を信じ、尊敬し、神のために時間を取っておくということでした。
今回の掟、つまり“隣人を自分のように愛しなさい”という言葉は人間同士のもので、どんな人間にしても、すでに心に刻んであると思います。もう少し具体的に言えば、残った六つのモーゼの掟が参考になると思います。
説明をわかりやすくするために、順序を変えました。お許し下さい。

第四戒  父母を敬え
第五戒  殺してはならない
┌第九戒  他人の妻を望んではならない・・・ 望み
└第六戒  姦通してはならない  ・・・ 実行
第八戒  偽証してはならない
┌第十戒  他人のものをみだりに望んではならない ・・・ 望み
└第七戒  盗んではならない      ・・・ 実行

十戒は、残念ながら人間が全部破っていますので、そこから様々な不幸が生まれてくると思います。
神が望むように生きる為に、大きなが必要ですし、又は失敗を乗り越える為に、謙虚さ(過ちを認めること)と希望(がっかりしないこと)が必要なものですので、それを得るために、祈り求めることが大事ではないかと思います。

本・DVDの紹介

キリスト教は役に立つか  来住英俊新潮社

イエスの教えは「孤独」に効く!
信仰とは無縁だった灘高・東大卒の企業人は、いかにしてカトリック司祭に転身したか。漠然と抱え続けてきた「孤独感」を解消できたのはなぜか。旧約聖書から新約聖書、遠藤周作からドストエフスキー、寅さんからエヴァンゲリオンまで、幅広くエピソードを引きながら、ノン・クリスチャンの日本人にも役立つ「救いの構造」をわかりやすく解説する。

聖書を読んだ30人  鈴木範久  日本聖書教会

各方面で活躍した日本人がキリスト信徒であるなしに関わらず、聖書とどう向きあい、生き方にどのような影響を受けたか。本書は時に意外と思われる人々と聖書との関りを集めています。それを日本キリスト教史研究の第一人者で、内村鑑三研究家としても知られる鈴木範久氏(立教大学名誉教授)が、一人一人が残した聖書を丹念に調べ、探りました

生きる哲学  若松英輔  文春新書

人間についての普遍的な原理を難しい言葉で記述するばかりが「哲学」ではない。書物に書かれている高尚な哲学ばかりが「哲学」ではない。ときに肉声のなかに、手紙のなかに、あるいは人知れぬ行為のなかに、真の哲学は宿っている。
祖国を離れ、ひとり異国の地でひたすらに歩いた作家・須賀敦子。強制収容所で絶望を目の当たりにしながら、人生の意味を深く問うた精神科医・フランクル。食に命をこめる料理研究家・辰巳芳子。震災や戦争に際して遺族に祈りを捧げた美智子皇后。
歩く、祈る、見る、聴く、喪う。「悲しみ」ともいうべき人生の場面で言葉を紡ぎ、ある哲学を体現した者たちの「生きる哲学」を、その行為のなかに読む。

イエス伝  若松英輔  中央公論新書

私のイエスは、「教会」には留まらない。むしろ、そこに行くことをためらう人のそばに寄り添っている。聖書には、書かれた言葉の奥にある不可視のコトバが無数に潜んでいる。そしてイエスの生涯には、立場の差異を超え、作り手の衝動を著しく刺激する何かがある――
内村鑑三、『コーラン』、遠藤周作、シュヴァイツァー、リルケ、ユング、柳宗悦、井筒俊彦、ロダン、白川静……先人たちのコトバを手がかりに聖書を読み、今も私たちの傍らに生きるイエスに出会う。

回勅 ラウダート・シ  ―ともに暮らす家を大切に― 教皇フランシスコ  カトリック中央協議会

2015年5月に公布された、フランシスコ教皇の二つ目の回勅です。
LAUDATO(ラウダート) SI(シ) は「あなたはたたえられますように」という意味で、アッシジの聖フランシスコの「太陽の歌」で繰り返されるフレーズです。人類の集団的利己主義によって「ともに暮らす家」すなわち地球が危機的状態にある今、消費主義的なライフスタイルを転換するように教皇は訴えておられます。教会内にとどまらず、多くの方に読んでいただくことを期待しています。