祭壇の花シリーズ

典礼や季節に合わせて祭壇の前に花を生けています。
いままで生けた花を一部ご紹介いたします。

海外の教会紹介

サン ペトロニオ大聖堂 Basilica di San Petronio  ボローニャ イタリア

サン ペトロニオ大聖堂 Basilica di San Petronio  ボローニャ イタリア

ボローニャの司教から守護聖人となった聖ペトロニオに奉げられたゴシック様式の大聖堂です。1390年に着工され、未完のままとされています。その大きさはヨーロッパの6つの大聖堂(サンピエトロ、 セントポール、セヴィリア、フィレンツエ、ミラノ)の一つで、幅60m奥行き132m高さ51mです。教会は通常十字架の形をしていますが、この教会は長方形。十字に伸ばそうとした部分の壁がちぎられ埋められていて、1659年そこで工事が止められました。バチカン聖堂より大きくなることを許されなかったということです。正面は『聖母マリアと幼子キリスト』その両側に「聖ペトロニオ」「聖アンブロージョ」の彫刻で飾られ、ピンクと白の大理石で仕上げられています。ただ上方半分はレンガのままです。自治都市の象徴でしたが人々からの費用が不足したとか、いまだ工事中の証ともいわれています。内部には天井に開けられた小さな穴から光の筋が差し込んで床の時計を指しています。正午の時点での陽の差す長さによって日付が分かるという子午線が刻まれています。2017年10月フランシスコ教皇が移民を受け入れている都市ということで訪問なさいました。

プリマダ大聖堂(Catedral primada de Colombia) ボゴタ コロンビア

プリマダ大聖堂(Catedral primada de Colombia) ボゴタ コロンビア

ボゴタの歴史地区の中心、ボリバル広場の北東に建つ無原罪のお宿りの聖母マリアに奉げられた大聖堂です。1538 年スペインの征服者により、かやぶき屋根の礼拝所がこの地に建てられました。その後、地震などで数回建て直されました。現在の建物は1807から1823年にかけてネオクラシック様式で建てられました。内部には無原罪の聖母マリア像をはじめコロンビアの歴史上の人物の聖廟があります。
また1890年にスペインの工房で建造されたパイプオルガンが遺されております。今年(2017年)フランシスコ教皇が訪問なさりミサを司式なさいました。

ブエノスアイレス大聖堂(Catedral Metropolitana de Buenos Aires) ブエノスアイレス アルゼンチン

ブエノスアイレス大聖堂(Catedral Metropolitana de Buenos Aires) ブエノスアイレス アルゼンチン

ブエノスアイレスの中心地であり発祥の地でもある「5月広場」に面しています。1580 年、最初の大教会が この地に建てられました。その後18~19 世紀の建築様式を融合したネオ・クラシック様式の大聖堂が1827年に完成しました。ファサードには、十二使徒を表した古代ギリシャ風の柱が12本並んでいます。柱の上には、ヨセフが兄弟や父ヤコブと再会した場面(創世記)が彫られています。内部には壮麗な装飾が施された大理石の霊廟があり、それはホセ・デ・サン マルティン将軍のものです。サン マルティン将軍は、アルゼンチンをはじめとする南米諸国をスペイン統治から解放する革命を指揮した国民的英雄です。主祭壇の金箔の木製祭壇画「聖母ブエノスアイレス」は植民地時代の1785 年に作られました。大聖堂の一部は、かつて軍事政権時代にクーデターで破壊されたこともあり、アルゼンチンの近代史を刻んだ建物でもあります。現教皇フランシスコはこの大聖堂出身で、南米からの初の教皇様です。聖堂内には教皇様の「これまでの活動の展示」の部屋も設けられています。

パルマ大聖堂 (Cattedrale di Santa Maria Assunta) パルマ イタリア

パルマ大聖堂 (Cattedrale di Santa Maria Assunta) パルマ イタリア

パルマはリグリア海からの潮風がアペニン山脈に当たり林を通り抜けて来るため木の香が移り美味しい生ハムを熟成させる地になりました。それはパルメジャーノ・レッジャーノというチーズと共にこの街の繁栄を支えて来ました。この街の豊かさによって教会も維持されてきました。大聖堂、鐘楼 洗礼堂、そして司教館も広場に面して建てられています。大聖堂は1074年に創建され、1178年に完成したロマネスク様式。奉献は完成前の1106年に行われたので2006年に献堂900周年となりました。内部はパルマ出身の画家コレッジョによって1524年から1530年に高さ20mのクーポラに描かれた「聖母被昇天」を初めとして、全面がフレスコ画で覆われています。有名な洗礼堂は1196年に建設が始められました。外観がピンクの大理石で8角柱、入り口はロマネスク様式、内部は16面、高さ35m、全面フレスコ画で圧倒されます。旧約、新約の物語、四季の労働の様子、12世紀頃すでにオリーブオイルを作っていた様子も描かれています。当然キリストの洗礼場面がひときわ大きく描かれています。

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂( Basilica di San Giovanni in Laterano)ローマイタリア

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂( Basilica di San Giovanni in Laterano)ローマイタリア

A.D.324年に献堂されました。ローマ皇帝コンスタンティヌスによりキリスト教が公認された10年後です。教皇の住まいである教皇庁(ラテラノ宮殿)と、司教座の置かれる大聖堂です。10世紀にローマ唯一の洗礼堂も建てられ洗礼者ヨハネに奉げられました。12世紀になると聖堂と宮殿が福音書を著した聖ヨハネに奉げられ、2人のヨハネを記念する聖堂となりました。1309年~1377の間教皇庁はフランスのアヴィニョンに移されてしまい宮殿と大聖堂は荒廃してしまったため以後、教皇はバチカンに移りました。16世紀から修復が始まり、18世紀には上部に聖人の彫刻が並ぶバロック様式のファサードが完成し現在の姿となりました。1620年日本人ペトロ岐部がこの大聖堂で司祭に叙階されましたが、後に迫害の激しい日本で殉教しました。また1929年、この宮殿での教皇とイタリア政府ムッソリーニの会談によりラテラノ条約が結ばれ、バチカン市国は独立国となりました。ローマ四大バジリカのひとつで1980年に世界遺産に登録されています。

カンタベリー大聖堂 ( Canterbury Cathedral) カンタベリー イギリス 

カンタベリー大聖堂 ( Canterbury Cathedral) カンタベリー イギリス 

ロンドンから100km程東南のドーヴァー海峡近くの街カンタベリーにある大聖堂です。597年にローマ教皇から派遣された初代カンタベリー大司教が602年にこの大聖堂の前身を創建しました。その後、1130年ロマネスク様式の聖堂に生まれ変わりましたが、大火にみまわれ1379年から1503年にゴシック様式となりました。1170年に聖堂内で大司教トマス・ベケットの暗殺事件が起こりました。ベケットは政教分離を巡って当時の国王ヘンリー2世と衝突して暗殺されました。彼は死後3年という異例の速さで聖人となっています。刺客が、跪いて祈るベケットを窺う場面のステンドグラスがあり、殺害された場所が剣で示されています。16世紀には国王ヘンリー8世の離婚問題がこじれてローマ教会と決別し、英国国教会が設立されました。以後この聖堂は英国国教会の総本山となっています。1988年ユネスコの世界遺産となりました。

ベルリン大聖堂 (Berliner Dom) ベルリン ドイツ 

ベルリン大聖堂 (Berliner Dom) ベルリン ドイツ 

ベルリン、ブランデンブルク門の近くにあります。プロイセン王やドイツ皇帝を輩出したホーエンツォレルン王家の記念教会でその起源は1465年。1608年以来ルター派の礼拝が行われています。地下には 400 年間のプロイセンとブランデンブルクの歴史上の 94の王族の墓、ホーエンツォレルン家の墓地があります。1905年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の指示により、ルネサンスとバロックの融合した様式で建て替えられました。その後第2次大戦で連合軍に破壊され1993年から復元、改築、修復が始まり完成したのは2002年でした。高さ114m、幅73mのターコイズブルーの巨大なドームを持ち、その天蓋には聖書の「山上の説教」のモザイク画が描かれています。270段の階段を上りモザイク画を間近に見ながら天蓋の外へ出るとベルリンの町を一望できます。また7000のパイプを持つドイツ国内最古のパイプオルガンがあり礼拝の時だけでなくコンサートでもその音色を響かせています

聖ヴィート大聖堂 Katedrála svatého Víta プラハ チェコ共和国

聖ヴィート大聖堂 Katedrála svatého Víta プラハ チェコ共和国

正式名は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイテフ大聖堂」です。創立に携わった3名の聖人の名前を冠しており    プラハ城の敷地内にあります。正面の2本の塔は高さ82m、中心の鐘楼は99mあります。聖堂の広さは幅60m奥行は124mもあります。925年に最初の教会が建てられましたが、現在のゴシック様式の大聖堂は1344年から1929年に完成するまで600年かかっています。外面も壮麗ですが内部のステンドグラスがひときわ豪華で、特にアールヌーボーのチェコの画家  アルフォンス・ミュシャが手掛けた身廊北部のステンドグラスは本当に美しく人々を魅了します。ドナウ川にかかるカレル橋とこの聖堂を含むプラハ城の風景はプラハの至宝と言われています。

マーチャーシュ聖堂 (聖母マリア聖堂)Matyas-templom ハンガリー ブダペスト

マーチャーシュ聖堂 (聖母マリア聖堂)Matyas-templom ハンガリー ブダペスト

マーチャーシュ聖堂 (聖母マリア聖堂)Matyas-templom ハンガリー ブダペスト

ハンガリーのドナウ川西岸、ブダ地区の王宮の丘にあります。
「聖母マリア聖堂」ですが、1479年にその増築を命じたマーチャーシュ1世の名で
親しまれています。ハプスブルク家最後の皇帝カール1世を含め、
歴代のハンガリー国王の戴冠式がここで行なわれました。
1541年ブダがオスマン帝国に占領されてしまい、この聖堂はモスクとなり、
内部のフレスコ画は塗りつぶされてしまいました。
しかし1686年の戦で、この聖堂の壁の奥に隠されていたマリア像が現れて、
オスマン軍の士気がなくなり勝利しました。
それ以来、聖母マリアへの崇拝が高まり「聖母マリアの奇跡があった場所」として
知られています。その後、19世紀末になって修復され、
ゴシック様式の壮麗な姿を取り戻しました。
屋根はハンガリーの代表的な焼き物であるジョルナイ製のダイヤモンド模様の瓦で
覆われています。ハンガリーの三色旗「赤」「白」「緑」からなる美しい屋根です。
毎週日曜日にはラテン語の盛式ミサが行われています。

アマルフィ大聖堂  Cattedrale di Sant’Andrea(Duomo di Amalfi) イタリア アマルフィ

アマルフィ大聖堂  Cattedrale di Sant’Andrea(Duomo di Amalfi) イタリア アマルフィ

ナポリから更に南のアマルフィ海岸にあります。12使徒の一人で漁師の守護聖人、聖アンドレアに捧げられた大聖堂です。アマルフィが海洋国家だったためビザンチンやイスラムとの交易でその影響を受け様々な建築様式が混在しています。9世紀に初期キリスト教会の基礎の上に建てられました。その後、この聖堂の隣に現在の主聖堂が建てられ旧聖堂と繋がったため、6つの側廊を持つ大聖堂となりました。13世紀には聖アンドレアの頭蓋骨を納めた地下礼拝堂、100年かかった鐘楼が完成しました。鐘楼はイスラム様式でマジョルカ焼きのタイルで装飾されています。更に墓所として回廊が増設されました。アラブ調の白い柱が見事に並ぶ回廊は天国の回廊と呼ばれています。ファサードは1891年に新しく作られたもので、キリストの姿とその下部に12使徒が描かれ金箔で覆われています。また内部のキリストが漁師アンドレアを弟子にする福音書の場面のフレスコ画が印象的です。聖堂前の階段は62段あります。夕暮れになると西陽がファサードのモザイクを金色に染め、かつての栄華を思わせます。

ラス・ラハス教会 Santuario de Las Lajas  コロンビア イピアレス

ラス・ラハス教会 Santuario de Las Lajas  コロンビア イピアレス

南米コロンビア南部、グァイタラ川の峡谷の上に建てられている20世紀のゴシック様式の教会です。渓谷の底から100mの高さにあり、渓谷の反対側と50mの高さの橋でつながっている稀有な建物です。このような場所に建てられたのは、1754年激しい嵐の夜、1人の女性とその娘が谷の岩の間に避難していた時、光が走り岩にマリア様が見えたという伝説の地だからです。人々はこの伝説の地を大切に護り、祠(ほこら)が作られていました。その後1916年から1949年にかけてこの地域の信者の寄進によって、現在の教会が作られました。驚くべき場所にある美しい教会です。

マザーテレサ大聖堂 Cathedral of Blessed Mother Teresa コソボ プリシュティナ

マザーテレサ大聖堂 Cathedral of Blessed Mother Teresa コソボ プリシュティナ

マザーテレサに捧げられた大聖堂です。2016年9月4日に列聖されたマザーテレサは、オスマン帝国領だったコソボ州ユスキュブ(現在のマケドニア共和国のスコピエ)のカトリックの家庭に生まれました。政治的に複雑ですが、このコソボ州は現在コソボ共和国として独立しています。(未だ独立を承認していない国もありますが。)そのコソボの首都に2007年、当時の大統領はイスラム教徒でしたが、カトリックの大聖堂建築を許可しました。未完成のまま、2010年8月26日、マザーの生誕100年の日に献堂されました。

セー(メトロポリターナ)大聖堂Catedral da Se(Catedral Metroporitana) ブラジル サンパウロ

セー(メトロポリターナ)大聖堂Catedral da Se(Catedral Metroporitana) ブラジル サンパウロ

サンパウロ旧市街セー広場の中心にあり、美しい椰子の並木が大聖堂に向って続いています。収容人数約8千人の南米最大級の教会です。ルネサンス様式のドームと高さ97mの2つのゴシック様式の塔が聳えています。1913年に建設が開始され、1954年2つの塔が未完のまま、サンパウロ市の400周年を記念して献堂されました。その後、塔が完成したのは1967年です。内部には南米最大級のイタリアから運ばれたパイプオルガンがあり、ブラジル史を描いたステンドグラスが明るい陽に輝きます。一日に3回程、61の鐘の音色が街に響き渡ります。

サン・ルフィーノ大聖堂 Cattedrale di San Rufino      イタリア アッシジ

サン・ルフィーノ大聖堂 Cattedrale di San Rufino  イタリア アッシジ

アッシジと言えば聖フランチェスコ聖堂があまりにも美しく有名ですが、この街の大聖堂はこのサン ルフィーノ聖堂です。聖ルフィーノはローマ時代の238年に殉教したアッシジの守護聖人です。11世紀の古い聖堂の上に、新たに1228年に建てられました。ファサードは素朴で美しいロマネスク様式で、中央と左右に扉とバラ窓があり薄いピンク色をしています。鐘楼は聖堂よりも100年前のものです。使われている石をみると違いがわかります。内部の床の一部がガラス張りになっていて、古い教会の様子を見ることが出来ます。聖フランチェスコと聖キアラはここで洗礼を受けており、扉の両側にその像があります。また聖フランチェスコの修道衣や腰縄も保管されています。

サクレ・クール寺院 Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre  フランス パリ

サクレ・クール寺院 Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre  フランス パリ

パリ、モンマルトルの丘の頂上に建てられたロマネスク・ビザンティン様式の大聖堂です。「サクレ・クール」とは「聖なる心=聖心」、「キリストの人間に対する愛の心」の意味です。1870年の普仏戦争後、犠牲となった5万人を超える兵士を讃えるために信徒の寄付で建てられました。着工1877年、完成は1914年です。高さが83mあります。礼拝のためには第一次世界大戦後に開放されました。真っ白な外観が美しく、卵形の3つのドームにビザンチン様式の、入口や窓の半円形アーチにロマネスク様式の特徴がみられます。ドームからはパリ市街を一望できます。

パンテオン(Pantheon) ローマ イタリア 

パンテオン(Pantheon) ローマ イタリア 

紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近アグリッパによって建造され、万神殿として使われていました。このアグリッパの神殿は火事で焼失してしまい、118年から10年かけてローマ皇帝ハドリアヌスによって再建され、それが現在そのまま遺っています。
深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載っています。ドームの壁の厚さは6m、高くなるにつれて薄くなり上部は1.5mです。また、床から天井までの高さは直径と同じ43.2mで、頂上部分には「パンテオンの目」と言われる円形の穴があいています。 その直径は9m。雨が降り注ぎますが高さがあるので霧のようになるということです。それでも穴の真下の床はへこんでいます。窓のない建物のため、この穴は空気の通り道ともなっています。
600年頃にカトリックの聖堂となりました。画家ラファエロや統一イタリアの初代国王Vitorrio EmanueleⅡのお墓があります。聖霊降臨の祝日には、天井の穴から真紅のバラの花びらを降らせて祝います。

メスキータ(=モスク) Mezquita-Catedral de Cordoba スペイン コルドバ

メスキータ(=モスク) Mezquita-Catedral de Cordoba スペイン コルドバ

コルドバはスペインの南部にありアフリカ大陸やイスラム文化の影響を強く受けた地域です。この聖堂の地にはカトリックの教会がありましたが、6世紀にイスラム王朝のモスクとされました。その後、増改築され世界最大級のモスクとなりました。しかし、13世紀前半にコルドバがキリスト教徒に奪還された後はカトリックの大聖堂となり、ゴシックやバロック様式で更に増改築されました。このためモスクと教会が混在している聖堂となりました。聖堂の外観はイスラム教のミナレット(鐘楼)がひときわ目立ちますが、なによりもその複雑な内部、なかでも馬蹄形アーチ850本が連続する大空間にはモスクの名残があり驚かされます。

ノートルダム聖堂 Basilique Notre-Dame de Montréal カナダ モントリオール

ノートルダム聖堂 Basilique Notre-Dame de Montréal カナダ モントリオール

1824年から1829年建設、ネオ・ゴシック様式の北米最大の聖堂です。左右対象に伸びる2本の鐘楼があります。外観よりも内部の圧倒されるみごとさで知られています。青と金色に輝く豪華な祭壇、さらにバラ窓と美しいステンドグラス、そこを通った光で天井がエメラルド色に染まります。7000本のパイプをもつ世界最大級のパイプオルガンもあり、ここは祈りの場であると共に数々のコンサートなどが行われています。1984 年にはヨハネ・パウロ 2世が訪問なさいました。

シャルトル大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Chartres  フランス シャルトル

シャルトル大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Chartres  フランス シャルトル

パリから南西に約87km離れた都市シャルトルにあり、フランス国内でも最も美しいゴシック建築の ひとつです。11世紀に建設された当時はロマネスク様式基調の聖堂でしたが1194年の大火事で一部を遺し大部分が焼失してしまいました。その後、1194年から1220年までの短期間で再建された聖堂はロマネスク様式とゴシック様式共存の独特なものとなりました。二つの塔はアンシンメトリーで印象的です。右が1140年以来立ち続ける高さ105mの鐘楼でロマネスク様式、左は113mで16世紀のゴシック様式です。内部には13世紀のステンドグラスが当時のまま遺っています。その輝くような青色は 「シャルトルブルー」 と呼ばれている美しさで聖書物語や聖人が描かれています。1979年に世界遺産に登録されています。

アントワープ聖母大聖堂 Cathedral of Our Lady (Antwerp) ベルギー アントワープ

アントワープ聖母大聖堂 Cathedral of Our Lady (Antwerp) ベルギー アントワープ

フランドル地方最大のゴシック建築で1351年に着工し、170年後の1521年に完成しました。高さ123mの鐘楼は2005年に世界遺産に登録され街のシンボルです。内部にはこの地方の村を舞台とした『フランダースの犬』の物語で、ネロと愛犬パトラッシュがこの聖堂でどうしても見たいと願った絵『キリストの降架』があります。絵に掛けられていた布がフワリと上がりネロは見ることが出来ました。この絵はこの聖堂近くに工房を持っていたバロックの画家ルーベンスの縦421cm、横311cmの大作です。この絵を含め『キリスト昇架』(1610)『キリストの復活』(1612)『マリア被昇天』(1626)のルーベンスによる4大作が飾られています。

サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会 Tempio di S.Michele di Arcangelo ペルージャ イタリア 

サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会 Tempio di S.Michele di Arcangelo ペルージャ イタリア 

中部イタリア、ペルージャの城壁サンタンジェロ門の近くにあります。ペルージャでは最古、イタリアでも最古の教会の一つです。緑の芝生を周囲に配した珍しい円形教会です。建立は5世紀末でローマ時代の名残があります。中央のドームを16本の古い大理石の柱が支えています。さらに柱には扶(たす)け壁が据え付けられているので、それがまた風情ある装飾となっています。内部の祭壇は切り出した丸太の上に古代ローマ時代の大理石の板が載せられています。
街の中心からこの教会へと続く道にはローマ時代の水道橋もあり、今でも市民の道として活かされて使われています。

聖ワシリイ大聖堂 モスクワ ロシア

聖ワシリイ大聖堂 モスクワ ロシア

モスクワの中心赤の広場に立つロシア正教会の大聖堂です。1560年ロシア皇帝イワン4世がカザンハン国(モンゴルから分裂して出来た国)制圧を記念して建立しました。制圧した日は聖母マリアの庇護祭だったことで 「ポクロフスキー聖堂」(聖母マリアの聖堂)とも呼ばれるようになりました。17世紀から19世紀にかけて中央の主聖堂のまわりに8つの小聖堂が作られ、カラフルな色となりました。最も高いドームは47mあります。  内部は聖書のフレスコ画で埋め尽くされています。ロシア正教の他の教会もそうですが聖書を読めない者に伝えるためのフレスコ画が壁や柱全面に描かれています。1990年「モスクワのクレムリンと赤の広場」の名称で世界文化遺産に登録されました。

オルヴィエート大聖堂 Duomo di Orvieto イタリア オルヴィエート

オルヴィエート大聖堂 Duomo di Orvieto イタリア オルヴィエート

ローマから列車で1時間程北に、オルヴィエートという崖の上に広がる街があります。ケーブルカーで崖の上に着くと、荘厳でイタリア一と言われる美しいゴシックのファサードを持つドーモがあります。オルヴィエートから10km程のボルセーナという町でミサ中に、聖餐布がキリストの血に染まったと言われています。この奇跡の布を収めるべく1290年ドーモの建設が着手されました。ファザードの3枚続きの聖母の戴冠のモザイク画は24金の金箔をガラスに張り付けているため素晴らしい輝きです。「世界で最も偉大で豊かな多色モニュメント」と言われています。1591年に完成しました。内部には5,500本ものパイプを持つイタリア一のオルガンや、ルーカ・シニョレッリのフレスコ画がたくさん遺されています。天井高25m、全長92mです。

グアルダルーペ寺院 メキシコ メキシコシティー

グアルダルーペ寺院 メキシコ メキシコシティー

16世紀かつてアステカの神殿があったテペヤックの丘に建てられた寺院です。<グアダルーペの聖母>が祀られています。1531年、先住民ファン・ディエゴのマントに褐色の肌の聖母マリアがあらわれ、聖堂を建てるように告げました。マントに浮かぶマリアの絵を見た司祭は奇跡を信じ、この地に寺院を建てました。この奇跡は公認され、聖堂の正面に「実物」が掲げられています。ファン・ディエゴは2002年、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖されました。この聖母が先住民、スペイン人、混血の人々などすべての階級に受け入れらメキシコが1つになる源になりました。収容人員2万人という巨大な新聖堂と、傾いてしまった旧聖堂があります。

ピサ大聖堂 イタリア ピサ

ピサ大聖堂 イタリア ピサ

イタリアのロマネスク建築の聖堂です。1987年にユネスコの世界遺産に登録されました。大聖堂に付随して、洗礼堂、そして傾きであまりにも有名な鐘塔があります。地中海に面する都市国家ピサが、1064年イスラム軍と地中海貿易の覇権争いに大勝した記念に起工されました。1118年に完成、1152年には洗礼堂、更に1173年には鐘塔の建設が開始されました。ロマネスク様式は,11、12世紀の西ヨーロッパで広まった建築様式で、ローマ時代の建築の影響を強く受けています。半円アーチの形状がファサードや廊下の天井、ドーム等に見られます。整然と並ぶアーチ一つ一つには細かい彫刻が施され美しさは随一です。
聖堂内には「ガリレオのランプ」と言われている大きなランプがあります。ピサ生まれのガリレオがミサ中にランプが揺れる様子を観察して「振り子の等時性」という法則を発見したと言われています。(諸説あり)
11月下旬この聖堂はバラ色ともいえる美しい夕日に染まります。

サイゴン大聖堂(聖マリア大聖堂) ヴェトナム ホーチミン(サイゴン)

サイゴン大聖堂(聖マリア大聖堂) ヴェトナム ホーチミン(サイゴン)

ヴェトナムは中国からの支配の時代を経て、長期王朝の独立国となっていました。が、1800年代の内戦の際にフランス兵や宣教師の支援を仰いだため、1887年からはフランスの植民地となりました。この教会はフランス人の設計で建築資材もフランスから取り寄せ、植民地となる以前の1880年に完成しました。赤レンガのネオゴシック様式です。左右対称の尖塔は竣工後の1895年に増築され高さが57mあります。1954年独立しその後も過酷な運命をたどる国ですが、現在国民の約7%がカトリック信者です。街の中心にあり毎週ミサが捧げられ信徒の祈りの場です。

サン・マルコ寺院  Basilica di San Marco  イタリア・ヴェネチア

サン・マルコ寺院  Basilica di San Marco  イタリア・ヴェネチア

ヴェネチアのサン・マルコ広場のシンボルです。エジプトのアレクサンドリアで殉教した、聖マルコの遺体をこの地に運び、祀るために建てられました。現在の建物は11世紀のものです。当時のヴェネチア共和国はキリスト教国でしたが東方貿易に力を入れていたため、ヴィザンチンの影響を受けていてロマネスク・ヴィザンチン 様式です。エキゾチックな外観が印象的ですが、内部は黄金に輝くモザイク画で、その一片一片の細かさに驚かされます。前にある鐘楼に登ると、この教会の見事なドーム屋根の数々とヴェネチアを一望できます。

聖ヨハネ大聖堂 St. John’s Co-Cathedral  マルタ共和国

聖ヨハネ大聖堂 St. John’s Co-Cathedral  マルタ共和国

地中海の小国マルタ共和国の首都バレッタにあります。1577年、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の守護聖人 ヨハネに捧げられた聖堂です。パウロが流れ着いた島であるマルタ島は、1565年キリスト教圏の最前線として オスマントルコ帝国との覇権争いの戦場となりました。ヨハネ騎士団を中心としたキリスト教国はこの小さい島の地形を利用してトルコ大海軍を撃退しました。この勝利を記念して建設されました。マルタ石というクリーム色の石灰岩を使用しています。内部は聖ヨハネの生涯を描いた絵画で埋めつくされ、小聖堂にはこの地に逃れて来た画家、カラヴァッジョの傑作『洗礼者ヨハネの斬首』があります。

ハバナ大聖堂 Havana Cathedral  (キューバ ハバナ)

ハバナ大聖堂 Havana Cathedral  (キューバ ハバナ)

2015年7月キューバとアメリカが国交を回復しました。フランシスコ教皇がこれを支えたため教皇は9月 キューバと米国を訪問しました。その際この大聖堂に訪れました。  この聖堂を含むいくつかの建物が「オールド-ハバナとその要塞群」として1982年に世界文化遺産に登録されています。正式名は「サン・クリストバル大聖堂」ですが、通称「ハバナ大聖堂」と呼ばれています。  建物の完成は1776年。植民地時代の雰囲気を残すバロック建築で、高さも形も異なる2つの塔が印象的です。 キューバはスペインの植民地だったためカトリック信者が多かったのですが、カストロ議長によって弾圧を受けるようになっていました。1996年、議長はバチカンと和解し、その後教皇ヨハネ・パウロ2世がキューバを訪れました。2005年にヨハネ・パウロ2世が帰天された際は、カストロ議長もこの聖堂で行なわれたミサに参列しました。

サンタクローチェ教会(Basilica di Santa Croce)イタリア フィレンツェ

サンタクローチェ教会(Basilica di Santa Croce)イタリア フィレンツェ

聖十字架教会ですが、イタリア語のままサンタクローチェ教会と呼ばれています。1294年に建設が始まり1385年に 本堂が完成、ファサードは19世紀になって完成しました。ここにはイタリアの偉大な芸術家や政治家たちが埋葬されています。ガリレオ、マキャベリ、ミケランジェロ、ロッシーニなど、またダンテのお墓はラベンナにありますが、ここに記念碑が作られています。
主祭壇奥の後陣に高さ26メートルの巨大な壁画『聖十字架物語』があります。また祭壇横には、ジョットの『聖痕拝受』や、『聖母被昇天』などの壁画もあります。これらのフレスコ画は2005年から日本人の寄付金で日本人の指揮下、イタリア人修復家の協力でおおがかりな修復が行われました。

聖十字架教会(Sweitego Krzyza w Warszawie)ポーランド ワルシャワ

聖十字架教会(Sweitego Krzyza w Warszawie)ポーランド ワルシャワ

ワルシャワの旧市街にあるこの教会はショパンの心臓が眠る柱がある教会として有名です。柱の下にはいつも 花束がたむけられています。
ショパンは20歳の頃パリに出て以来ポーランドには帰らなかったのですが、『心臓だけは祖国に』が遺言でした。そしてその通り心臓は故郷のこの教会に安置されました。(お墓はパリにあります)
第2次世界大戦でワルシャワ中が焼土となり、この教会も焼失しましたが、戦後復興された時ショパンの心臓もここに返還され護られています。2014年本当にあるかどうか確認作業が行われました。水晶の壺に確かに入っていました。ショパンの命日10月17日には毎年ここで追悼演奏会がおこなわれています。

聖パトリック大聖堂(Saint Patrick’s Cathedral)アメリカ合衆国 ニューヨーク

聖パトリック大聖堂(Saint Patrick’s Cathedral)アメリカ合衆国 ニューヨーク

ニューヨーク・マンハッタン5番街にあります。
ゴシック様式のニューヨーク大司教区の聖堂です。1858年に建設開始、南北戦争中には一時建設が中断されましたが1878年に完成しました。後に建てられた尖塔の高さは100m。
「アメリカのどの教会よりも、祈りの家として人々に知られ愛されているところです。」 とヴェネディクト16世がおっしゃったと、この教会のHPに書かれています。
聖パトリックは アイルランドの守護聖人ですが、そのアイルランド系でカトリック信者だったケネディ大統領の結婚式がここで行われました。

花の聖母教会(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)イタリア フィレンツェ

花の聖母教会(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)イタリア フィレンツェ

イタリアルネッサンスの中心地、フィレンツェにあるこのドーモはルネッサンスの象徴でもあります。高さ107mの巨大なクーポラは建築家ブルネレスキがローマのパンテオンを参考に考案しました。八角形にして重量が分散され、建設が可能となったのでした。1420年に建設開始、1434年に主要部分が完成しました。内側は「最後の審判」のフレスコ画で埋め尽くされています。階段でクーポラの上まで登ることが出来、途中このフレスコ画を目の前で見ることもできます。
ここでは ミサ中にメディチ家の兄弟がパッツイ家に襲撃される事件がおきました。また華美を戒めた修道士サボナローラが説教を繰り返していた場所でもあり、数多くの歴史が刻まれています。隣の鐘楼は画家ジョットの設計でジョットの鐘楼と呼ばれています。

洗礼者聖ヨハネ大聖堂(Duomo di San Giovannni Battista) イタリア

洗礼者聖ヨハネ大聖堂(Duomo di San Giovannni Battista) イタリア

北イタリア・トリノ市の守護聖人、洗礼者聖ヨハネを拝する大聖堂です。十字架に磔にされたイエスの遺体を包んだとされる布に、男性の全身像が写っています。この布が聖骸布と言われていて、その像はイエスだと信じられています。ローマ法王もこれを信仰の対象とすることを認めています。
この布は、フランスで14世紀半ばに発見され、サヴォイア家の所有となりました。その後サヴォイア公国の首都となったトリノ市に保管されることになり、以後このドーモ内の防弾ガラスの中に厳重に 保管されています。布の産地、布に付いている花粉など各方面から真贋の研究がされていますが決着はついていません。普段はビデオでしか見られませんが、2015年4月から公開されていて6月には教皇フランシスコも訪問される予定です。
聖堂のすぐ前には市電が走っていて、布の神秘に包まれた後、急に現実に戻ります。

大浦天主堂 (日本二十六聖殉教者天主堂)長崎

大浦天主堂 (日本二十六聖殉教者天主堂)長崎

日本では1500年代秀吉の時代にキリスト教は禁止され、江戸時代まで続いていました。幕末開国が 決まると外国人地区では許可され、神父達が来日するようになりました。禁教令は明治に入った1873年に廃止されました。この聖堂は1862年に来日したプティジャン神父とそれ以前に来日していたジラール神父との共同で建てられました。ゴシック調の国内現存最古の聖堂で国宝にも指定されています。長崎で殉教した、まだ12歳のルドビコ茨木を含む26聖人に捧げられた教会で、殉教地の長崎市西坂公園に向けて建てられています。1865年に完成した時、数名の婦人たちがプティジャン神父に「サンタ・マリアのご像はどこに?」と問うた事で「信徒発見」とされています。長い間の司祭不在の中で信仰を守り続けた信者がいたことは奇跡とされています。2015年はその時から150年となり記念ミサが行われました。長崎のキリスト教会群を世界遺産の登録候補としていますが、ここもそのひとつです。

ミラノ大聖堂 Duomo di Milano  イタリア

ミラノ大聖堂 Duomo di Milano  イタリア

全長158m、翼廊の幅93m、全高108.5m。世界最大級のゴシック建築です。
ミラノの領主が跡継ぎに恵まれることを願って、聖母マリアに捧げる聖堂として1386年に建立を決意しました。その後、中断の時期があり、西正面部が完成したのは1813年でした。完成までに500年もかかっています。第二次世界大戦でミラノは爆撃されましたが、この建物は爆撃されませんでした。
135本の尖塔があり、一つひとつの尖塔の先には聖人像があります。一番高い位置に金のマリア像が輝いています。階段やエレベーターで聖堂の上に上り、これらの彫像を間近に見ることができます。また、そこからはミラノの街、そしてその先にアルプスを臨むこともできます。

シュテファン大聖堂 Stephansdom  オーストリア

シュテファン大聖堂 Stephansdom  オーストリア

ウィーンの街に聳える137mの鐘楼を持つこの聖堂は、12世紀にロマネスク様式で創建され15世紀にかけてゴシック様式で改築されました。第二次世界大戦中の火災で大きな被害を受けたものの、再建修復されました。
ハプスブルグ家が治めていたこの地域の教会によくみられる、釉薬で色づけられたタイルの屋根の美しさが際立っています。しかも、その色タイルのモザイクでオーストリア・ハンガリー帝国の双頭の鷲、ウィーン市とオーストリアの紋章が屋根に描かれています。ハプスブルク家の歴代君主の墓所であり、
モーツアルトの結婚式も葬儀も行われた聖堂です。
この聖堂を含むウィーン歴史地区は2001年にユネスコの世界遺産に登録されました。

ルルド・無原罪の御宿り大聖堂(上部聖堂) フランス

ルルド・無原罪の御宿り大聖堂(上部聖堂) フランス

ルルドはカトリックの一大巡礼地です。1858年、村の少女ベルナデッタに聖母マリアが出現したと言われています。この聖堂はその洞窟の真上に建てられました。1866年に着工し、1871年に完成したゴシック建築で、鐘楼の高さは70mです。聖堂の名前は「聖母マリアは全ての罪から守られ、原罪の汚れが無いままキリストを宿した」という意味です。
近くの洞窟から湧き出ている水で、病が治る奇跡が起きたと認められ「ルルドの水」として有名になりました。

サン・ピエトロ 大聖堂 Basilica di San Pietro in Vaticano(バチカン市国)

サン・ピエトロ 大聖堂 Basilica di San Pietro in Vaticano(バチカン市国)

イエスの弟子ペテロが殉教した場所である墓の上に建てられたカトリックの総本山です。ローマ皇帝コンスタンチヌスによって4世紀に着工されたとされています。
当時の聖堂は15世紀に改築が始められ、ルネサンス、バロック期を経て1626年に現在の聖堂が完成しました。改築の設計にはミケランジェロも携わりました。特に高さ120mのクーポラは彼の設計です。クーポラの基までエレベーターで昇り、さらに300段程の階段で上まで登ることができます。そこからは巨大な広場やローマの街を見渡すことができます。
また、内部にはミケランジェロの有名なピエタ像があります。
隣にはバチカン美術館、バチカン宮殿がありここに教皇の住まいがあります。
現在は第266代フランシスコ教皇です。

サクラダファミリア(聖家族教会)スペイン

サクラダファミリア(聖家族教会)スペイン

正式には「聖家族贖罪教会」(Temple Expiatori de la Sagrada Família )と言うとおり1882年に着工して以来、全て寄付金によって建設されて来ました。
着工の翌年からこの計画を引き継いだのが、後に有名になるアントニ・ガウディでした。ガウディの構想では高さ170mの塔をふくめ18本の塔が建つはずですが、100年以上経った現在まだ8本しか完成していません。信者からの寄付に加え、バルセロナのシンボルとして観光客が増え、その入場料で資金が賄われています。完成は一体いつになるのか誰にもわかりません。

ファティマ大聖堂(ポルトガル)

ファティマ大聖堂(ポルトガル)

ポルトガルの小さな街、ファティマにある聖母マリアに捧げられた大聖堂です。
第1次世界大戦中の1917年5月、羊飼の3人の子供の前に聖母マリアが現われるという奇跡が起きたと伝えられています。
その場所に建てられました。中心の塔は高さ65mです。
聖母が現れたという5月と聖母マリアの祝日の10月には、10万人を超す人々で大広場が埋め尽くされる程の巡礼地です。広場に立つ聖母マリア像の冠には、1981年にヨハネ・パウロ2世が狙撃された弾丸が納められているそうです。

ノートルダム大聖堂(フランス パリ)

ノートルダム大聖堂(フランス パリ)

パリ・シテ島にそびえる聖母マリアに捧げられた聖堂です。
ノートルダム (Notre-Dame, 英語ではOur Lady) は
フランス語で「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指しています。
1163年、国王ルイ7世の臨席の下、教皇アレクサンドル3世が礎石を据えました。
以後1世紀の歳月をかけて建てられました。高さ69mの塔をもつゴシック建築です。
花びらの形をした丸いステンドグラスがあり「バラ窓」と言われています。
入り口、南、北の3カ所にあり、南はキリスト、北は聖母マリアをテーマにして
作られています。

ケルン大聖堂(ドイツ、ケルン)

ケルン大聖堂(ドイツ、ケルン)

正式名称は、Dom St. Peter und Maria、聖ペトロとマリア大聖堂です。
ゴシック様式の建築物としては世界最大、世界遺産です。
第二次世界大戦の時、爆撃によって内部は激しく損傷を受けましたが、
祭壇のステンドグラスは奇跡的に破壊を免れ、全体は崩れませんでした。
戦後市民の手により復旧工事が行われました。塔の高さは157m。
現在のものが完成したのは1880年でした。

聖墳墓教会 (イスラエル エルサレム)

聖墳墓教会 (イスラエル エルサレム)

十字架を担わされヴィアドロローサ(苦しみの道)を歩いてきたイエスが十字架上で息絶えた場所が
ゴルゴタ(しゃれこうべ)と言われるこの場所です。
ここにコンスタンチヌス帝によって聖堂が建てられました。335年の事です。
皇帝は熱心な信者だった母ヘレナの進言によって生誕教会、そしてこの聖墳墓教会を建てたのです。
生誕教会同様、11世紀十字軍がエルサレムを制圧した時、立派な聖堂となりました。
その後、複雑な歴史の下、形も複雑になり管理者が変わる中で護られてきました。
現在も聖堂内は場所によってカトリックやギリシャ正教等、管理者が異なり複雑です。
堂内には祭壇下の十字架が建てられていた場所、イエスが十字架から降ろされ香油を塗られた場所、
そしてイエスの墓だった場所とされる小さな聖堂などがあります。

イエス生誕教会 (イスラエル ベツレヘム)

イエス生誕教会 (イスラエル ベツレヘム)

キリスト教を公認したローマ帝国のコンスタンチヌス帝によって326年にイエスの生誕の地、
ベツレヘムに建てられました。エルサレムから南へ10キロ程の所です。紛争の度に管理者が変わりましたが、
11世紀十字軍がエルサレムを制圧しカトリックの管理下となった時、現在の要塞の様な教会に生まれ変わりました。
入口は高さ120cmしかありません。「謙虚の扉」と言われています。
祭壇の下に「ここにイエスキリストはマリアから生まれる」とラテン語で書かれ、星型(ベツレヘムの星)で示されています。
巡礼者はそこまで階段を降り、祈る事が出来ます。また建設当時の4世紀の
モザイクが床下に遺っています。

サンチャゴ・デ・コンポ・ステーラ 大聖堂(スペイン)

サンチャゴ・デ・コンポ・ステーラ 大聖堂(スペイン)

キリスト教三大巡礼地の一つです。スペインで宣教したとされている12使徒の一人、聖ヤコブはイスラエルで殉教しました。その遺骸が弟子たちによって船で運ばれこの地の海岸にたどり着き、ここに埋葬されたと伝えられています。9世紀頃羊飼いが星の導きによってこの地の墓を発見し、ここに聖堂が建てられることになりました。土台は12世紀頃のロマネスクですが、その上は壮麗なバロックで建てられています。全体が苔むしており所々に草も生えていてきらびやかなバロックが落ち着いて見えます。

ここはまた、フランスから始まりピレネー山脈を越える800キロの巡礼道の終点です。日に何回か捧げられるミサの最後に「ブタフメイロ」といわれる大香炉がたかれます。聖堂中を香で満たし巡礼者の汗をねぎらう意味もあるようです。巡礼者のシンボルのホタテ貝はヤコブの遺骸が運ばれて来たとき、船底にたくさんの貝が付着していたとされ、帆立貝がヤコブの象徴となったためです。

山上の垂訓教会(イスラエル)

山上の垂訓教会(イスラエル)

イスラエル北部にあるガリラヤ湖の北側はなだらかな丘になっています。湖から見上げるとその美しい丘にこの教会が見えます。1936年頃献堂されました。ここはイエスが弟子たちにキリスト教の神髄とも言うべきことを説いた場所とされています。

「心の貧しい者は幸い その人は救われる 泣く人は幸い その人は慰められる・・・マタイ5・1~」

「あなたがたは 世の光 地の塩です・・・マタイ5・13~」

12人の弟子達を含め、それを聞いていた人々は「自分のすべてが受け容れられ許されている」と感じ「イエスに付いて生きて行こう」と決心したのではないかと思われます。

八角形で内部は豪華ではありませんが、周囲のステンドグラスにイエスが説いた御言葉が書かれています。開放的で教会から見下ろすガリラヤ湖もまた美しく、湖に下るなだらかな道には初夏ブーゲンビリアが咲き乱れトンネルの様になります。

サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂

サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂

フオーリ・レ・ムーラ とは「城壁の外」という意味。ローマの4大バジリカの一つです。
聖パウロはローマ南部のアクエ・サルヴィエという郊外で殉教し、遺体はローマを囲む城壁の外のこの地に埋葬されました。キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝によって、その墓の上に4世紀に建てられた聖堂です。
当時のものは火災で消失してしまったため、現在のものは1854年に完成した聖堂。外側正面上部はペトロとパウロを従えたキリストの美しい鮮やかなモザイク画で飾られています。内部中央祭壇下の地下にパウロのお墓があり、祭壇の後陣には火災を免れたキリストとパウロなどの初期モザイク画があります。
更に、横の壁面にはパウロがイエスの「何故私を迫害するのか」という言葉に撃たれた場面の巨大な絵もあります。
また、ここには歴代教皇の円形の肖像画が飾られています。

聖フランチェスコ大聖堂(イタリア アッシジ)

聖フランチェスコ大聖堂(イタリア アッシジ)

アッシジの聖フランチェスコ(1182-1226)を記念して建てられました。
聖フランチェスコは清貧と平和の思想を徹底的に貫き、神のあらゆる被造物を自分の兄弟姉妹のように愛し、福音を伝えた聖人で世界中の人々から愛されています。
今もこの聖堂で眠っています。

聖堂はロマネスク様式の下部聖堂とイタリアゴシック様式の上部聖堂の2つの聖堂からなり立っています。
上部聖堂内部はルネッサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画が描かれています。
小鳥に説教する聖人の画は特に有名です。

神父のメッセージ

2017年

1月 広い海にあこがれて

新年おめでとうございます。
1月1日神の母である聖母マリアの祭日の下に、新しい年を始める恵みを頂いて感謝いたします。年の初めにたいてい色々な計画又は決心などをします。病気や悩みなどに苦しんでいらっしゃる方々は、生きる喜びを取り戻せるように希望しながら神の御守りを求めていらっしゃるでしょう。
私は神父として皆さんにどんなことを勧めたらよいかと考えた時、フランス人の作家であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉を思い出しました。彼は次のようにおっしゃいました。
「一つの船を造りたいなら、人の協力を求めてお金、材料、専門家などを集める前に、人々に広い海の魅力と懐かしさを感じさせなさい」 と。
やはり今年は何の行事をすればよいか、どんな生き方をすればイエス様が望むかを考える前に、神様に願いたいのは、私にも皆さんにもあふれるほどの深いキリストに対するあこがれを与えてくださるようにということです。それさえあれば、祈りも行いも信頼なども自然に湧いてくるのではないかと思います。
泉から湧いてくる水は流れるためにあるのです。流れないでたまってしまえば、だんだん水たまりになって沼地になってしまいます。それと同じように、深い愛と信仰に私たちの働きを生かさなければ、どんな素晴らしい計画にしても、神にとって何の価値のないものになるでしょう。
どうぞ今年こそ広い海であるキリストへの愛にあこがれ、それぞれの立場で頑張っていきましょう。どうぞよい年をお過ごしください。

2月 今年の目標

今年の片瀬教会の目標について、委員会の皆さんに問いかけたところ、いくつかの意見が出てきました。その中であんがい具体性のある意見を特に二つ選び、今年の目標として勧めていきたいと思います。二つは互いにつながっていると思います。
一つは二年前、すでにその年の目標になったものです。つまり「温かい教会を作ろう」ということでした。例えばミサに与る時、知らない信者又は初めて教会にいらした方に話しかけるということでした。その目標を頭と心に入れたでしょうか。どのくらい実現されたでしょうか。ときどきよその教会からいらっしゃる信者さんは、皆さんのことを褒めてくれます。温かみのある教会として感じていらっしゃるようです。それは有難いことですが、実際問題として私にしてみればまだ多くの信者はミサに与っても知らない方をそのままにしておきます。神様にお話に来たのでそれでよいと思っていらっしゃるのでしょう。または教会が神の家族であると忘れているのでしょうか。ミサは最後の晩餐の記念であるので、同じ食卓を囲んでいる人が互いに無視することはおかしくないでしょうか。例えばマリオカフェや信徒会館にお茶の準備をするのは親睦の為ではないでしょうか。古い信者は親しくしている信者もいますが、新しい信者は他の信者と話す機会があまりありません。それで知り合いになるためにもう一つの勧めたいことがあります。それは聖書の分かち合いです。それを通してイエスともっと親しくなるだけではなく、その集まりに参加する人にも親しみを感じるようになるでしょう。すでに聖書講座がありますが、そのほかに毎月第三日曜日のミサ後、その日の聖書と説教について分かち合う集まりがあります。それも一つのチャンスではないかと思います。多くの方と親しくなるのは不可能ですが、話し相手がほしい人のためにはその環境と雰囲気を作ることが良いのではないかと思います。
今年こそこの二つの勧めを無にすることなく生かしておくように頑張っていきましょう。

3月 神が”ファースト”

今年の四旬節は三月から始まります。四旬節は悔い改める時期であり、信仰を深める特別な期間だと思います。最近教会では「まりあ食堂」をやっているのですが、そこに片瀬教会の信徒と共に地域の方も一生懸命にやっています。そこで“隣人を愛しなさい”ということをキリスト信者とそうでない方も実行しようとしているのは嬉しいことです。しかしイエスがおっしゃったのは、隣人だけでなく ‟心を尽くし、精神力を尽くし、力を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。 (ルカ10章27節) ” ということでした。
私がいつも心配しているのは、神に対する愛が私も信者もどのくらいあるかということです。人の心は神だけがご存知ですが、心の中にあるものは形をもって必ず現れてきます。カトリック信者が神に対する思いを表すのは、共同体として代表的なわざであるミサに与ることでしょう。この頃片瀬教会の皆様の中に、あまりにも簡単に日曜日のミサの務めを怠ることがあると思います。名簿上で900人以上の信者は、普通の日曜日のミサに250人足らずしか集まっていません。特に若い人の欠席が目立っています。もしこの記事を読む青年がいれば、自分のキリストに対する信頼と愛を深めるように頑張ってほしいのです。親も人生において神は‟ファースト”であると教えるように心からお願いしたいと思います。
どこまで親の責任か、本人の責任か、神父の責任か分かりませんが、こんな調子で行ったら日本の教会の未来は明るくないと思います。
私は片瀬教会に来てから15年になります。ちょうど今の小学生から大学生にキリストへの思いを伝える時期でしたが、キリストのことに心から燃える信者の青年を作れなかったことを悔しく思い、大変反省しております。どこがいけなかったのでしょうか。どうしたらよいかと度々考えてきましたが、未解決のままになっています。
でもあきらめてはいけません。親も青年も信者全体もその解決に向かって、一人ひとりがもっと神に対する愛を深めるように頑張っていただきたいと思います。今年の片瀬教会の目標について、委員会の皆さんに問いかけたところ、いくつかの意見が出てきました。その中であんがい具体性のある意見を特に二つ選び、今年の目標として勧めていきたいと思います。二つは互いにつながっていると思います。
一つは二年前、すでにその年の目標になったものです。つまり「温かい教会を作ろう」ということでした。例えばミサに与る時、知らない信者又は初めて教会にいらした方に話しかけるということでした。その目標を頭と心に入れたでしょうか。どのくらい実現されたでしょうか。ときどきよその教会からいらっしゃる信者さんは、皆さんのことを褒めてくれます。温かみのある教会として感じていらっしゃるようです。それは有難いことですが、実際問題として私にしてみればまだ多くの信者はミサに与っても知らない方をそのままにしておきます。神様にお話に来たのでそれでよいと思っていらっしゃるのでしょう。または教会が神の家族であると忘れているのでしょうか。ミサは最後の晩餐の記念であるので、同じ食卓を囲んでいる人が互いに無視することはおかしくないでしょうか。例えばマリオカフェや信徒会館にお茶の準備をするのは親睦の為ではないでしょうか。古い信者は親しくしている信者もいますが、新しい信者は他の信者と話す機会があまりありません。それで知り合いになるためにもう一つの勧めたいことがあります。それは聖書の分かち合いです。それを通してイエスともっと親しくなるだけではなく、その集まりに参加する人にも親しみを感じるようになるでしょう。すでに聖書講座がありますが、そのほかに毎月第三日曜日のミサ後、その日の聖書と説教について分かち合う集まりがあります。それも一つのチャンスではないかと思います。多くの方と親しくなるのは不可能ですが、話し相手がほしい人のためにはその環境と雰囲気を作ることが良いのではないかと思います。
今年こそこの二つの勧めを無にすることなく生かしておくように頑張っていきましょう。

4月 誰のためのご復活

二千年前イエスの弟子たちは、エルサレムにいる人々に次のように告げたのです。
「あなた方はイエスを殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させて下さいました。(使徒言行録3.15参照)」 これは初代教会の宣教の仕方でした。
ご復活祭が近づくと、時々新聞に次のような大きな広告を出したくなることがあります。
「イエスという方が殺され、三日後に復活しました。もっと詳しいことを知りたいなら、教会をお訪ね下さい」 やってみないとわかりませんが、おそらくこのような広告をみたら99.9%の人が、教会は変なことを言っていると思うでしょう。そして教会に来るどころかキリスト教は変な宗教だと思われるのではないでしょうか。二千年前のエルサレムの人々と現代の日本人の方々の宗教的な又は文化的な背景は随分違っているので、同じようなやり方をもってキリストの復活を伝えるのは無理でしょうか。
一般の日本人は、人が言っていることを受け入れるには、まずその人の考え方、生き方を観察します。信用できそうでも、まだ受け入れようとしないでしょう。その考え方を受け入れる可能性があるのは、自分のためにそれが幸せをもたらすと思うかどうかではないでしょうか。
 結論として、イエスは復活されたと叫んでも、信じていない人々にとってそれは神話にしか過ぎないでしょう。しかしその考え方を受け入れることによって、もっとよい人生を過ごす事が出来ると思えば、信じる可能性があるでしょう。理屈は役に立ちません。必要なのは祈りとキリスト者の生き方が人々の人生にプラスを感じさせることでしょう。
キリストの復活は信者の信仰を固めるために役に立つのですが、信じていない人にとっては場合によって躓(つまづ)きとなるでしょう。
私たちとしては人々に、キリストを受け入れるための準備しかできませんので、謙虚に復活の喜びを持って、信じる喜びを証しできるように頑張っていきましょう。 

5月 非行少年を育てるための十戒

マリオ バラーロ神父

5月には社会でも教会でも考えさせる祝い事がたくさんあります。その中に「子供の日」がありますので、
子供の教育について前にからし種に載せた記事をあらためてもう一度載せます。

第1 子供が小さい時から、欲しがるものはすべて与えてください。
「チヤホヤされてあたりまえ、何でも思い通りになる」と考えるようになるでしょう。

第2 子供が下品な言葉を覚えたら笑ってあげてください。「きたない言葉はうける」と知るでしょう。

第3 日曜日には教会に連れて行かないでください。また、宗教的な教育は避けて、
子供が21歳になって自分で決めるまで待ちましょう。

第4 子供が散らかしたら、あなたが後片付けをしてあげてください。自分が責任を果たすのではなく、
「他人に尻ぬぐいをしてもらってあたりまえ」が身につくようになるでしょう。

第5 子供の前でたびたび夫婦ゲンカをしてください。家庭の破壊などヘイチャラになります。

第6 お金は欲しがるままに与え、好きなように使わせてやり、お金をかせぐ苦労などはさせないでください。
なぜ親が若かった頃と同じ苦労をさせなければならないのでしょう。時代は変わったのです。

第7 食べたい、飲みたい、遊びたいなどの欲望は全部満足させてあげましょう。
我慢させると子供の心にしこりを残すかも知れません。

第8 隣近所、友達、学校の先生などとの間で問題がおきたら、必ず子供の味方になってください。
世間の人はみんな偏見を持っていて、いつも不公平で正しくありません。
あなたの子供は利口でやさしいのに、みんなの理解がないのです。

第9 子供がとんでもない事件をおこすたびに、自分に言い聞かせましょう。
「私はいつも子供に厳しく、いましめてきた。私に落ち度はない。」

第10 これらのことを守る人には、苦い人生が約束されているでしょう。

6月 海と魚

ある弟子は先生に「神をどうやって見つけたらよいでしょう」と聞きましたが、先生は「それは誰も教える事はできません」と答えました。「なぜでしょうか」と弟子が聞くと「魚が海を見つけることを誰も手伝うことはできないのと同じ理由です」と先生は答えました。このたとえ話しは、インド特有の雰囲気があるような気がします。全ては神の海の中に包まれているというのがヒンズー教の文化だと思うからです。しかしキリスト教でもそのたとえ話しは当てはまると思います。使徒行録の中で、パウロはアテネの人たちにこうおっしゃいました。『われわれは、神のうちに生き、動き、存在する。』(使徒行録17.28)

“神はどこにいますか”とよく聞かれますが、“子供への母の愛はどこありますか”と聞かれたら、母の愛は子供がいるところにあって子供を包んでいるように、神も私達と共におられて私達を包んで下さっているとたいてい答えます。このようであれば、私達は毎日神が私達と共におられることを意識するのは、祈ることではないかと思います。祈るために言葉があっても無くても構いません。大事なのはうれしい時も悲しい時も普通の時も神が私たちのそばにおられ、私たちを包んでくださるということでしょう。

詩編の中にその気持ちを表すきれいな詩があります。ちょっと長いのでここに全部紹介できませんが、最初の言葉だけを紹介するので、その続きはご自分で是非祈りの気持ちで読んでくだされば幸いだと思います。

7月 古い本をめくって

先日いらない本を少しだけでも捨てようと思い整理していた時に、神学校時代から今まで保存していた小さな本を手に取りました。その本の題は「成功への手引き」というものでした。中身は色々な分野で活躍した人達の短いサクセスストーリーが紹介されていました。その本のページをパラパラめくりながら目を通すと、そこに商売した人が成功するための三つの言葉が書いてありました。
一番目の言葉は“自分の性格を良くすること”
成功したいなら、他人から嫌われているところを絶えず反省して、人を喜ばせる態度を身に着ける努力をすること。
二番目の言葉は“他人からの批判を快く受け入れること”
完全な人はいないので、批判されたことに対して怒るのではなく、謙虚に受け入れ、良くなるための刺激として受け止めること
三番目の言葉は“信頼される人間になること”
これは簡単ではないのですが、それをできる人は必ず成功すると書かれていました。
よく考えてみますと、自分の性格を良くするのは、人に気にいられるためだけではなく、イエスにまず気にいられるためでしょう。又批判を快く受け入れるのは、人の前でよく見えるためだけでなく、イエスの言葉に合わせられるかどうかのきっかけになるでしょう。最後に信頼される人間になるためには、まず神の信頼を裏切らないことから始まると思います。
このような感覚の生き方を実践するならば、神からも人間からも評価されるキリスト信者になるのではないでしょうか。

8月 虚栄心とユーモア

アンリ・ベルクソンは1859年パリでユダヤ教の家庭に生まれ、哲学について色々な本を書き、1928年にノーベル文学賞を貰いました。1941年にパリで亡くなりました。カトリックにだいぶ近づいていましたが、その当時ユダヤ人はナチから迫害されていたので、同胞を裏切らないために洗礼を受けることはできませんでした。彼の伝記の中に次のようなことを書いています。
“皆多かれ少なかれ自分たちの中に強い虚栄心の木があります。その木が大きくなりすぎると、羞恥心と自制心がなくなっておかしくなるのです。”
ベルクソンが勧めたのは、自分のことを笑えるぐらいに冷静な判断をして、見栄をはることに距離をとるということですが、残念ながら自分の見栄がある線を越えた時、ユーモアは通じなくなります。自分の在り方について笑わせるようなコメントを受け付けないのです。
もう一人のフランスの作家によりますと、虚栄心の強い人は、称賛の言葉しか受けつけません。彼らはただ自分にとって良いことしか聞き入れないので、称賛の言葉が本当かうそか分からなくなります。自分たちが作った舞台から降りることができなくなるのです。実際にはただ道化師のようなもので、自分自身は楽しくないけど他人を笑わせているのです。
私たちはこのような傲慢な人にならないように気をつけましょう。

9月 シルバーエイジの詩

私は9月になると頭に浮かぶのは敬老の日のことです。今年も特に敬老の日を祝う皆様と共に次のような言葉を味わいたいと思います。

“足は股関節の痛さでよく歩けなくなりましたが、
音楽を聞くとまだ踊りたくなるのです。
声はしわがれてしまい、音程はしばしば外れます。
それでも主よ、まだ歌い続けたいのです。
目はかすみ、ものはおぼろげにしか見えません。
でも主よ、かまいません。目を閉じてもあなたを見つめることができます。
耳は遠くなり、耳鳴りもします。
いいんです、主よ、心で御声(みこえ)を聞くことができます。
皮膚はカサカサで、顔はしわだらけであっても、
主よ、あなたの目で見られたら、かわいい子です。
脳は老化し始め、忘れることが多くなっても、心だけは忘れはしません。
心はもう若くないし、それほど清くもありません。
しかし主よ、いまだに愛されるとわくわくするのです。
腰が曲がったにしても別に構いません。
それは主よ、いつか御許(みもと)に行く希望を持っているからです。
友人も親戚もだんだん減ってしまいました。
主よ、その意味は、あなたがお迎えに来ようとしていらっしゃるからです。
時が来たら私を忘れないで下さい。
天国でともに笑いたいからです。”

皆様このような精神で、余生を過ごす事ができるように、心から祈ります。

10月 生きる

毎朝アフリカでは、1頭のライオンは目を覚ますと、カモシカよりも早く走ってカモシカを捕まえないと飢え死にしてしまうということを意識します。
毎朝アフリカでは、1頭のカモシカはライオンよりも速く走らないと殺されてしまうということを知っています。
毎朝私達は、ライオンであるかカモシカであるか考えないで、まず走り出すことです。
もしかしたら皆走らないかも入れません。そうであればゆっくり歩いても良いのですが、大事なのは止まったまま動けなくなってしまわないようにすることでしょう。

高速道路のような道の上を走らないなら、デコボコの小道でもよい。太陽のような人間になれなくても、蛍のようでもよい。
勝っても負けても、どんな人生を送っても、大事なのは一生懸命愛をもって生きることです。
あなたは王であってもホームレスであっても、愛に生きるなら最高の人間だと言えるでしょう。

10月1日は幼いイエスの聖テレジアの記念日になります。彼女は観想修道会のシスターでしたが、神と人のために色々な活動をしたかったのです。
どれが一番良い道であるか考えた時、パウロの手紙の中に、教会が人間の体に例(たと)えられて、「色々な部分があってもみんな違った大事な役割を果たしている」(Ⅰコリント12.12~30参照)と書かれていました。
そこで彼女は、「教会において私は心になりたい、何故なら愛は一番大事だから」と考えました。

皆さん、私達もテレジアと同じように、どんな仕事、どんな生き方をしても、又は何もできなくても、愛さえあれば素晴らしい人生と言えるのではないでしょうか。

11月 こぼした涙

 スフィズムの伝統に次の逸話があります。(スフィズムというのは、イスラムの神秘主義の思潮)ある人は次のように言いました。我が先生が重い病気にかかっていたので、お見舞いに行きました。私を見かけた時、先生の眼から涙が出てきました。慰めようと思って「早く治るように祈って差し上げますから、きっと良くなるでしょう」と申しましたが、先生は、「私は死が怖いのだと思っているのですか、違います。私は死んでからどうなるのか恐れているのです」
 昔のエジプトの世界でも、この問題について考えていました。彼らにとって、人は死んだら、その魂を神々のはかりの皿に置き、反対側にあるもう一つの皿に置いた1本の羽の目方と比べ、羽よりも軽いなら、つまり罪がないなら、幸せの状態になれるという考え方がありました。
 この11月は教会の伝統に於いて、死者に捧げられているので、死後について考えるきっかけになるのではないかと思います。自分の生き方を調べることは、自分の人生をよくするチャンスになるでしょう。それによって神と出会うための準備の一つになるでしょう。
 アイスキュロスという昔の有名なギリシャ悲劇の詩人は、次のように書きました。「上に向かって私の限りない苦しみを叫ぶ。深い暗闇から誰かが応えてくれるのでしょうか。」
 この問いかけに56番目の詩編には、「あなたは(神のこと)私の嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの革袋に私の涙を蓄えてください」とあります。神は羊飼いのように、革袋に入れるはずの大事な水の代わりに、人間の涙を大事にして下さるのです。人間がこぼしたすべての涙は、神が大事にして真珠のように取っておき、最後の日に光と喜びに変えて下さるでしょう。
「今泣いている人々は、幸いである、あなた方は笑うようになる」ルカ6章21節

2016年

1月 「良い年になるために」

明けましておめでとうございます。
今年は昨年よりももっと幸せな年でありますように、皆さん思っていらっしゃるのではないかと思います。そうなるように私も心から祈りますが、同時に大事なのは神と人を喜ばせる一年になるように希望しています。何故なら相手の幸せを求めれば、自分も幸せになるからです。
今年は教皇フランシスコはいつくしみの特別聖年を宣言して、私たちはそれに合わせて、いつくしみと憐みに満ちた生活を営めば、素晴らしい年になるのではないかと思います。
昨年はシリアとイラクの戦争、数えきれないテロ事件、憎しみ、難民の問題などを考えると、悲観的になりやすいのですが、希望を失ってはいけません。私たちは、大きなことはできなくても、教皇様がおっしゃる肉体的と精神的な慈善のわざ(2015年12月号ミニ教理参照)によって少し位その精神を具体的な形で実現できるでしょう。
又今年の初めにあたって、いつくしみと憐みの心を生かすように求める無名な人の祈りを皆さんと分かち合いたいと思います。

私は保護を受けられない人のために、いつも保護者になり
道を失った人のために、案内人になり、
危険な状態にいる人のために、避難所になります。
また、光を求める人の灯(ともしび)になり、
困っている人の僕(しもべ)となれますように。
時間と空間の中に生きる人々と共に、
今もいつも私がそこにいて、
苦しんでいる人々を助けられますように、
心から祈ります。
どうぞ今年が良い年でありますように心から祈ります。

2月 「飢えていたときに・・・」

昨年藤沢教会の方が、片瀬教会に子供の支援の協力をお願いするために来ました。最近又、新聞やテレビを通して、毎日の食事を得られない子供が増えていると知り、ちょっとショックでした。このような出来事は、貧しい国の問題だと思ったのですが、日本でも衣食住の問題が存在しているという寂しい現実を知りました。
ご存知のように、昨年12月8日から今年の11月30日まで、フランシスコ教皇様は、いつくしみの特別聖年を宣言なさいました。メッセージの中に、具体的な過ごし方として指定された教会に巡礼して罪を告白することと共に、身体的、精神的な慈善の精神を生かすようにとありました。
身体的な慈善としては、マタイ25章31~46節に “飢えていたときに食べさせ、のどが渇いているときに飲ませ・・・”などが書いてあります。この二つの慈善は先ほど申し上げたように豊かな日本でも必要としているのです。政府は物価が上がるようにすると共に、給料も上がることによって日本の経済を活性化するという意向でやっていますが、年金暮らし、又は生活保護の方の生活は苦しくなってくることが現実です。
経済のことはよく分かりませんが、弱い立場にいる人が経済の活性化の犠牲者になってしまうのはよくないと思います。そんな状態で私たちは何か出来るでしょうか。正直なところは私も具体的にどうしたらよいか分かりませんが、少なくとも個人のレベルで友人、知人、親せきなどに必要であれば出来る限り力になることでしょう。社会人としては、政府が弱い立場にいる人をもっと大事にするように、色々な形で圧力をかけることが必要なのではないかと思います。政府を批判するのは簡単ですが、その政府を選ぶのは国民です。基本的に、政治家は選ばれるために国民が望むことに応えようとするのです。そうであれば一人ひとりの考え方を合わせたら大きな影響力を持つようになるでしょう。
皆さん、特別ないつくしみの聖年に相応(ふさわ)しく生きる為に、まず身体的な慈善の精神を身に着けるように努めていこうではありませんか。

3月 「チコリと薔薇」

“主よ、私の願いを聞き、私の罪をゆるしてください。 主よ、私は日々空しいことを求めて過ごしてきました。 あなただけがゆるすことができるので、私をゆるして下さい。 主よ、*チコリは苦いですが、あなたの庭には薔薇と共にチコリの為にも場所があるでしょう。 私は罪深い者ですが、あなたを愛しています。” この祈りは“イスラム教の先生”と言われたAbdullah Al Ansari(1006年~1088年)が書いたものです。犯した悪へのゆるしを求めるのは普遍的なことで、どんな時代でも、どんな宗教でも、無宗教の人でも、みんな悪に汚れています。 したがって遅かれ早かれゆるしてもらいたいと感じない人は、傲慢か無知な人であって、一番救い難い人だと思います。 私たちは3月にキリストの復活を迎えるために四旬節という期間が与えられています。 その時期こそ愛の足りなさを自覚し、謙虚にゆるしの秘跡を通して清められ、キリストの復活と自分たちの復興が行われる期間になるように希望しています。 又主の復活は私たちの信仰の基礎でありながら、私たちの希望でもあるのです。 パウロによりますと “キリストと共に死に、キリストと共に復活する” (ローマの信徒への手紙6.8)のです。 ご復活は私たちの回心の時ですので、この時期を何もないかのように過ごすわけにはいかないでしょう。皆さんどうぞ四旬節と復活の時期が無駄にならないように祈ります。 * チコリ  ヨーロッパでは日常的に使われている少し苦みのある野菜

4月 「キリルとフランシスコ」

皆さんはご存知かどうかわかりませんが、今年の2月12日にキューバで、モスクワの総主教キリルとローマ教皇フランシスコの歴史的な出会いが実現されました。東方教会と西ヨーロッパの教会は1054年に分裂してしまってからずっと互いに無視し合っていました。50年前、イスタンブールの総主教アテナゴラスと教皇パウロ6世から始まった友好関係はずっと続きましたが、人数的に一番多い信者(二億人位)を持っているモスクワの指導者とはなかなか会うことができなかったのです。しかしやっと教皇と会う決心をしたのは、その50年間の働きと祈りの結果だと思います。神学的な違いはまだ収まってはいませんが、今回は東方教会とカトリックが平和、正義、弱い立場にいる人の味方、人間の尊厳などについて“一つの声”で世界に向かって話されたのは、大変素晴らしい成果だと思います。
又フランシスコとキリルは、キリスト信者への迫害と弱い無防備な人に対する暴力をやめるように呼びかけました。現代、キリスト信者を迫害する人々は、教派で区別しないのが実情なので、キリスト信者は神学的にではなく“血”によって既に一致しているのです。きっと神は、色々な教派のキリスト信者が迫害に耐えられるように力を惜しまないでしょう。
初代教会の諺によりますと“殉教者の血は新しい信者の種”だと言われましたが、現代私たちは、“殉教者の血はキリスト信者の一致の種”だと言えるでしょう。

5月 「情熱 勇気 感謝」

イエスが復活してから五十日目に集まった弟子たちは、不思議な力を頂いてそれによって初めて公にイエスを宣言し始めました。その後弟子たちは、新しく信者になった人たちに聖霊によって勇気と情熱が与えられますように祈りながら按手をしました。
現在私たちが知っている堅信の秘跡の発祥はそこにあります。今度の5月29日に、25名ほどの信者の方々がこの秘跡に与ります。すでに堅信を受けられた信者と、これから受けようとしていらっしゃる信者は、どんな気持ちを持っているのでしょうか。神に選ばれ、信者になっただけではなく、イエスの事を伝える使命を受けたことの大切さを感じて頂きたいと思っています。
自分の堅信に対する思いはそれぞれ違うと思いますが、私は堅信の使命を司祭職を通して果たそうとしています。自分の足りなさを感じながらも、感謝の気持ちで一杯です。今まで色々な人に支えられ、励まされて、又教えられたことなどの為に感謝します。神が私に対して持っていらっしゃる忍耐、くださった赦し、希望などを心から感謝します。弱くて無力で欠点だらけの私が神のみもとに行くまで、ずうっと神を探し求めながらイエスを伝え続けたい気持ちを感じて感謝します。
皆さんは自分の堅信を思い出しながらどんな気持ちを持つのでしょうか。聖霊が私たちの上に、又全世界の上に、自分の賜物を与えてくださるように祈って頂きたいと思います。

6月 「無駄にならないように」

先月25人の信者は堅信の秘跡を通して聖霊の恵みを受けました。私たちの大部分もずっと前から同じ秘跡を受けていました。それによって私たちの信仰生活はどうなったでしょうか。
パウロのコリント人への第二の手紙にはこう書いてあります。“神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。”(二コリント 6.1)
私たちは洗礼によって信仰を受け、堅信によってその信仰を強める恵みを頂いているのです。それによって自分達の生き方は大きく変わったはずです。キリスト信者でありながら、イエスを信じない人のように生活を送るなら、つまり神を無視するならば、せっかく受けた恵みは無駄になってしまうでしょう。
聖アウグスティヌスは次のようなことを書きました。
「主が私の前を通り過ぎるのを恐れています。何故かというと、主が私にチャンスを与えてくださるにも関わらず、私がそれを無視する危険があるからです。」 すなわちあの言葉、あの試練、あの感動、あの素晴らしい出会いなどにも関わらず、私たちはそれを無視してしまうことがあるからです。どうやって神から与えられた恵みを無駄にしないようにしたらよいでしょうか。皆さんはすでにご存じのように、自分たちの欲望と戦うこと、神の声に対する雑音を避けること、謙虚で優しい心を持ちながら祈ることでしょう。
今月はイエス様のみ心に捧げられた月なので、その心に合わせることによって、頂いた恵みを生かすことが出来るでしょう。自分の心をイエス様の心に合わせるために、パウロによりますと “あらゆる場合に神に仕える者として・・・・純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によって” (二コリント 6.4~7)私たちの周りと内にある悪に勝てるように、マリア様の祈りに支えられて頑張っていきましょう。

7月 「80の季節」

80年前、米畑に囲まれたイタリアの小さな村に生まれました。20歳になって神学校に入り、26歳で教区司祭になった後、2ヶ月経ってからミラノ会に入りました。そして27歳の時日本に初めて足を踏み入れました。その時から53年が経ちました。自分の人生を振り返りますと改めて感じることは、時間の速さと共に神への感謝の気持ちです。嬉しかったこと辛かったことは、今すべて大事な思い出になっています。
この年になって自分の体力と知力が大分衰えてきても、まだ少し神と人のために役に立てるのが大きな恵みだと感じています。今まで神から祝福されていましたが、もう少し色々な願いをしたいと思います。
主よ、残された力によって働き、感謝しながら信頼を持って、誰でも温かく迎えることが出来ますように。
今の世界も人々もそして自分自身もそのまま受け入れますように。
利己的で、暗い、不満ばかりの老後の生活から救って下さい。
又、やさしい、強い、謙虚な心をお与えください。
無関心な人に出会っても落胆しない心をお与えください。
主よ、父母と80年間を支えて下さったすべての人にたくさんの恵みをお与えください。
又自分の愚かさによって傷つけた人がいればお許しください。
いつかあなたに会えたら、私の罪ではなく、あなたの憐れみによって、私を抱きながらあなたの幸せの国に入れて下さい。
皆さん、私の80年のなかの14年間、辛抱強く私を受け入れて下さったことを心から感謝いたします。80歳になって、本当は皆さんに“お世話になりました”と言って引退すべきですが、もう少しお邪魔しそうなので、この無力で欠点だらけの老神父と共に、神の栄光と、教会が“地の塩 世の光”になるように求めながら、毎日の祈りに支えられ、イエスと共に頑張ろうではありませんか!

8月 「小さな喜びから生まれた思い」

皆さんいかがお過ごしでしょうか。今月のからし種を手にするときは、私はイタリアにある山の村で、のんびり過ごしています。ごめんなさい。
さて今日皆さんと分かち合いたい小さな喜びがあります。ご存知のように毎日何人かの小、中、高校生の子供達はバスケットボールをやるために教会の庭に集まります。しかし教会に対しての関心は全くないかのように見えます。ところがある日、まだ誰も来ていなかった時、一人の男の子はマリア様のご像の前に行って、周りに誰かいるかどうか確かめてから、手を合わせてしばらく祈りの姿勢をしました。そのあともう一回人がいないかどうか確かめて周りを見まわしてからひざまずいてもう一度手を合わせて祈っているような雰囲気でした。私は部屋の窓からその場面を見て喜びました。この教会に来てから14年間が経ちましたが、そのような場面を初めて見ることが出来てよかったと思いました。しかし後になって逆に少し寂しく感じるようになりました。なぜかというと子供たちが持っている宗教心は、宗教を大事にしていない社会の中に生きているので、その気持ちがだんだんなくなってしまいます。残ったとしてもそれを表すのは恥ずかしいことをするかのように思ってしまいます。教会に遊びに来る子供達に、信仰を少しだけでもどうやって紹介すればよいかと度々考えていますが、なかなか解決の糸口みつからないで悩んでいます。数年前子供達と親しくなるために彼らと一緒に遊ぼうとしたところ、突然宇宙人が彼らの中に入り込むような雰囲気で、彼らにとって私の存在はありがた迷惑だったと感じてやめてしまいました。ところがキリスト教は“失敗” (キリストは十字架につけられた)に基づいているので、私達も同じ失敗を通して宣教するのは当たり前でしょう。場合によって成功は傲慢をもたらし、逆に失敗は神のみ手において大事な宝だと言えるのではないでしょうか。そうであれば今日本ではキリストへの信仰が進まなくても、この状態において私たちの信仰をもっと清め、強めるためのきっかけとなるかもしれません。
現代社会では、神がいらないかのように見えても、信じる私たちにとって自分の信仰を深めてもっと強く愛し、もっと熱心に明るく賢くキリストを伝えるような刺激が必要ではないかと思います。

9月 「友情」

イタリアへ帰国するたびに、昔の友達に会うチャンスがあります。しかし友達といってもみんな同じではありません。うわべだけの友達がいれば、深いところでつながっている友達もいます。それで今月は友情について考えさせる一人の作家のことばを紹介したいと思います。
友とは 強い絆がありますが、縛られていません。
導く星でありますが、まぶしくありません。
鋭い眼差しがありますが、裁きません。
注意をしてくれますが、強制はしません。
兄弟のように正してくれますが、恥をかかせません。
マントのように覆ってくれますが、息は詰まらせません。
ヤスリのようですが、皮膚を傷つけません。
愛する心を持っていますが、見返りを求めません。
守る優しさがありますが、服従は求めません。

友情についていろいろなことが書いてありますが、私にとって特に二つの言葉が気に入っています。一つは、
どんな思いでも相手に気軽に表し、格好をつける必要のないありのままの自分を受け入れてくれる人は本物の親友でしょう。
もう一つは
友よ、私の前を歩まないでください。後ろについていかれないかもしれません。
私の後ろも歩まないでください。行く道がわからないかもしれません。
私と並んで歩み、ただ友でいてください。
最後に聖書の友情について
聖書にも友情についていろいろな名言がありますが、おそらく一番知られているのは、
「誠実な友は・・・・・その友を見いだせば、宝を見つけたも同然だ。」シラ書6.14
この世の中、本物の親友は少ないかも知れませんが、その人を探す前に自分自身が宝になっておきましょう。

10月 キリストの顔

先月9月4日、ローマでマザー・テレサの列聖式がありました。また来年2月7日には高山右近の列福式が行われます。この二千年に入ってから、教会から福者又は聖人を宣言された方は百人以上に上っています。皆一人ひとり違うのですが、共通点は神と人に対する優れた愛があったことだと思います。私たちは神の姿を見たことはありませんが、それぞれの聖人を通して私たちにその姿を少しだけでも見せてくださいます。そして私たちも自分なりに神の姿を作り出す使命があるのではないかと思います。
ある物語によりますと、一人の修道士は自分の院長から一つの命令を受けました。それはあちこち歩き回って、キリストの顔を描くためにふさわしいモデルを探すようにという命令でした。修道士は出かけましたが、キリストの顔を描くためのモデルはいないのではないかと思っていました。
しかしキリストの顔はみつかりました。喜びにあふれる歌を歌うある女の子に、また力強さはある農家の人に、荘厳さはミサを捧げる司祭に、寂しさはある売春婦の目に、素朴さはある浮浪者に、やさしさは病人を世話する看護師に、苦しさは危篤の状態にある病人に、厳しさはある神秘家に、正義は賢明な裁判官に、愛情は子を抱いているお母さんに、恐怖は追いかけられている泥棒に、絶望は子供を失った親に、陽気さは道化師に、神秘は目が見えない人に。つまりイエスの顔を描くためにふさわしいモデルはいませんでしたが、どんな人の中にも神の小さな印があったのです。
私たちもあの修道士と同じように、毎日出会う人に神の面影を探す姿勢があれば、きっとこの世の中はもう少し明るくなるのではないでしょうか。

11月 罰と復帰

ある日、一人の旅人の前に馬に乗って走っている人が通りましたが、その人の手は血にまみれ険しい目つきをしていました。ちょっと時間がたってから何人かの騎士も通りました。彼らは旅人に、血によごれた人に会ったかどうか聞きました。旅人は「その人は誰なのですか?」と聞くと、犯罪人なのだと答えたのです。また彼は、その人を裁判にかけるために探しているのか聞いたところ、騎士たちは「いいえ、正しい道を教えるために追いかけているのです」と答えました。<br> この物語を思い出したのは、最近新聞で読んだことですが、日本でも死刑という制度が良いかどうかという議論になっているからです。国民の80%ぐらいの人が、死刑に賛成のようですが、現在カトリック教会は死刑の制度を賛成していません。犯罪人が裁判にかけられるのは大事ですが、それだけでは十分ではないでしょう。犯罪人はただ罰を与えたらよいのではなく、復帰するためにも正義に渡すべきでしょう。<br> 聖書には“私は悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。(エゼキエル書 18.23)”<br> とあります。どんな時でも悪人に対する神の最後の言葉は、厳しい正義ではなく愛に満ちたゆるしだと思います。<br> 死刑はただ復讐のようなものではないでしょうか。昔は正当防衛の理由で、教会も死刑にすることによって、犯罪が減ると思っていたのです。しかし実際は死刑があったとしても犯罪は減ってはいませんでした。そして、罪を犯す人は自分の責任であると同時に、このような人を育てた社会にも責任があると思います。<br> ですから犯罪人を殺せば責任を果たしたと思うのは大間違いだと思います。社会は自分の責任を果たすためにも罪を犯した人を立ち直らせる努力をすべきではないでしょうか。裁判も刑務所もただ罰を与えるだけではなく、人を立ち直らせるためにあるべきではないかと思います。<br> 皆様はそれについてどのように考えていらっしゃるでしょう。

12月 振り返る

年の終わりにこの一年間を振り返るのは自然なことでしょう。嬉しかったこと、悲しかったこと、失敗したり成功したりしたことなどが心と頭に残ると思います。でも私たちにとって12月はクリスマスを迎える月であって、キリストと共にどう歩むべきか自分の生き方を改めて考える時でもあるのです。それでこの一年間をどう過ごしたかを少し考えてみましょう。
例えば、自分の話はもう少し控えながら、他の人の話をもっと聞くべきだったでしょうか。全てがうまくいかなかったという印象を受けた時、希望を失わないように努力したでしょうか。人にもっと愛情を示すべきだったでしょうか。助けを求めた人に少なくとも温かい一言と微笑みを与えたでしょうか。仲の悪い人に先に挨拶をしたでしょうか。多くの人は孤独であったり支えと愛情を求めたりしていますが、その時に力になってあげたでしょうか。苦しんでいる人に共感を覚えたでしょうか。祈りと苦しみを大事な宝として考えたでしょうか。沈黙と神との対話の為に時間をとったでしょうか。教会の一員であると自覚して、できる限り教会の働きに参加したでしょうか。子供の信仰教育の為に努めたでしょうか。ゆるしの秘跡を大事にしたでしょうか。イエスを愛したでしょうか。
そのリストはいくらでも増やせるのですが、一つのところだけでも改善すれば、立派な待降節を過ごすことになるのではないかと思います。
どうかその気持ちでクリスマスを迎えましょう。

2015年

1月 「ありがとう」

今年も新たなスタートをきりました。去年よりも良い年であるように皆願っていますが、どうなるかは誰も分かりません。しかし今年は何を目的にすればよいでしょうか。それぞれ違うと思いますが、その中に感謝の気持ちで新年が始まったらよいのではないかと思います。その意味で見知らぬ方が書いた次の言葉を紹介してみたいと思います。

“過去の事も、現在の事も、未来の事も ありがとう。
微笑みをくれた人に ありがとう。
私を苦しめた人に ありがとう。
・・・強く生きることをおしえてくれたから。
私を理解し、支え導いてくれた人に ありがとう。
よい模範、祈り、犠牲を捧げてくれた人に ありがとう。
友情を示してくれた人に ありがとう。
希望を与えてくれた人に ありがとう。
病気の人、健康な人、若い人、年とった人、学問がある人、無学な人を通して、
神がご自分の愛を示してくださったことに ありがとう。
どんなに年をとってもいつも ありがとう。
感謝の気持ちを表す命を終わろうとしている時も ありがとう。”

このような気持ちで、今年も過ごすことができますように、マリア様の祈りに支えら
れて心から神に祈り求めましょう。

2月 「温かい教会」

先月キリスト教一致祈祷週間をきっかけとして、今年はいくつかの教会の信者がその目的の為にうちの教会で集まって祈りました。この運動は良い結果を生み出すように、いくつかの心構えが必要なのですが、その一つは、“他の教会を批判しないで、逆に良いところを見つける事”だと思います。そこで、プロテスタントから色々学ぶべきことの中に、一つのことを強調したいと思います。
私たちカトリック信者は、日曜日のミサに参加する時、友達同士互いに挨拶と共に会話をしていますが、知らない信者又は初めていらっしゃった方は多くの場合無視されているような印象があります。プロテスタントの諸教会のやり方は詳しく知りませんが、私が体験したかぎり、初めての方に対して、温かい歓迎をしていらっしゃると思います。確かに、初めて教会のミサに参加する方の中には、そっとしておいてもらいたい方もいらっしゃいますが、大部分の場合は言葉をかけてもらいたいと思っています。
時々ある教会では、初めて訪ねる方に、すぐ名前と住所を書いてもらうことがあるのですが、それはちょっと強引すぎる印象を受けます。しかしカトリック教会では逆にほとんどの場合無視してしまいます。相手のプライバシーを重んじすぎるせいかわかりませんが、結果的には“冷たい教会だな”と感じさせてしまうのではないかと思います。
ミサに与ることは、神と語り合うことが中心ですが、神の家族であるという意識を改めて自覚するためでもあるのです。イエス様はご聖体と聖書の中に生きていらっしゃるだけでなく、人の中にもいらっしゃるのです。パウロのおっしゃるように “自分の体は、キリストの体の一部だと知らないのですか。あなたがたの体は神からいただいた聖霊の神殿です”(コリント第一の手紙 6章15節~19節)
どうか皆さん、もっと温かみのある共同体を作りましょう。ミサが終わったら知らない方一人ぐらいと挨拶と短い会話をしましょう。人を無視して家に帰らないようにできるだけ心がけるようにしましょう。

3月 「主を見ました」

“主を見ました”とマグダラのマリアは、弟子達に伝えてきました。三日前に亡くなられたイエスの遺体は墓に納められましたが、彼女は空っぽの墓の前で泣いていたその時、イエスは彼女に現れたのです。その後マリアは走りながら弟子たちのところへ行って、その信じられない知らせを伝えました。当然彼らはすぐに信じませんでした。ペトロとヨハネは墓のところへ行きましたが、ただ空っぽの墓しか見ませんでした。

信仰は不思議なものです。同じ人から同じ話を聞いても、一人は信じ、もう一人は信じません。ときどき信仰は愛することに似ているような気がします。人を好きになることは、信じることと同じように、合理的な過程で生まれてくるものではなく、おそらく心にあるつかめない不思議な力から芽生えるのではないかと思ってしまいます。

宗教的な言い方で言えば、信仰は神の恵みだと言います。そうです、信仰は恵みです。しかし神は私たちの中にある不思議な隠されたものを使って、ある時それを感じさせるのかもしれません。例えばキリストの復活は、子どもの時から教えられた人と、大人になって初めてその話を聞く人とでは、大きな差があります。子どもの時から教えられた人は大人になった時、今まで教えられたことに疑問を持つかもしれませんが、それを簡単に乗り越えるのです。ところが、大人になって初めて復活の話を聞いた人は、大抵すぐに信じることができないでしょう。神の存在もキリストの復活も理屈でつかむものでなく、素直な気持ちでそれを求める心を育てることがとても大事だと思います。

皆さん、この四旬節の間、イエスの復活祭を相応しい心で迎えるために、自分たちの信仰を深めていくように、祈りと善行をもって聖霊の力を熱心に求めましょう。

4月 「闇の中の光」

現在日本におけるキリスト教にとって、ひとつ必要なことは希望だと思います。なぜなら信者の数はなかなか伸展していないだけでなく、若い人々は結婚式を除けば、キリスト教に興味を示してくれない状態で、教会には社会と同じように高齢化現象が目立つようになったからです。そのような状態で、信仰を大事にする人々の気持ちは、落ち込みやすい気がします。その上社会の仕組みは教会抜きで成り立っているし、学校とマスコミは人を教育するのですが、ほとんどそこにもキリストが不在なので、どうすればよいかわからなくなってしまいます。

イエス様が捕えられ十字架につけられて葬られた後、弟子たちはがっかりしながら自分たちの元の仕事に戻ろうとしたようです。エマオに向かって歩んでいたあの二人の弟子たちの様子は、“解散の雰囲気”だったと思います。しかし思いがけないことにイエスは復活し、彼らに現れてから四十日後にご昇天なさったし、その十日後に聖霊が下り、その時弟子たちはファイトと情熱をもってすべての人々にイエスのことを伝えたのです。

日本において、キリストへの信仰は迫害と200年以上の鎖国の後、もう一度復活したように、必ずもう一度“春”が訪れてくると信じて希望しています。アジアの多くの国では、イエスを信じる人々はどんどん増えています。韓国、ベトナム、ミャンマー、
インドそして“驚きの驚き”中国でもキリストを信じる人々はどんどん増えています。
皆さん、どうか諦めずに喜びをもってキリストを伝えていきましょう。必ず新たな復活が生まれてくるでしょう。
ある諺によりますと“闇の中に光を信じるのは美しい” のであれば、私たちもどんな闇の中にいても光を信じて希望をもって頑張っていきましょう。

5月 「空っぽの手」

5年前重い病気と悩みを背負いながら生きていらした方から送ってもらった一枚のカードが、本に挟んであるのを見つけました。その方がルルドへ巡礼に行ったときに送って下さったカードでしたが、そこにマリア様に対する祈りが書いてありました。今月はマリア様の月なので、そのカードに書いてあった祈りを訳して皆さんに紹介したいと思います。

空っぽの手
マリアよ、私の空っぽの手と貧しい心をあなたに捧げます。
私の人生の籠をあなたのところに持っていきます。
“できない、時間がない、次の機会にしてくれ、嫉妬、好き嫌い、憐れみや分かち合いや赦しが足りない” このようなもので満ちているこの籠を受け取って下さい。
又いつもあなたを受け入れ、初代教会のように謙虚で素朴ですべてあなたに倣(なら)う教会になるように求めます。
私の母であるマリアよ、私のすべてを受け入れて下さい。
あなたの愛の火で私の愛のなさをすべて燃やして下さい。
私の手を取って、あなたとともにイエスのもとへ行く道を案内して下さい。
あなたを支えた信仰と希望を私に与えて下さい。
兄弟とともに自分の十字架を運ぶ力を与えて下さい。
恐れを感じる時には、十字架にかけられたイエスのそばに佇(たたず)まれた時持っていらした勇気を感じさせて下さい。
あなたのやさしい微笑みを私の顔にも輝かせて下さい。
人々が、私たちの顔にイエスの姿を見られる様にして下さい。アーメン

6月「燃える愛」

先月初めて北海道に行きました。52年間日本に滞在しても、北海道に行く気持ちになったことは今までありませんでした。今回体の調子が良くなかったにも関わらず、どうしても行きたかったのです。
その理由は、小学生だった時からよく知っていた女の子が、トラピスチヌ修道院で盛式誓願を宣立することになったからです。彼女の召命は直接に私とはなんの関わりもありませんでしたが、6~7年前に彼女が修道院に入ってから文通をしはじめて、だんだん親しくなったので、この大事な時に私も参加したかったのです。
50人位のトラピストのシスター方の祈りと歌に参加しながら、ミサの中で35歳の若さで自分の人生を捧げようとしている彼女を見て、深く感動しました。そして前に読んだ1冊の本に書かれていた祈りを思い出しました。1926年にスイスで亡くなったライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)の言葉でした。彼は眼が見えなくなって、口もきけなくなり、体も動かなくなってしまいましたが、その直前まで書いていた祈りでした。

“神よ  私の目が見えなくされても あなたが見えます。
耳が聞こえなくされても あなたの足音が聞こえます。
足を折られても 引きずってあなたについていきます。
口がきけなくても あなたを呼び求めます。
両腕を砕かれても あなたを抱きます
私の心が破られても 私の思いは燃え上がるでしょう。
ベールが燃える切株に触れてたちまち炎になるように
私の動脈から生き生きした火が湧きあがるでしょう。”
彼女は至って健康で、リルケの状態とはずいぶん違っていましたが、同じような愛で燃えていたという気がしました。世間的なことしか求めていない大部分の現代の青年の心に、自分の人生における神に対する燃える愛が湧いて来るように祈らずにはいられません。

7月「LAUDATO SI’」

先日6月18日、ローマで教皇フランシスコは新しい回勅を全世界に向かって発表なさいました。この回勅は自然界と人間の関わりについて扱うものです。

最近の教皇様達はその問題についてお話しなさいましたが、今回教皇フランシスコは本格的にカトリック教会の立場を全世界に向かって発表なさいました。現代人にとって興

味深いものなのでその回勅を読みたいと思います。残念ながらこの記事を書いたときは、まだ読んでいませんでしたのでコメントできませんが、回勅の題だけは知っていました。それはアッシジの聖フランシスコがすべての創造を通して神を讃えた祈り「太陽の賛歌」の最初の言葉でした。すなわち “LAUDATO SI’”(あなたを称えます)

昔のラテン語の方言で書かれているので、日本語の訳を一部分紹介したいと思います。

 

太陽の賛歌

・・・・・・・・

あなたを称えます、私の主よ

あなたが創造された万物とともに       *  私たちの兄弟である風によって、

とりわけ私たちの兄弟である太陽とともに     大気と雲によって

太陽は昼をもたらし、              穏やかな天候と荒れた天候によって

あなたは太陽で私達を照らします         あなたは生きるものを

太陽は麗しく、光り輝きます           たすけ養われます

その輝きのいかばかりか              ・・・・・・・・・

いと高き主よ、                 私たちの姉妹である水

あなたはご自分のしるしとして          有益で、謙遜、貴く、純潔です

太陽を現しました

・・・・・・・・・              私たちの姉妹、母なる大地

私たちの姉妹である月と星            私たちを養い、導き、

あなたはそれらを天に置きました         あらゆる種類の果物を実らせ

それらは明るく、貴く、美しい          色とりどりの花を咲かせ

(*へ)     薬草を育てます

・・・・・・・

この歌を通して、創造されたものに対するアッシジの聖フランシスコの心が私たちにも伝わるように祈っています。

8月「波の勢い」

先日鎌倉から片瀬に向かって海岸線を車で走っていた時、風が強かったので波も案外大きかったのです。その波は、勢いよくどこまでも止まらない感じでしたが、浜辺にたどり着いたときは不思議とその勢いがなくなって、波はどこかに消えてしまっていました。
そのあとの波も次々と同じように、浜辺に来ると勢いがなくなり、消えてゆきました。
その時ふと頭に湧いてきたのは、日本における宣教のかたどりのようだなということでした。150年前に再び日本へキリスト教が入ってきた時、多くの人間やお金も入ってきて、キリストを伝えるために、教会、施設や学校などが次々とできたのですが、波と同じように砂浜という日本の社会を乗り越えることはありませんでした。つまりキリストへの信仰は、進んでいないかのような印象でした。
しかしそのような悲観的な見方はいけないと思って、見方をちょっと変えてみました。
150年前から見たら、キリスト教が耶蘇教から日本の社会に受け入れられる宗教になったということは、大きな進展だと思います。信者はあまり増えていないかもしれませんが、もしかしたら、今神様が私たちに求めていらっしゃるのは、ただ“波の勢い”つまり元気なキリスト教的な生き方ではないかと思いました。目で見える結果があってもなくても、絶えず砂浜を乗り越えようとする努力だけが求められているのかもしれません。
韓国、ベトナム、インドなどの様に、大勢の人がキリストを受け入れるような時期がいつか来るでしょう。どうか海の波の勢いのように、私たちの宣教も勢いを失うことなく海が満潮になり、砂浜を覆うことができる様に、祈りながら頑張ってみましょう。

9月「高齢者それとも老人?」

今月9月20日、教会では敬老の日を祝うことになっておりますので、この無名の作者の言葉を皆さんに紹介したいと思います。片瀬教会の皆様は、老人ではなく高齢者であるように希望しております。

高齢者は歳を重ねた人で、老人は快活さを失った人。
もし夢を見るなら高齢者、ただ眠っているだけなら老人。
いまだ学ぶ気持ちがあるなら高齢者、好奇心を失ったら老人。
スポーツをしたり体の鍛練をする気持ちがあるなら高齢者、ただ休んでいるだけなら老人。
カレンダーに明日の予定があるなら高齢者、カレンダーが昨日までしかないなら老人。
高齢者は長い人生を豊かに生き、大いなる経験を積んだ喜びを持って、過去と現在の架け橋となっている。老人は長い人生の経験を未来の世代に伝えないで悲観的な事や失望を伝えるので、過去と現在の架け橋になれず、過去に執着して現在との間に溝を作ってしまっている。
高齢者は毎日を新たにする。老人は毎晩がっくりしょげている。
高齢者は計画的、老人は感傷にふける。
高齢者は人生の残りの時間に価値を置き、老人は死が近づくことを思い悩む。
高齢者は現代に合わせて若者と話し合い、新しい時代を理解しようとする。老人は時間にしがみつき、貝のように閉じこもり現代に合わせる事を拒否する。
高齢者は豊かな計画と希望のある活き活きした人生を送る。彼らにとって時間は早く過ぎ去るが、老いは訪れない。老人はぼんやり過ごし時間を無意識に過ごしてしまい、空しい人生をおくる。
高齢者のシワは笑顔で作られたので美しい。
老人のシワは嘆きの印だから美しくない。

要するに高齢者と老人は同じ年齢なのです。でも心の年齢が全く違う人です。あなたは老人にならないように頑張っていきましょう。

10月「家庭から」

10月、教会ではロザリオの月でありながら、宣教の月でもあるのです。つまりこの月はキリストのことを全世界に伝える使命を自覚する時期です。9月末、フランシスコ教皇はキューバとアメリカを訪問することにより、その使命を立派に果たされたと言えるでしょう。

しかしその目立つことだけではなく、教皇はご自分の生き方のスタイルによって、人の心をひきつけます。一般のマスメディアは教皇の話は必ずしも報道しませんが、教皇の温かい素朴な態度を表す事はどんな小さな出来事でもすぐ知らせるのです。例えば先日は教皇が突然バチカン近くにある眼鏡屋さんにメガネを買いにいらしたこと、そして誰からも知られずピザを食べに行きたいと言われたことなど、すぐ新聞とテレビに報道されました。このような小さな出来事によって、多くの人は信仰に対する気持ちに近づいたり、又は強めるようになると思います。

私たちも全ての人にキリストを伝える使命がありますが、まず自分の家庭から始まるべきではないかと思います。例えば子供に祈りを唱えるように言うよりも、自分自身が子供と共に祈りをすることでしょう。小さい時からその習慣をつけられたら、自然と祈りの精神が理屈抜きに身につくでしょう。又家庭において、いつも神に対する思い、

イエスの言葉が自分の日常の生活とつながっていれば、その価値観も身につくでしょう。そうすれば祈りと日曜日のミサも簡単に怠らないし、人を喜ばせる心が生まれてくるでしょう。また人の好き嫌いもある程度なくなるし、人を赦せるし、欠点があってもいろんな面でイエスに近づくようになるでしょう。たとえ欠点があっても魅力がある人になるのではないでしょうか。人が自分を見て、この人のようになりたいと言われるようになるならば、宣教ということを気が付かないうちに、行うことになるでしょう

11月「シノドノス」

先月4日~25日まで、ローマでは各国の代表者の司教様達が集まり(シノドス)、家庭に関する様々な問題について話し合う大事な会議がありました。この記事を書いた時は、まだ会議の結論は分かりませんでしたが、フランシスコ教皇様がシノドスの初めにそこに集まった司教様達に対しておっしゃった言葉を一部分まとめて紹介したいと思います。
始めに教皇様がおっしゃったのは、シノドスは国会のようなものではありません。
シノドスというのは、参加する人々が信仰の目で現実を見ながら、神の言葉にどのくらい忠実であるかを問いかけるところです。・・・・・・教会は博物館のようなものであってはなりません。教会は泉のようなもので、そこで人生の渇きに潤いを与えるようなものです。又シノドスで聖霊の導きを受け入れるために必要なのは、
1. 使徒的な勇気
つまり世界の悪の力を怖がることも世間的な考えに染まることもないように、それと同時に間違った福音の精神の理解によって、人々を神から離れさせることがないように、気をつけるべきでしょう。
2. 福音的な謙虚さ
心を空っぽにして他人の考えを理解する心が大事で、また指を指しながら他人を裁かないようにすべきでしょう。逆に手を伸ばして謙虚に真実を相手に示すことでしょう。
3. 信頼に満ちた祈り
自分達の欲望を沈ませ、神の声を聴く姿勢を育てることです。神の言葉を聴かないなら、私たちの言葉は役に立ちません。福音を紹介する代わりに、わかりにくくさせるだけです。また個人的な意見だけが目の前にあってはなりません。神に信頼し、教会の教えを大事にし、魂の救いだけを求めながら、聖霊の息吹に心を開きましょう。
この教皇様の勧めは、私たちの為にも当てはまるところがあるのではないかと思います。

12月「父のいつくしみ」

12月8日無原罪の聖母の日にいつくしみの特別聖年が開かれます。教皇様がそれを望んだのは、社会にも教会にも憐れみが必要だと感じたからです。この特別聖年公布の大勅書は案外長いので、この場でまとめるのは無理だと思います。それで自分自身が受けた印象を皆さんと分かち合いたいと思います。
まず最初の印象としては、このいつくしみの聖年にあたって、色々な形で苦しんでいる人々の叫びに耳を傾けるということでした。
『この聖年の間に、教会はこれまでにも増してこの傷の手当てをし、慰めの油を塗り、いつくしみの包帯を巻き、連帯としかるべき気遣いをもって世話をすることを呼び掛けられることになります。・・・・世界の悲惨さとこれほど多くの尊厳を奪われた兄弟姉妹の傷をよく見るために目を開きましょう。そして助けを求める彼らの叫びに、耳を傾けるよう呼びかけられていることに気づこうではありませんか。』(15項)
その後教皇様は、身体的、精神的な慈善を思い起こすように勧めました。(からし種6ページ参照)
二番目の印象は前教皇様の言葉を引用して、神のあわれみについてくり返しくり返しおっしゃって、その神のあわれみを体験するために、ゆるしの秘跡に与ることを強く勧めていました。『罪の重大さを前にして、神は最高のゆるしをもっておこたえになられました。いつくしみはつねにあらゆる罪を凌駕し、ゆるしを与える神の愛を阻むものは何もありません。』 (3項)
 又『確信をもって、もう一度ゆるしの秘跡を中心に据えましょう。ゆるしの秘跡は、いつくしみの偉大さに触れさせてくれるからです。』(17項)

皆さん、この教皇様の呼びかけに、特にこの一年少しだけでも身につけるように頑張りましょう。

2014年

1月「強い心」

新年おめでとうございます。

新しい年にあたって、当然私達の中に色々な希望があり、神様に様々なことを求めようとしていると思います。
それについてタゴールというインドの詩人の言葉を紹介したいと思います。

「主よ、いろいろな危険から守って下さいとは言いません。
ただそれらのことに向き合えるように、勇気と力を与えて下さい。
苦しみをなくして下さいとは言いません。
ただそれに打ち勝つような強い心をお願いいたします。
人生の戦いにおいて、人の助けばかりを求め、与えてくださいとは言いませんが、
恵みと才能をもっと発揮できるように望みます。
成功するときだけにあなたの愛を認めないように、
失敗するときこそあなたの愛を信じられるような信仰をどうぞ与えて下さい。」

旧約聖書にも同じ強い心を持った預言者の言葉があるので、これもご紹介します。

「いちじくの木に花は咲かず、ぶどうの枝は実をつけず、
オリーブは収穫の期待を裏切り、田畑は食物を生ぜず、
羊はおりから断たれ、牛舎には牛がいなくなる。
しかし、私は主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る。
わたしの主なる神は、わが力。」(ハバクク3.17~19)

今年、私たちもこのような気持ちで、マリア様の祈りに支えられて頑張りましょう。

マリオ・バラーロ神父

2月「雲の上には太陽が・・・」

先月タウンニュースに聖書講座のお知らせを載せてもらいました。藤沢市と鎌倉市合わせておよそ14万部が各家庭に配布されました。
私と同じように大勢の人は新聞を開けると同時にまず色々な広告をゴミ箱に捨てますが、半分ぐらいはちらっと見るでしょう。しかし聖書講座の広告を見た方の中で、申し込んだ方は10人足らずでした。

日本に来てからいつも思うのは、なぜ日本人はキリストに魅力を感じないのだろうかということです。
皆熱心に別の宗教を信じているなら分かりますが、そうでない方が大勢いらっしゃるにもかかわらず、自分の人としての道を歩むために、キリストの言葉を求めないのです。
キリストの教えの中に反感を感じるところがあるでしょうか。又はキリスト信者は他の人よりも立派あるいは幸せではないからでしょうか。キリストご自身または教えに興味を感じさせるのにはどうしたらよいでしょうか。それに答えが見つからないのが現実です。

ヨハネ福音書には「光が来たが、人は闇を好んだ」(ヨハネ3.19~20)と書いてありますが、ある程度そうであっても、皆に当てはまらない言葉だと思います。
なぜなら大部分の方は光を求めるからです。わたしには答えはないのですが、一つの希望があります。
たくさんの日本の殉教者、長い間の大勢の人の祈りと苦労は無駄にならないと信じています。
必ずいつか新しい“聖霊降臨”が日本にも訪れるでしょう。誰かが言ったように、雲の上にはいつも太陽が輝いています。

今の状態から抜け出して、その太陽の光が表れる時が必ず来ると信じ、あきらめずに頑張っていきましょう。

マリオ・バラーロ神父

3月「戸口に立ってたたいている」

東方教会では四旬節に入ることを1か月前から典礼を通して信者に予告します。なぜかというと、その時期は霊的な生活のためにとっても大事だからです。

人生におけるたくさんの心配の中で、自分の霊的な生活についても考えるべきであると気がついたならば、教会の1年間の典礼の流れをもっと大事にするでしょう。

食べ物がどのくらい自分の健康のために大事であるかを、みんな納得していると思います。信仰生活の場合も同じでしょう。祈り、勉強、ミサなどを通して、自分の信仰を育てていくのは当たり前ですが、そう思わない信者が少なくないでしょう。ただ世間に恥ずかしくない人間ならばそれで十分でしょうと。イエスご自身は「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出るすべてのことばによって生きる」(マタイ4.4)とおっしゃいました。体の食べ物を頂く時、健康に害がないように気をつけていると同じように、心も良いもので養うのは当たり前でしょう。体の中毒よりも心の中毒(無関心と怠慢)の方がはるかに直し方は難しいと思います。

四旬節は私達の内面的な部分と信仰生活を大事にする時期だと思います。その時期は、はかないもの、つまらないものなどに時間をつぶしたことへの反省と悔い改めの時期でもあります。四旬節の時期は私達の内面的なものを活かし、信仰を深めていく時でしょう。

聖書には「私は戸口に立ってたたいている」と書いてあります。「もし、だれかが私の声を聞いて戸を開くならば、わたしは彼のもとに入ってともに食事をする」 (黙示録3.20)

もし自分の心のドアを開けたら、すべてが変わってきます。
すべて意味があり、キリストについていく喜びを感じるようになると思います。
どうか皆さんこの時期がもっとキリストに近づく機会になるように心から祈ります。

マリオ・バラーロ神父

4月「わたしの道のひかり」

お釈迦様は弟子たちに「なんじ自らを灯(ともしび)とし、なんじ自らをよりどころとせよ」とおっしゃいましたが、聖書に強調されているのは、私たちを超える光によって、自分の道が照らされるようにということです。

ニューマン(1801年~1890年)は神学者であり哲学者でもあった方で、聖公会からカトリックになり、そして枢機卿になったのです。彼は次のように書いていました。
「優しい光よ、この闇の中から私を導いてください/夜は暗くて、私は家から遠くにいます/私を前に導き、私の歩みを照らしてください/遠くに地平線を見なくても構いません一歩だけ見えるなら充分です。」

今月は復活祭を祝いますが、その出来事を信じる人にとって、それは一番大きな光であり私たちの信仰の基礎です。ところで信仰は本当に私たちの歩みを照らして下さるでしょうか。または他のものがその光を消してしまうでしょうか。光と闇が混ざっている私たちにとって、答えは簡単ではないかもしれません。巡礼者はまだ目的地まで辿りついていないのなら歩み続けます。私たちも道の途中なので、必要としていることは二つあると思います。

一つは止まらないこと。もう一つは光を失わないことでしょう。

皆さん、この復活祭には、もう一度キリストの光を通して自分の生き方を“点検”しながら、キリストと共に歩むことが大事でしょう。庭には雑草があればバラもあります。私たちは罪びとであってもイエスを愛しているので、パウロのおっしゃったように“キリストと共に死に、キリストと共によみがえる”ことが自分たちの人生の目標になるように求めていただければ、素晴らしい復活祭を迎えることができるでしょう。

マリオ・バラーロ神父

5月「信じた、だから話した」

高校生だった時、ちょうどイタリアでは大事な選挙がありました。その選挙によって、イタリアは共産圏の国に属することになるか、または自由世界の仲間入りをするか決める選挙だったのです。

私は他の青年と共に数週間にわたって毎日夜遅くまでキリスト民主党の為にビラ配りしたり、ポスターを貼ったりしました。夢中だったので義務ではなく、自分の信念の為に喜んで頑張ってやりました。やはり人は信じると、その信じたことの為に自然に尽くすし、様々な形でそれを表すのです。

カトリック教会では堅信という秘跡(祈り)があります。それによって聖霊(神の助け)を受け、それによって自分たちの日常の生活の中で信仰を深め、表す勇気と力が与えられるように祈るのです。私たちは信念をもっているでしょうか?持っていればどのようなものでしょう。そのためにどのくらい頑張っているでしょうか?
ひとりの作家によりますと「人は自分を信じることの為に何も苦労しないなら、その信仰は価値がないか、又は本人は価値がないものなのです。」と言っています。私たちキリスト者は信念だけではなく、ひとりの方を信じ、その方と共に自分たちの人生を過ごすのです。

堅信というのは、ミサの時歌うように、キリストによって、 キリストとともに、キリストのうちに生きる決心を表す秘跡です。
それを実現できるように、神の助けを求める祈りでもあります。
どうかその秘跡が単なる儀式に終わらないように、心から祈りましょう。

マリオ・バラーロ神父

6月「醜い穴」

人間は社会的な動物と言われています。ひとりで生きるために命を受けたのではないと思いますし、ひとりで生きようとしてもできません。幸せも不幸も他人と一緒です。私たちは世界または国の一員であり、家庭、職場、学校などの一員でもあります。また、教会という共同体のメンバーでもあります。その事実を表している次の物語を読んだので、皆さんに紹介します。

ある人が自分の共同体に対して不満があり、色々な矛盾や足りないところばかりを見ていました。そして次第に皆から離れていき、文句を言いながら自分のことだけを考えるようになりました。

ある夜、夢の中に素晴らしい宮殿が現れ、ひとつの声が聞こえてきました。「これは神の家です。」ところがある部屋の壁に穴を見つけました。それによって全体の壁の美しさが損なわれ、見苦しく感じられたのです。この穴は何だろうか?とつぶやくと、「これはあなたの仕業です。あなたが共同体から離れた結果なのです。」と声が聞こえました。神がその人からしてもらいたかったことをしなかったので、神の家にこんなに格好の悪い穴が出来てしまったのです。

彼は目が覚めてから、あの格好の悪い穴を直すために、もう一度他の人たちとともに協力しようと決心しました。

皆さん、自分たちの存在している様々な共同体に、快く協力していますか?

聖霊の力が私たちをますますよくして下さるように、それぞれの置かれた場所で与えられた役割を通して、神の国の発展の為に頑張りましょう。

マリオ・バラーロ神父

7月「何によってわかるでしょうか」

大部分の人々は「あの人は教会に行くからキリスト信者でしょう」と言っています。
しかしイエス様は“あなたたちが互いに愛し合うならば、私の弟子であることがわかるでしょう”とおっしゃいました。(ヨハネ13.34~35参照)
愛するということをもう少し具体的に言うならば、次のようなことが言えるでしょう。

愛がある人は、他人を大事にします。
愛がある人は、まず他人の良いところをみます。
愛がある人は、他人のことを悪く考えたり悪口を言ったりしません。
愛がある人は、他人の気持ちになって理解してあげようと努力します。
愛がある人は、いつも他人の幸せを見て喜びます。
愛がある人は、気が合わない人を見て道を変えたりしません。
愛がある人は、弱い立場にいる人の味方になります。
愛がある人は、自分の過ちを認めて謝ります。
愛がある人は、信頼できる人です。

イエス様はこの世に戻られたら、私たちを見てご自分の弟子であることがお分かりになるでしょうか?

8月「休み」

8月になると最近は日本でも仕事から離れて休む時間を取れるようになったと思います。

私も3年ぶりの休暇でイタリアへ1か月戻ります。日本ではそんな長い休みを取ることは滅多にないので、少し罪悪感を感じます。

ただ今年78歳になって、最後の帰国になるかもしれないと思い、イタリアにいる家族みんなの為に帰国するのは義務かの様にも思います。個人的なことを置いておいて、休むことについて少し考えたいと思います。
休みを取るのを憧れても、人によって年齢によってその自由な時間の過ごし方は違ってくるでしょう。先日一人の奥さんは、「私は主人、子供たち、家事などから離れて、二三日一人で温泉にでも行きたいものです。」とおっしゃいました。

その方の気持ちはよく理解できるつもりですが、ただ時々最初のいい気持ちの後、思いがけない感情が生まれることがあります。

ひとりで時間を過ごすためにある意味で準備がいります。自分自身が平和でなければ、またひとりで考えることに慣れていなければ、静かな時間は嫌になり、早く人との接触や賑やかな雰囲気を求めるようになるでしょう。ひとりになることと、孤独を感じることは大違いです。
創世記には“人は独りでいるのは良くない”(2.18)と書かれていますが、毎日の生活の中で、少しずつ沈黙の時間をつくることは大事でしょう。キリスト信者であればその静かな時間に反省したり、神に心を向ける習慣を身に着けることです。そうすればひとりになるとき退屈と不安がなくなり、孤独ではなく心の平和を感じると思います。この夏には自分の自由な時間の中でそのような過ごし方を深めていけば大変有益な休みになるのではないかと思います。

9月「勉強とは」

9月から又学校が始まります。勉強できることは大変有難いことで、日本が先進国になったのはそのおかげでもあるでしょう。しかし勉強することは、色々な知識を消化しないで詰め込むものではありません。ソクラテスによりますと、「勉強するのは、宇宙の秘密に入り込み、これを理解する努力です。・・・探究心のない人生は価値がありません。」

多くの学校では色々なことを覚えさせるのですが、人間としてどうやって生きるべきか、人生の目的は何処にあるか、人間を超える人格的な大きな力(神)は存在しているか、または単に心のない自然の力しかないのか、宗教とはなんであるか、人生において信仰は大事なものであるか、などについて考えさせることをしているでしょうか。

これこそ大事な勉強だと思います。しかし残念ながらミッションスクール以外では、そのような問題はほとんど無視されているような気がします。たてまえとして、心の教育は大事と言いながら、体(スポーツ)だけが讃えられているような印象を受けます。

私たちキリスト信者として子供の信仰をどの程度大事にしているでしょうか。

信仰は学問ではありません。生き方そのものです。信仰にはある程度知識が必要ですが、大事なのは行い、考え方、祈りなどではないでしょうか。

子供の教育は親から始まりますので、その点について大人は子供に自分の生き方を通してどんな価値観を伝えているでしょうか。大いに考えて頂きたいと思います。

10月「アヴィラの聖テレジア」

今月15日はアヴィラの聖テレジアの記念日になっています。アヴィラの聖テレジアは16世紀において、自分が属していたカルメル会と教会全体の復興の為に大きな働きをなさった方です。そういうわけで今回、彼女が残してくださった祈りを、断片的に紹介したいと思います。

主よ、
どんな場合でも、どんな問題についても自分の意見を言いたがる傲慢からお救い下さい。

他人の問題なのに、自分の力で解決しようとする欲望からお救い下さい。

思慮深くなるように努力をしながら、神経質に陥らないように、
又、他人を助けながら、自分自身を押し付けないようにお救い下さい。

数えきれないほどつまらない事を並べ立てずに、大事なところにすぐにたどり着くことがで きるよう、その知恵をお与えください。

自分の病気や不自由なところがどんどん増えてゆき、毎年大変になっていることを話す代わりに、沈黙することを教えて下さい。

人が苦しみや悩みを私に語るとき、喜んで耳を傾けるようにとは言いませんが、せめて忍耐強く同情しながら聴くことができますように。

自分も間違うことがあるのだということを自覚できる賢明さが与えられますように。

他人にある良いところに気がつき、それを人に話すことができる恵みをお与え下さい。

私たちも少しでもこの祈りの精神を身に着けるように、頑張ってゆきましょう。

11月「気高い憧れ 気高い幸せ」

「指先を人生の中に入れたが・・・何の味も感じなかった。」 また「人間にとって信仰はいちばん気高い憧れである。どんな時代にもその目標までたどり着かない人がたくさんいるが、それ以上いかれる人はいないだろう。」

その考えを表す言葉を書いたのは、デンマーク人の哲学者であったセーレン・キルケゴールでした。ちょっとわかりにくい言葉ですが、私なりに理解したのは最初の言葉は、コヘレトのように人生の色々な体験をしてから「すべて空しい」と感じている人のことだと思いました。人生に精一杯の目標を持って生きていかないで、喜びと希望を持っていないなら、そのような人は生きていても実際にはもう死んでいるかのようなものです。

逆に二番目の言葉は、信じるものに出会い、そのために生きることで幸せな気持ちを
持っている人のことではないかと思います。しかし、その気持ちは必ずしも決定的なものではありません。いつも力、情熱、光をもって作り出すべきものだ
という意味でしょう。

11月1日は諸聖人の祝日ですが、教会は彼らを私たちの模範として紹介してくださいます。彼らは人生の意味と魅力を絶えず探し迷いながら神を求め、イエスについて
いった人たちのことでしょう。

地上では信仰以上の“気高い憧れ” はありませんが、死の彼方には信仰によって神の愛に満たされて、それ以上の“気高い幸せ”はないと信じています。

どうかこの地上にいる間に、諸聖人の祈りによって支えられ、その“気高い幸せ”に達することができますように互いに祈りましょう。

12月 「この時代こそ」

早いもので今年もクリスマスが近づいてきました。二千年前イエス様がお生まれになった時、すべての人間は仲良くしていたとは言えませんが、現代のように深い憎しみ、殺し合い、戦争などはなかったような気がします。
 イエス様がお生まれになってまもなく、難民としてエジプトに逃げることになったのですが、現代では難民の数は多すぎるのではないかと思います。このような状況で、クリスマスの喜びをどうやって感じたらよいのでしょうか。
この世の中がなぜこうなったのかと申しますと、一言でいえば、イエス様の言葉を受け入れていないからです。聖フランシスコの祈りは、あべこべになっています。 
“愛があるところに憎しみを、ゆるしのあるところにいさかいを、一致のあるところに分裂を・・・などなど”
よく考えたら、人間はこのような世界を作ってしまったからこそ、キリストとそのメッセージを毎年改めて思い起こすことが大事なのではないでしょうか。残念ながら待降節の間、どこを見てもイエス様と関係のない事ばかり目立つのですが、それにしてもこの時期にキリストに近づくことは、他の時期よりも簡単であるような気がします。
どうぞこの時代こそ、クリスマスの精神を生かす喜びを感じることができますように心から希望しております。

2013年

1月「無理と言わないで」

新年おめでとうございます。
今年もそれぞれご自分の喜びと悲しみ、失敗と希望などをもってこの年をスタートします。皆が健康に恵まれ、幸せな1年になりますように心から祈ります。

さてご存知のように、今年は「信仰年」なので私達はキリスト信者として普通よりも自分の信仰を深め、そしてその信仰を伝えるために力を入れるべきでしょう。

時代的にどうすればよいのかという疑問が湧いてくるかもしれません。
しかし行事よりも一人ひとりがイエスと親しくなり、イエスと共に生き、周りの人に信仰を分かち合うことが一番大事なことではないかと思います。
私達は人に信仰を与えることはできません。でもその助けをすることはできると思います。

例えば今年も1月末から新しい聖書講座を始めます。
キリスト信者でない方にキリストを紹介するための小さな働きですが、それにしても毎年その講座を通して誰かがキリストについて行こうと決心して洗礼を受けることになります。その意味で今年こそ信仰年として以前よりも親戚・友人・知人などを積極的に誘うようにお願いしたいのです。
そしてご一緒に参加することができればベストではないかと思います。
皆さんはすぐ「私は無理、誘う人はいない」とおっしゃらないで、よく考えて勇気をもって挑戦してみてください。
断られてもともとでしょう。どうぞよろしくお願いします。

マリオ・バラーロ神父

2月「丸太とおがくず」

今月教会では信徒総会が行われる予定です。それをきっかけとして、片瀬教会の信仰の面を考えたとき、たくさんの良いところがあるにも関わらず、どうしても足りない部分を先に感じて、悲観的な気持ちになろうとしていたところで、偶然(神の戒め?)BONHOEFFERというドイツ人の牧師さんの言葉を読みました。

「牧者は自分の共同体を批判してはいけません。がっかりするよりも、まず自分自身の足りなさを認め、兄弟のために祈り、自分の責任を果たし、そして神に感謝しなさい。」

この言葉はご自分の教会の司教と牧師に対してのものでしたが、私にもピッタリでした。そして次のように続きました。

「度々共同体の限界と欠点を批判してしまった後、心に嫌な気持ちしか残りません。もっと清い、もっと熱心な、もっと生き生きした教会を望むのは当然です。しかし教会はキリストだけによって成り立つものではない、ということを忘れてはいけません。人間によっても成り立っているのです。教会には聖霊の息吹だけではなく、人間の息苦しい呼吸もあります。それでまず私自身がもっと清く、もっと熱心に、もっと生き生きしてから、信者にこれを求めましょう。“丸太とおがくず”の精神は、どんな共同体においても生かすべきではないかと思います。」

結局、片瀬教会の足りないところについて書きたかったのですが、その牧師さんの言葉を読んで、自分の反省だけになってしまいました。

しかし“牧者として時々どうしても注意すべきこと”もありますのでご理解ください。皆さんを苛めるためではなく、パウロの言葉を借りて言えば、「あなたがたに恥をかかせようとして、このようなことを書いているのではありません。愛するわが子のように諭そうとしているのです。」(コリントⅠ 4,14)

マリオ・バラーロ神父

3月「ダイヤモンド」

原石のダイヤモンドは、カットされることが必要であるのと同じように、イエス様は復活なさる前に身体的にも精神的にも苦しみを体験されなくてはならなかったのでしょう。私たちは、自分自身をカットしなくてもよいキリスト信者になれると思ったら大間違いだと思います。自分の人生に愛がないなら、死んでいるような状態だと思います。例えば他人に対する厳しい批判、無関心、イエス様のことをいつも最後のところに置いておくなら、そこにキリストの命はありませんので、キリストの復活を祝うことができないでしょう。なぜならキリストと共に復活できないで、精神的な死の中に残ることになるからです。

私達はダイヤモンドのようなものです。皆自分の色、硬さ、目方、光沢などを持っています。しかしまだ原石の状態です。ダイヤモンドと同じようにきれいにするために、いらないものを切り落とすべきです。その作業はやさしく磨くことにあるのではなく、厳しい カットを必要としているのです。自分に対しても、その厳しさがあれば清められるだけではなく、自分の人格の美しさも目立つようになるでしょう。そうなるように神が色々な試練を与えて下さるので、私達自身は自分の性格を磨き、回心し、苦行などによって素晴らしいダイヤモンドになれるでしょう。これは簡単な道ではないので、避けたい気持ちがあると思いますが、他の道はないのです。御復活を迎える前に四旬節と聖金曜日の道を通るしかありません。イエス様と共に、ご復活の時もう少し輝いたダイヤモンドになれるように心から祈ります。

マリオ・バラーロ神父

5月「ペットに負けないように」

渋谷駅にある忠犬ハチ公の像のストーリーを皆さんご存知だと思います。ご主人に対するあの犬の愛情と忠実の美談が忘れられないように、わざわざ記念碑を作ったのだと思います。また先日あるアラブのたとえ話、教訓、美談などが書いてある本を読んだ時、そこに次の話が載っていました。

ある人は、自分の犬と一緒にある島に狩りに行って、毎朝その人はどんぶりに入っている牛乳を飲んでいました。しかしある朝、いつものように飲もうとしたら、犬は歯をむき出して吠え続けたので、どんぶりを取ることができませんでした。最初主人はやさしく黙らせようとしましたが、効果がなかったので今度は棒をもって犬を追い出そうとしたとき、犬は急に牛乳を全部飲んでしまいました。そのすぐ後、体がおかしくなって間もなく死んでしまったのです。マムシがその牛乳に入り、毒を残したことに気がついた犬は、ご主人を守るために自分が犠牲になったのです。

度々私達人間は、動物から学ぶべきことが多いような気がします。昔からもそう教えられていました。イソップ物語もそうだったし、聖書もそうでしょう。

例えばイザヤの預言者は次のように教えていました。「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルはわたしを知らず、わたしの民はわたしを見分けない。」(イザヤ1.3) 又、エレミヤは「空を飛ぶこうのとりもその季節を知っている。山鳩もつばめも鶴も、渡るときを守る。しかし、わが民は主の定めを知ろうとしない。」(エレミヤ8.7)

認めがたいですが、時々動物はご主人と自然に対する忠実と愛着によって、私達人間が簡単に踏みつける愛と寛大さを教えてくれるのです。

自分の生活に、神に対しても人に対しても愛と忠実をどのくらい生かしているかを考えましょう。そして・・・ご自分のペットに負けないように・・・!

マリオ・バラーロ神父

6月「未来から来た人」

新しい教皇様が選ばれる時、いつも初めのうち皆はよい事ばかり言っているのですが、  しばらく経ってから具体的な指導をなさると、だんだん批判する人たちが増えてくるのです。

イエス様はエルザレムに入場なさった時、皆から歓迎されましたが、数日経ったら十字架につけられてしまいました。歴代の教皇様達も大抵似ているような体験をなさったでしょう。

素朴で謙虚さと温かい心を持っている教皇フランシスコは、今の教会が改革すべきところのいくつかができるような気がします。この2か月の間、ちょっとした言葉や態度で、大きな希望を与えて下さったからです。現代教会はもっと素朴になり、謙虚さと温かい姿勢を表す必要があるのですが、教皇フランシスコはそれを実現するのには適当な方ではないかと思います。

注目すべきもう一つの事は、教皇が選ばれた時、教皇としてよりも“ローマ司教“としてご自分を紹介しました。カトリックでないキリスト教の世界では、その姿勢がとても評価されて、今後のエキュメニカル運動に大きな影響をもたらすのではないかと思います。

カトリック教会においてもバチカン公会議の時、教皇は司教様達と共に教会の運営を宣言されましたが、それはあまり進んでいない現実があります。教皇フランシスコの発言を見ますとそれを実現する意欲が十分あるようですので、その点でも進むでしょう。また貧しい人に対しての働きや、女性が教会の方針に従うだけでなくその方針を決める時にもっと発言力を持つように、心をかけていらっしゃるようです。

その意味でこの教皇はきっと全教会によい影響を与えて下さると信じています。選ばれた時“世界の果てから来た”とおっしゃったのですが、私から見れば、“未来から来た”教皇だといえるのではないかと思います。

ただ彼を支えるべきなのは、神様、その次は全世界のカトリック信者なので、私達も教皇の精神と方針に合わせるように頑張っていきましょう。

マリオ・バラーロ神父

7月「神に願ったが・・・」

最近ある雑誌に次のような言葉を読んで気に入ったので、皆さんにも一つの心の刺激として紹介したくて、あまり上手くないのですが訳してみました。

ある日、私の嫌なところを取って下さるように、神に願いました。

神は言われた。嫌なところを取るのは私の仕事ではありません。それはあなた自身で取るべきものでしょう。

神に忍耐を願いました。
神は言われた。忍耐は困難の実りです。時間をかけて学ぶべきものでしょう。

神に幸せを願いました。
神は言われた。私はあなたを祝福しますが、幸せはあなた自身でつかむべきものでしょう。

神に苦しみから解放してくださるように願いました。
神は言われた。苦しみは宝物です。この世の愛着から離れさせ、私に近づかせるものでしょう。

神に私の心を強めるように願いました。
神は言われた。それは自然に成長するべきものですが、あなたがたくさんの実を結ぶことができる様に、私はあなたを剪定しましよう。

神に私の生命を喜ばせるようなすべての物を願いました。
神は言われた。すべての物が喜ぶべきものと評価できる生命をあなたに与えましょう。

神に私がイエス様のように人も神も愛することができるようにと願った時、
神は、ああやっと私の気持ちをわかってくれたとお応えになったのです。

マリオ・バラーロ神父

8月「フランシスコの100日」

ブエノスアイレスの枢機卿ベルゴリオは、ローマの司教に選ばれ、それによって教皇になってから(3月13日)100日が経ちました。フランシスコの言葉と行動を見て、彼のひとつの特徴を言うならば、大変司牧的だと言えるでしょう。わかりやすい話によってすべての人々から理解され、様々なさりげない振る舞いによって、新しい雰囲気を作り始めました。

教皇がおっしゃることは、ご自分の立場からでた義務としてではなく、心から感じたことを伝え ていらっしゃるのです。そして弱い立場にいる人々のことがいつも頭と心にあって、聖職者が素朴な生活を求めながら、見栄や贅沢に負けないようにとずばり勧 めています。又教会全体が、すべての人々と対話しながら、キリストを伝えるように強調しています。おまけに教皇は、色々なしきたりにとらわれないで、自由 な振る舞いをしていらっしゃることに私は感心しています。

残念ながら日本では教皇について、それほど伝えられていませんが、インターネットを通してこの100日の教皇のことを見たかぎり、先ほどのような印象を受けましたし、今まで教会に反対している大勢の人々の中にも好意的な態度をとったり、または教皇に期待を持ったりしているようです。

教皇フランシスコの生き方のスタイルは、宣教司牧に携わっている聖職者だけでなく、すべてのキリスト信者にとっても、大事な手本になるのではないかと思います。
皆さんどうかこの教皇を通して、神様が教会の復興を導いて下さるように、心から祈っていただきたいと思います。

マリオ・バラーロ神父

9月「祝福」

片瀬教会に来てから一つ印象的だったことは、大勢の方が川沿いの道を歩きながら犬の散歩をしていらしたことでした。だんだん時間が経つにつれて、片瀬教会の皆さんも、ペットを飼っていらっしゃるだけでなく、温度差はあっても、皆深くその動物に愛情を持っていらっしゃることに気がつきました。

又お正月には、皆さんが自動車の祝福を望んだので、昔から歴代の司祭によってその行事が行われていました。私もそれに合わせて、自動車そのものよりも、運転者と車に乗っていらっしゃる方を神が守って下さるように、毎年祈っています。

数か月前パソコンでインターネットを見ていた時に、ローマのある教会では毎年ペットを祝福する行事が行われていることを知りました。それで頭に浮かんだのは、自動車の祝福を行うならどうして皆さんのペットを祝福しないのかということでした。

日本の教会にはそのような習慣がないので、ちょっと戸惑いましたが、何人かの方に相談したら、最初の驚きの後、「やってみたら」又は「やってみましょう」と賛成を得られました。その上信者でない方も、もしかしたらご自分の愛するペットを祝福してもらいたいのではないかと思ったので、宣教司牧委員会と教会委員会の協力を得て、ちょうど動物愛護週間に近い9月29日に行うことになりました。

カトリック教会において動物の保護者となっているアッシジの聖フランシスコの精神をもって、ペットを飼っていらっしゃる信者さんだけではなく、犬友だちやその他の方々も、どうかこの小さな行事に大勢参加してくださればうれしく思います。

マリオ・バラーロ神父

10月「手段と目的」

今月の一日は、幼きイエスの聖テレジアの記念日なので、彼女の短い生涯からひとつ学んでいきたいと思います。

テレジアは1873年1月2日フランスのアランソンで、信心深い家庭に生まれました。当時の社会も教会も今と比べたら随分違っていました。特に教会では厳格主義の面があり、聖人のことを考えた時、頭に湧いてきたのは、厳しい苦行によって自分の体を痛めつけ、そして奇跡を行う人だけが聖人になるということでした。

テレジアは、ある日次のようなことをおっしゃいました。「現代ではいろいろな発明がされています。昔は、高いところに行くには長い階段を登らなければなりませんでしたが、今はエレベーターができたので簡単になりました。神様の近くに行くのに、私は長い階段は登れないので、エレベーターのようなものはないのでしょうか」 と。

彼女にとって、その精神的なエレベーターとは、結局神と人を愛することでした。今の教会ではその考え方は普通になったのですが、あの当時は先ほど言ったように、精神的に進歩するために強調されていたことは、犠牲することが中心でした。しかしテレジアが聖書を読みながら自然に理解したのは、聖人になるためには犠牲ではなく愛であるということで、そのことを生活をもって証しました。

キリストについていくには、犠牲が必要ですが、それは手段であって目的ではないと悟りました。そこに聖テレジアの偉大さがあるのです。もちろんその生き方は聖書の心ですが、でも時々教会の中にも目的と手段がこんがらがってしまう事があると思います。

聖テレジアは本来の信仰の精神を取り戻したのです。後に彼女は1897年に24歳の若さで亡くなり、100年後教会博士として教会から認められました。

わたしたちの生活も手段と目的が逆にならないように、お互いの為に心から祈りましょう。

マリオ・バラーロ神父

11月「マララ」

マララ ユスフザイ(16歳)は、2010年10月9日にイスラムのテロリストグループであるタリバンから銃撃されました。何故かというと、女性の教育を受ける権利の為に積極的に戦い、英BBCのブログで勉強する女性に対するタリバンの攻撃を批判したからです。残念ながら今年のノーベル平和賞は受けられませんでしたが、彼女の行動と考え方は、ガンジー、マーティン・ルーサー・キング、アウンサンスーチー(ミャンマー)などのような歴史の中に入るでしょう。

今回、彼女が国連で演説した一部分だけをちょっと紹介したいと思います。
「・・・・・タリバンはわたしを絶対に黙らせることがありませんし、私の夢を殺すこともできないのです。二つの弾丸によって、私を永遠に話せないようにしようと思ったようですが、失敗しました。・・・・・・タリバンは、神様が小さな保守的な存在で、学校に通う女の子を地獄に送り込む方だと思っています。・・・・愛する兄弟姉妹の皆さん、私がここにいるのは、誰かに反対するためでもなければ、復讐するためでもありません。わたしを撃った人も憎んでいません。慈悲の心は、マホメット、イエス・キリスト、ブッダから学んだものです。間違ったものを変える精神を、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、ムハンマド・アリー・ジンナー(パキスタンという国を作った人)から、非暴力の考え方は、ガンジー、バシャ・カーン(パキスタン人非暴力の哲学者)、マザー・テレサから学んだのです。許す心は、母と父から受け継ぎました。皆が平和と愛の心を持つということは私の魂の叫びです。」

最後にマララは好きなスローガンで演説を終えました。
「一人の子供、一人の先生、一本のペン、一冊の本、それは世界を変える力があるのです。」
彼女はイスラム教の熱心な信者ですが、神の国に属してるに違いないと思います。今月初めに諸聖人の祝いをしましたが、彼女は現代に生きる、神から愛される正しい人だと確信しています。バチカン公会議が教えたように、神の国は教会よりも広いものです。マララさんは、まさに一つの良い例でしょう。

マララ・ユスフザイ
1997年7月12日パキスタンに生まれました。2012年10月9日、イスラムテロリストによって学校から帰る途中、バスの中で頭と首を銃で撃たれましたが、イギリスの病院で治療を受け、奇跡的に回復しました。少女の勇気と熱意に対して全世界の人々から賞讃の声が上がりました。

マリオ・バラーロ神父

12月「旅」

マタイ福音書は、三人の不思議な人物が、遠くからユダヤ人の王を探しにいらしたという出来事が示されています。この待降節の間、私たちも三人の占星術師のように、イエスを探す姿勢は大事ではないかと思います。

日常の生活には、苦労、試練などがあり、その上特にキリストの不在社会の中に生きる私たちは、幼子イエスに出会うのは、簡単なことではないと思います。クリスマスを迎えるための準備として、まず自分自身に問いかける必要があるのではないでしょうか。つまり、私が何によって生きるのか、自分の宝はどこにあるのか、自分の喜びはどこから生まれてくるのか、など・・・。

毎日、毎週、毎年、自分の頭と心にある思いは、大切な美しい気高いものであるかどうか。キリストは自分の人生の中でどんな場所を占めていらっしゃるかを考える必要があるのではないでしょうか。

待降節は、そのようなことを思う時期だと思います。しかしこのような反省は必要であっても、私達を変えることは難しいでしょう。もっと必要なのは子供の時の様に、宗教心を取り戻すこと、神に委ねる心、キリストを愛する心を感じることでしょう。その気持ちは、心からの祈りの中に見つけられるのではないかと思います。

あの三人の占星術師が遠くからいらしたのは、イエスに会いたい気持ちがどんな人よりも燃えていたからでしょう。待降節というものはそれなのです。キリストに出会いたいので、キリストに近づく旅をすることではないかと思います。

最後に、よいクリスマスを迎えるように、よい待降節を過ごしましょう。

マリオ・バラーロ神父

2012年

1月「主よ、できるなら」

新年おめでとうございます。

年の初めに、たいてい人は新しい決心をしたり、新しい計画をたてたりして、去年よりも今年の方がもっと幸せになるように希望します。今年の私の願いとしては、できるなら次のような心を持てるように祈ります。

主よ、皆から無視される時、あなたは私のそばにおられることを感じさせてください。
疲れたりがっかりしている時、人生の意味と喜びを分からせてください。
苦しんでいる時、試練を耐え忍ぶ様に、信頼に満ちた心をお与え下さい。
主よ、悪に出会った時、誘惑に耐える強さをお与え下さい。
主よ、罪を犯す時、あなたのゆるしを受けるように、謙虚な悔い改めた心をお与え下さい。
主よ、私が豊かであったら、恵まれていない人と自分のものを分かち合う心を、貧しい生活をしているなら、
毎日の必要なものとともに、明るく活発で嫉妬のない心をお与え下さい。
主よ、今年がどんな年になっても、いつもあなたとともに人生の道を歩んでいくことができる様に導いて下さい。
最後に、何かを失ったことのために泣くことはなく、あったからこそ感謝してほほえむ心をお与え下さい

本年もどうぞ宜しくお願いします。

マリオ・バラーロ神父

2月「天使でもない、悪魔でもない」

毎年2月には信徒総会が行われます。総会といっても、ほとんど前の年の活動と会計の報告と新委員の紹介のことで終わってしまいます。総会の時、特別なことを決める場ではないし、限られた時間では大した反省もできないままに、たいてい終わってしまいます。もう少し有益なものにすればよいのですが、結局どうしたらよいかわからないままで、いつも同じパターンで行なってしまいます。しかし私たちの共同体に対する気持を、反省させるきっかけになるのではないかと思います。

良い共同体を作るためにまず、一つの欠かせないことは、互いに信頼を持つことでしょう。
又自分と他の信者の弱点と足りなさを受け入れながら、互いに赦し合う姿勢を持つことではないかと思います。
どんな共同体でも、そのメンバーの優しさ、小さな親切、心遣いなどによって作りあげられているでしょう。共同体はみんなの働き、犠牲、祈りによって生かされているのです。あまり相手に大きな期待と要求を求めるよりも、ただ共に歩み助け合うことです。

教会という共同体には、昔も今もただ良いことばかりがあったとは言えません。素晴らしいことと共に、失敗と罪を見つけるでしょう。時々教会のいやなことを思い出し、ある人はがっかりして、やる気がなくなるかもしれません。しかしどんな木にも良い実と共に、むしばまれた実もあるでしょう。それだからといって、その木を切り倒す人がいるでしょうか。

神が百パーセント完全ではない人を拒んだら、天国では、独りぼっちになってしまうでしょう。教会という共同体でも同じです。私たちは天使でもなければ悪魔でもありません。ただ自分達の弱さを背負いながら、もう少しましな神の家族を作り出すようにあこがれている人達なのではないでしょうか。

マリオ・バラーロ神父

3月「苦い水」

プルーストというフランスの作家は、次の言葉を書きました。
「新聞を批判したくなる理由は、たくさんの無意味なことを伝えてくれるからです。それなのに私たちは毎朝興味深く新聞を読むので、新聞に載せるべきことは、大事な本なのではないでしょうか。例えばパスカルの『パンセ』など。」
パスカルの『パンセ』は19世紀に書かれた本ですが、今でも現代人のために参考になる本だと思います。四旬節の間、例えば聖書を始め、人生の為にプラスになるような本を少しだけでも読んだらいかがでしょうか。

また別の作家は次のような言葉を書いています。「私にとって楽な生活は、堕落に導きます。私に必要なのは、苦い水です。キリストは私たちに“この世の蜂蜜でありなさい”ではなく、“地の塩でありなさい”とおっしゃったのです。
しょっぱい、ぴりっとさせる“塩”です。」

体の健康の為に非常に敏感である私たちは、同じぐらいの敏感さで、心と信仰を育てるようにすれば、きっとみんな偉大な聖人になるでしょう!!!

この四旬節の間、キリスト信者として何が大事であるかを見抜いて、それを優先し、体の健康とともに、心と信仰の健康を作り出すための厳しさがありますように、心から勧めたいと思います。

マリオ・バラーロ神父

4月「“日常”の聖マリア」

5月といえばカトリック信者にとってマリア様を連想します。第二バチカン公会議の信徒使徒職の教令に次のように書いてあります。

「聖マリアはすべての人と同じように、地上での生活において家庭の世話と仕事に追われながら・・・」 その言葉はある意味で画期的な言葉だと思います。

マリアは雲の上にいらした方ではなく、皆と同じ生活をなさいました。あの当時のどんな主婦とも同じように、井戸へ水を汲みにいったり、すり鉢の中の麦を砕いたり、一日の仕事を終え、疲れて夜の涼しい風を味わったりしていらしたでしょう。もしかしたらマリア様も健康上の問題があったり、ヨゼフ様の仕事があまりなかったときには、毎日の糧を得るために苦労したり、イエス様の成長を見守りながら心配なさったこともあるでしょう。どんな妻とも同じように、夫との関係が難しくなった時もあったかもしれません。

一時的にマリア様の“光の輪”を外すことは、マリア様の偉大さを否定することではなく、ただ私達と同じ様な生活をなさったことにおいて、愛情を感じやすくなるからでしょう。救い主のお母さんであり、無原罪、被昇天の恵みを受けて高いところにいらっしゃいましたが、鍋と手織り機、涙と微笑み、祈りと人との対話、羊毛の玉と聖書の巻物の間に、女性として妻として母として、悪意のない喜び、絶望のない苦しみ、帰還のない出発などを体験した中に偉大さがあると思います。

今月この様な“日常”の聖マリア様をくださった神様に心から感謝いたしましょう。

マリオ・バラーロ神父

5月「淋しさと嬉しさ」

今月のことを考えますと、特に私にとってひとつの淋しいことと、もう一つの嬉しいことがあると言えると思います。
淋しいことは、神父として教会で働いてから48年になりますが、今年初めて初聖体を受ける子どもがいないということです。その原因は教会において若いカップルが少なくなったことと、出生率は信者の中でも世間並にとても低いということを表わしていると思います。未来の教会の発展の為にこれはよい印と言えないので・・・心配です!

嬉しいことは、自分の叙階50周年の記念日です。司祭になってから50年が経ち、長い年月のように見えますが、過ぎてしまったらとても短かったと感じます。青年の時はあまり神父になりたくなかったのですが、今となっては感謝の念に堪えません。

言うまでもなくまず神に感謝すべきでしょう。ただ何故私を?“熱くもなく、冷たくもない”私は黙示録によりますと(3章16節)神から嫌われるはずなのに・・・不思議でしかたありません!

その次に感謝すべきなのは、親と妹でしょう。親は私が宣教師になることは辛かったと思いますが許してくれたし、妹が親の面倒をずうっとみてくれたことによって、私は安心して自分の使命を果たすことができたのです。
三番目に感謝すべきなのは、自分の人生に出会ったすべての人です。喜ばせた人も悲しませた人も皆、人間として司祭としての成長に無意識にでも役に立ってくれたと思います。その中で特にどんな教会でもいつも献身的に手伝ってくれたたくさんの信者の皆さんに心から感謝致します。

最後にこの6月はイエス様のみ心の月なので、その心に私たちも益々似るように祈りながら頑張りましょう。

マリオ・バラーロ神父

7月「感謝」

先日私の叙階50周年記念日を準備して下さった方々に、また大勢の皆様が参加してくださり心温まる言葉をいただいたことに心から感謝致します。

一人のスペイン人の作家 MIGUEL DE UNAMUNOは次の言葉を書いていました。「私の中には、三人の人がいる。一人は他人から見られている私、二番目は自分自身が見ている私、そして神から見られている私」
私も金祝にあたって、その違いを少し感じました。神様は私についてどう思っていらっしゃるのかは分かりませんが、大勢の皆様が私についておっしゃったことは優しすぎるもので、皆さんが思うほどそんなに良い人間ではありません。大抵祝いの時、人々は良いことだけをおっしゃるのは分かっていますが、それにしてもお褒めの言葉を聞いて・・・・申し訳ない気持ちをちょっぴり感じました。

イエズス様と皆様の思いを裏切らないように、もっと頑張れるかどうかわかりませんが、この金祝が一日だけの祝いに終わってしまわないように努めます。
最後に病気、高齢、仕事など、いろいろな理由でミサに参加できなかったけれども、わたしの為に祈って下さった方々にも感謝致します。
私も皆様の為に24日のミサの間、心から祈らせて頂きましたしこれからも祈りますので、どうぞよろしくお願いいいたします。

マリオ・バラーロ神父

8月「ジョギング」

すらりとした格好を保つのは難しくない時代がありました。例えば中世紀には、医者は特別なダイエットを命じる必要はなかったのです・・・飢饉で十分でした!
現代の先進国では、良い格好を保つためにフィットネスクラブに通ったりジョギングをしたり特別なダイエットに従うしかなさそうです。

夜、境川に沿って散歩する時、必ず一人か二人の人がジョギングをしているところに会います。その時 FULLER FIX というジョギングを普及した人のことを思い出します。彼は52歳の時、ジョギングをしながら・・・亡くなりました。皮肉屋の作家であったマーク・トウェインは「トム・ソーヤの冒険」という本の中で、次のような事を書きました。「自分の人生の中でやった唯一のスポーツは、スポーツマンの友達の葬儀に行くことでした!!!」

このようなことを書くのは、別に人が自分の体を格好よく作り上げるのがいけないと言うためではありません。ただテレビの宣伝の成果かも知れませんが、人々は自分の体の格好ばかり気にするような気がしてアンバランスだと感じています。パウロはコリントの手紙の中で「あなたがたの体は、キリストの体の一部分であり、神からいただいた聖霊が宿っていて下さる住まいなのです。その体で神を讃えなさい。」 コリントⅠ 6.12~20参照

この言葉を読みますと、体は大事なもので「聖(せい)櫃(ひつ)」のようなものとして尊いものですが、私たちは体と心を磨くことを同じように真剣に考えているでしょうか?パウロがおっしゃるように、私たちは自分の体を通して神を讃えているかどうか考えてみましょう。

マリオ・バラーロ神父

9月「虚栄心とユーモア」

9月になると教会として決まった話題は、おそらく敬老の日と一粒会大会だと思います。しかしこの記事を書こうとしていた時は、まだ8月だったのでオリンピックの真っ最中でした。毎日テレビも新聞も特に日本の選手がどのくらいメダルを勝ち取ったか、または一生懸命頑張ったことを誇らしげに報道していました。日本に起こっていたことは多分どんな国でも起こっていたので、自分達の国の選手を応援し自慢していたことでしょう。これは自然なことですが、自分達の中にあるちょっぴりの虚栄心を表しているのではないかと思います。この“ちょっぴり”の虚栄心があまりにも大きくなると、自己コントロールがきかなくなり、笑われる様な人間になってしまいます。

Henri Bergson というフランス人の哲学者(1927年のノーベル文学賞)は次のような“手当”を勧めていました。「自分のことについて笑い、自分自身の見栄と距離をとることです。つまり非神話化することです。」

残念ながらうぬぼれている人は、あるリミットを越えるとユーモアも感じなくなり、自分のやり方についてのちょっとしたふざけたことも受け入れなくなるような気がします。

他のフランス人の作家 Saint-Exupéryによりますと「見栄っ張りの人は褒め言葉しか聞こえません。そしてたびたび本当の褒め言葉とお世辞を見分けることができなくなります。虚栄心のための唯一の治療はユーモアなのです。」とも言っています。

皆さん私たちはその点についてどうでしょうか?
イエス様も福音書の中で何回もおっしゃっています。
「先の人は後になり、後の人は先になる」

いつか神の家に戻ったとき、私達は謙虚さとユーモアの金メダルを勝ちとるでしょうか?

マリオ・バラーロ神父

10月「信仰年」

今度の10月11日から2013年11月24日(王であるキリスト)まで、“信仰の門”という自発教令をもって教皇ベネディクト16世は“信仰年”を宣言なさいます。その時期を選んだのは、2012年10月11日は第二バチカン公会議が開幕して50周年になるし、“カトリック教会のカテキズム(公教要理)”配布20周年を記念する日になっているからです。

その自発教令には次のように書いてあります。「私達は塩に塩気がなくなり、光が隠れたままでいるのを受け入れることが出来ません・・・私達は忠実に伝えてきた神の言葉と弟子を生かすために、与えられた命のパンの味を再発見しなければなりません。」

教皇のメッセージは二つの言葉でまとめれば、「信仰を深めることと伝えること」になるのではないかと思います。この“信仰年”の目的を達するには、教皇様はまず次のようにおっしゃっています。「典礼と秘跡、とくにミサがなければキリスト信者の証し、支える恵みを失うことになります。又私達は信仰を伝える使命を持っているその内容を知る必要があります。それでカトリック教会の教理を通して、教会の教えを正確に身につけることは不可欠な手段なのです。」と訴えています。又「“カトリック教会のカテキズム”は信仰の根本的な内容を再び発見させます。教会の二千年の歴史の中で受け入れ、守り示してきた豊かな教えを見出すことが出来ます。」

私達としてはその教皇様の言葉を大切にし、自分の信仰をもっと理解する為に、勉強だけではなく、祈り、秘跡、ミサをおろそかにしないで、日曜日は神の日としてあらためて自覚すれば、信仰を伝える確信と喜びを感じることが出来るようになるでしょう。

マリオ・バラーロ神父

11月「最後のただいま」

数年前、入院していたある九州出身の信者は、長い間教会をご無沙汰していました。ほかの信者から彼の入院を知らされたので、お見舞いに行きました。ところが私を見た途端、泣きそうになってしまいました。彼を励まそうとして「大丈夫よくなりますよ、祈ってあげますよ」と言うと彼は次のように答えました。「死を恐れているのではありません。死後のことを心配しているのです。」

昔、諸聖人の連祷の終わりに次の祈りがありました。“ab improvisa et subitanea morte libera nos Domine”つまり、急な死から救ってくださいという意味でした。なぜそのような祈りなのかと言いますと、神の前に現れる時ちゃんと心の準備(告解、聖体、病者の秘跡など)ができるように時間が欲しかったからです。現在たいてい死の話題に入ると皆さんは“ポックリ病”が一番よいと言います。・・・いつ神から呼ばれても大丈夫と思うからでしょうか。

長い伝統に従って、教会は11月の時、亡くなられた方のために祈りとミサを捧げるように勧めています。しかし人のために祈るのは大変良いことですが、ご自分の死後のこともちょっと反省した方がよいのではないかと思います。そうすればこの人生で何をなすべきか、何を避けるべきかがもっとはっきり見えるようになるのではないでしょうか。

年をとっていても若くてもいつ死ぬかわかりません。そしてご自分の人生の終点を知ることによって、歩むべき道がもっとわかるようになるのではないかと思います。キリスト信者にとって死ぬことによって父の家に戻るのであれば、私達はこの世を去る時は“旅立っていく”というよりも“ただいま”と言った方が正解ではないかと思います

マリオ・バラーロ神父

12月「偽りのないクリスマス」

1954年の待降節の時、マラパルテというイタリアの作家は、次のような厳しい言葉を書いていました。
「数日たてばキリストのご降誕です。その時人間は巨大な偽善的な心でその記念日を祝います。社会がキリストの精神から離れていることを何故訴える人はいないのでしょうか。政治家が格好いい言葉を言ったり、人々が平和と優しさの話をしたり、教会では荘厳な典礼を行ったりしていますが、それが見苦しい現実を隠そうとしていることを何故誰も訴えないのでしょうか。人々はもうキリスト信者ではありません。キリストは人の心の中にいなくなってしまいました。偽善は政治から社会生活、家庭と個人の心にまで浸透して、キリストを追い出したのです。・・・・・・」

この作家は回心したばかりだったので、情熱のあまりあの当時のイタリアの信者の生ぬるい信仰生活を見て、我慢できなかったのでした。彼の気持ちはよくわかります。しかしイエス様がお生まれになった時代も、人間はそれほど違っていなかったような気がします。神が人間になり、この世にお生まれになったのは、欲望、エゴ、傲慢、見栄に満ちた人間のためなのです!そのみっともない人間を救うためにおいでになったのです!イエス様は私達の弱さとみじめさをよくご存知ですが、私達を裁くためにいらしたのではなく、私達を救うためにいらしたのです!(ヨハネ3-16~17参照)ヨハネ福音書にはたしかに“ご自分の民のところに来たが、民が受け入れなかった。”と書いてありますが、そのすぐ後に“ご自分を受け入れた人はみな神の子となる資格を与えた”(ヨハネ1-12)と示されています。

皆さん、私達もイエス様を受け入れ、ご降誕を迎えるようにしましょう。そうすれば偽りのないメリークリスマスを互いにかわすことが出来るでしょう。

2011年

1月「三つの幸せのヒント」

新年おめでとうございます。

いつもの様に年の初めに、今年こそ去年よりももっと幸せになるようにと願っていらっしゃることと思います。けれども自分の人生においてどんなことが起こるかは、分からないものです。分かりませんので、まずマリア様のように自分のすべてを“お言葉どおり、この身に成りますように”(ルカ1-38)神に委ねることだと思います。その後それぞれの夢、希望、望みなどを追いかけながら、実現できるように頑張ることがよいでしょう。

もう一つのことで2011年の初めに勧めたいのは、自分の事だけを考えないで、必要な時に他人に手をさしのべることです。人にあげた自分の時間、お金、祈りなどは無駄にならないし、逆に喜びのもとになるに違いありません。

ある作家によりますと、「持っていないものまでもあげなさい。他人の悩みを背負い、近くにいる人のことに心を配りなさい。泣きたいときでも微笑みなさい。そうすれば少しずつ自分の心に喜びが生まれ、そして与えた喜びが戻ってくるでしょう。」

この三つの幸せのヒント「委ねること。夢を追いかけること。他人の幸せを求めること。」を生かしたら、この2011年はもう少し明るいものになると思います。神の母である聖母マリアの祈りと模範に支えられて、キリストと共に歩んでいきましょう。

マリオ・バラーロ神父

4月「主よ、どこに・・・」

その時、私は叫びました。
わが主よ、何故こんな苦しみがあるのでしょうか?
地震が地面をひっくり返した時、どこにいらしたのでしょうか?
津波が数え切れない命を奪った時、どこにいらしたのでしょうか?

主よ、どこに・・・
主の声が聞こえたかのように感じました。
私はいつものように十字架の上にいます。
苦しむ人と共に苦しみ、泣く人と共に泣き、死ぬ人と共に死にます。
人間をすべての十字架から解放する為に来たのではなく、これに耐えられるように、そしてよみがえりを与えるために来ました。

主よ、私は目があってもあなたが見えません。
耳があってもあなたの声が聞こえません。
あなたを捜しても見つかりません。

主はおこたえになりました。
あなたが行きたくないところ、私はそこにいます。
あなたが見たくないところ、私はそこにいます。
あなたが聞きたくないところ、私はそこにいます
あなたが赦したくないところ、私はそこにいます。
私を捜したいならば、自分のことよりも他人のことを思いなさい。
あなたを救ったところ、すなわち十字架の上、私をそこに見つけるでしょう。

そして私を見つけたならば、私のあわれみと命を与えられるでしょう。

マリオ・バラーロ神父

7月「75回目の夏」

今月は、私にとって特別な誕生日を祝うことになります。75才になり、正式に老人の仲間入りをして、敬老の日を祝う資格が生まれると同時に、教会法では、主任司祭として退任する日になっております。つまり世間で言えば、退職する時期になりました。ただ司祭が少ないので、まだ元気だからもう少し頑張ってくださいと言われました。 “馬がなければロバが走る”(イタリアのことわざ) ので、もう少し仕事をさせていただくことができて有難いのですが、やはり年とったことには違いありません。これはちょっとくやしいです!!!

一般の社会人は、その時の受け止め方はそれぞれ違うと思いますが、私にとってちょっと複雑な気持になります。

1963年、船に乗って日本に向かった時、希望と不安をかかえながら、すべてイエス様に捧げようと思って、出かけてきました。その時から48年過ぎた今、まず神に感謝する気持で一杯です。苦しい時があれば、様々な失敗もありましたが、総合的に見れば幸せな75年間でした。生まれ変わることがあったら、また同じ人生を歩みたいと思います。ただ残念ながらイエス様に対する強いと思っていた愛が、実際にはいかに弱いものであったか分かって、申し訳ない気持を強く感じながら、大勢の人々にいつもよい手本をみせることができなかったことを思うと心が痛みます。イエス様は私を見て、どう思っていらっしゃるでしょうか。本当に神の憐れみに頼るしかありません。残り少ない人生は、神に委ねておぼし召しのままに生き、今までよりももう少しイエス様と共に歩みたいと言いたいところですが、おそらく今まで通りあまり変わらないかもしれません。どうか皆さん、私の・・・“回心”のためにお祈り下さい。

神のもとに行った時に言われたいのは「あなたを知りません」ではなく、十字架につけられた強盗におっしゃったことと同じように、「今日私と共に楽園にいる」ということになれば幸いと思います。

マリオ・バラーロ神父

8月「節電」

長い間、電気を使うのは当たり前のことで、いつかそれが足りなくなるかもしれないと、おそらくだれも考えたことがなかったかもしれません。

明るくても電気をつける。テレビを見ていなくても、朝から晩までつけっぱなし。扇風機の代わりにエアコンを使うのは当然で、町ではいろいろな電気の看板をつけていましたが、電気が足りなくなったので、その有り難さを感じながらも、みんな心配して無駄な電気を使わないように呼びかけられています。節電をするのは、多少不自由である反面、私たちの生活のリズムを見直すような時代に近づいたことを自覚させてくれます。

ところがこの状態を考えながら、一つのイエス様のたとえ話を思い出しました。つまり、畑に隠された宝を手に入れるために、財産を全部売りはらって宝のある畑を買う人の話です。よく考えてみますと、結局人間は大事なものを得るためには、それ程大事でないものをカットすべきでしょう。それでは私たちの人生において、大事と思うことは何でしょうか。それに達するためにカットすべきことは何でしょうか。それぞれ自分の目的があるでしょう。ただその中にキリストがどんな場所を占めておられるでしょうか。カットすべきと思っている中に、神がいらっしゃらないことを希望しています。

皆さん、私たちの人生の節電は、どんなものでしょうか?

マリオ・バラーロ神父

9月「幸せな人・・・」

毎年9月になると、教会として目立つ出来事は、敬老の日と一粒会大会だと思います。今年は“桐生フランシスコ兄弟の家”から老人に関わる気に入った文章を送ってもらったので皆さんに紹介しますが、お役に立てば幸いと思います。

私のよろける足どりと
ふるえる手を理解してくれる人は幸いです。
私の耳は、人のいう言葉を聞きとるためには、
大きな努力が必要であることを
わかってくれる人は幸いです。
私の目はうすくなり
私の行動はのろいということを
善意のうちにわかってくれる人は幸いです。
私がコーヒーをこぼしても、かわりない
平静な顔をしてくれる人は幸いです。
しばらく立ちどまって
明るくほほえみながら
おしゃべりしてくれる人は幸いです。
「今日はその話を二度も聞きましたよ」と
決して言わない人は幸いです。
楽しかった昔をとりもどす方法を
知っている人は幸いです。
私が愛されており
ひとりぼっちでないことを
教えてくれる人は幸いです。
私には十字架を担う力がないことを
わかってくれる人は幸いです。
愛情深く人生の最後の旅路の日々を
なぐさめてくれる人は幸いです。

10月「泉にわき出て 流れる水のように」

「泉にわき出る水は、流れるためにあるでしょう。そこに留まれば水溜まりになり、そして少しずつ沼になってしまいます。命を与える為に、水は流れるべきでしょう」
ある本で読んだこの言葉は、宣教にも当てはまると思います。自分の中に留まっている信仰は、沼のようになりやすくて、誰にとっても役に立ちません。

しかし宣教は宣伝と大きく違っています。宣伝は目立てばよいのですが、宣教は逆に沈黙、反省、祈りの中から生まれ、自分の血と肉になり、キリストに夢中になって初めて宣教らしいことが生まれます。誰かが、「この言葉は司祭とシスターのためですか?私たち信者にはあてはまりません。」というならば、大変悲しいことです。どんな立場であろうとも、洗礼によってキリストと共に生き、キリストと共に行動するのは当たり前なのです。それぞれ与えられたところで、それを目指していくべきでしょう。

例えば今年3月に、パキスタンのイズラマバードで少数宗教民族の大臣だったShahbaz Bhatti氏が殺されました。その数日前に家族への手紙の中に、次のような事を書いていました。

「キリストのために生き、キリストのために死んでもよい。・・・・命ある限りイエスと貧しい人、迫害される人、少数宗教の人などの為に一生懸命尽くしたいのです。」

宣教はそのような心から生まれるのでしょう。
今月の23日は、全世界のカトリック教会で宣教の日になっております。Bhatti大臣のような精神を育てたら、どんな立場に置かれてもきっと素晴らしい宣教が生まれてくるようになるでしょう。

トピックス

バングラデシュ訪問2日目の12月1日、教皇は首都ダッカでバングラデシュの諸宗教代表者とお会いになりました。この出会いには、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教諸教会から代表が参加、共に平和への願いを述べました。キリスト教徒は人口の0.3%の少数派です。この中で聖公会の主教と共に、エキュメニカルな平和のための祈りが行われました。

エキュメニカルな平和のための祈り

バングラデシュ訪問2日目の12月1日、教皇は首都ダッカでバングラデシュの諸宗教代表者とお会いになりました。この出会いには、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教諸教会から代表が参加、共に平和への願いを述べました。キリスト教徒は人口の0.3%の少数派です。この中で聖公会の主教と共に、エキュメニカルな平和のための祈りが行われました。

バングラデシュを訪問中のフランシスコ教皇は12月1日、ミャンマーでの 迫害から逃れてきた少数派イスラム教徒ロヒンギャの人たちと会い、「我々は彼らの権利が認められるよう、支援を続けなければならない」と訴えられました。

ロヒンギャ難民と面会

バングラデシュを訪問中のフランシスコ教皇は12月1日、ミャンマーでの 迫害から逃れてきた少数派イスラム教徒ロヒンギャの人たちと会い、「我々は彼らの権利が認められるよう、支援を続けなければならない」と訴えられました。

11月29日、フランシスコ教皇はミャンマー最大都市ヤンゴン市内の聖マリア大聖堂で行われたミサで説教されました。教皇は15万人のキリスト信者らに「暴力や報復に訴えてはいけない」と呼びかけました。

教皇が非暴力呼びかけ

11月29日、フランシスコ教皇はミャンマー最大都市ヤンゴン市内の聖マリア大聖堂で行われたミサで説教されました。教皇は15万人のキリスト信者らに「暴力や報復に訴えてはいけない」と呼びかけました。

11月28日、フランシスコ教皇はミャンマーの首都ネピドーでアウンサンスー・チー国家顧問と会談しました。ロヒンギャ問題に強い懸念を示してきた教皇は、「ミャンマーの未来にはそれぞれの民族への尊厳に基づく平和が必要だ」と訴えました。
ミャンマー国民も多くは、ロヒンギャに反感をもち、同情の声は聞かれません。教皇の訪問を前に政府は「国民の反感を生む」として教皇がロヒンギャ問題に触れないようにバチカンに要望していました。

スー・チー国家顧問と会談

11月28日、フランシスコ教皇はミャンマーの首都ネピドーでアウンサンスー・チー国家顧問と会談しました。ロヒンギャ問題に強い懸念を示してきた教皇は、「ミャンマーの未来にはそれぞれの民族への尊厳に基づく平和が必要だ」と訴えました。
ミャンマー国民も多くは、ロヒンギャに反感をもち、同情の声は聞かれません。教皇の訪問を前に政府は「国民の反感を生む」として教皇がロヒンギャ問題に触れないようにバチカンに要望していました。

フランシスコ教皇は2017年11月27日から12月2日までミャンマーとバングラデシュを司牧訪問されました。ミャンマーは仏教徒、バングラデシュはイスラム教徒が多数派の国です。現在ミャンマーからは60万人を超えるイスラム教徒ロヒンギャがバングラデシュに逃れていいます。

フランシスコ教皇ミャンマーとバングラデシュ訪問

フランシスコ教皇は2017年11月27日から12月2日までミャンマーとバングラデシュを司牧訪問されました。ミャンマーは仏教徒、バングラデシュはイスラム教徒が多数派の国です。現在ミャンマーからは60万人を超えるイスラム教徒ロヒンギャがバングラデシュに逃れていいます。

国民の中にも和睦の気持ちがどんどん大きくなることを願って、子どもたちと一緒に和睦の木を植えているフランシスコ教皇。

どんどん大きくなれ、和睦の木

国民の中にも和睦の気持ちがどんどん大きくなることを願って、子どもたちと一緒に和睦の木を植えているフランシスコ教皇。

コロンビア政府は、2016年、ゲリラ組織(FARC)と和平合意して、52年間に及んだ内戦を終結に導きました。平和を求めるシンボルである和睦の灯に点火するサントス大統領。しかし、家族を殺された人々の憎しみ合いは簡単に消えるものではなく、今後も困難な状況は続きそうです。和解と平和を求める目的でコロンビアを訪問した教皇フランシスコは、互いに許し合うように呼びかけられました。

平和を後押し フランシスコ教皇

コロンビア政府は、2016年、ゲリラ組織(FARC)と和平合意して、52年間に及んだ内戦を終結に導きました。平和を求めるシンボルである和睦の灯に点火するサントス大統領。しかし、家族を殺された人々の憎しみ合いは簡単に消えるものではなく、今後も困難な状況は続きそうです。和解と平和を求める目的でコロンビアを訪問した教皇フランシスコは、互いに許し合うように呼びかけられました。

教皇フランシスコは9月6日から11日まで、南米コロンビアを訪問なさいました。「希望と平和の巡礼者として訪れ、コロンビア国民の試練の中の強さに学ぶ旅でもあります。」と述べられました。 ボゴタ市内の公園、ビリャヴィセンシオ郊外、カルタヘナ市の港湾地帯などでミサを司式され、メデジンでは児童養護施設を訪問なさいました。これらのミサの中で、ここ数十年、コロンビアが続けてきた武力闘争終結と和解に向けた努力を讃え、「信仰と希望があってこそ、困難を乗り越えることができます。」と話されました。 更に、すべてのコロンビア国民に「平和をもたらす人」となるよう励まされ、困難や、暴力、悪に決して負けることがないようにと勇気付けられました。市民の熱烈な歓迎の中、左頬の打撲と眉を切る怪我をされましたが大事には至らず、絆創膏の手当をなさり市民を祝福し続けました。

教皇、南米コロンビアを訪問

教皇フランシスコは9月6日から11日まで、南米コロンビアを訪問なさいました。「希望と平和の巡礼者として訪れ、コロンビア国民の試練の中の強さに学ぶ旅でもあります。」と述べられました。
ボゴタ市内の公園、ビリャヴィセンシオ郊外、カルタヘナ市の港湾地帯などでミサを司式され、メデジンでは児童養護施設を訪問なさいました。これらのミサの中で、ここ数十年、コロンビアが続けてきた武力闘争終結と和解に向けた努力を讃え、「信仰と希望があってこそ、困難を乗り越えることができます。」と話されました。 更に、すべてのコロンビア国民に「平和をもたらす人」となるよう励まされ、困難や、暴力、悪に決して負けることがないようにと勇気付けられました。市民の熱烈な歓迎の中、左頬の打撲と眉を切る怪我をされましたが大事には至らず、絆創膏の手当をなさり市民を祝福し続けました。

2017年2月7日、「ユスト高山右近の列福式」が大阪城ホールで行われました。アンジェロ・アマート枢機卿(教皇代理、列聖省長官)を初め日本の司教団、駐日教皇大使ジョセフ・チェノット大司教、右近の最期の地フィリピン・マニラのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿、さらに各国の司教たちの参加を得、1万人の参加者のもとで行われました。

侍・高山右近列福される(1)

2017年2月7日、「ユスト高山右近の列福式」が大阪城ホールで行われました。
アンジェロ・アマート枢機卿(教皇代理、列聖省長官)を初め日本の司教団、駐日教皇大使ジョセフ・チェノット大司教、右近の最期の地フィリピン・マニラのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿、さらに各国の司教たちの参加を得、1万人の参加者のもとで行われました。

右近は秀吉、家康のキリシタン禁教令中の大名・高槻城主でした。棄教を迫られましたが拒否して地位や領土を捨て流浪の民となりました。長崎からマニラに追放され、その地で病を得て63歳で亡くなりました。
この右近のキリシタンとしての生き方をヴァチカンは殉教者と認めました。
式典中アマート枢機卿が「ユスト高山右近を福者として宣言する」教皇フランシスコの書簡を厳かに読み上げました。その後、三牧樺ず子(みまきかずこ)氏による右近の肖像画が除幕されました。
参加者は、改めて信仰の人ユスト高山右近の生涯をたどり、感動と感謝のうちに列福を祝いました。

侍・高山右近列福される(2)

右近は秀吉、家康のキリシタン禁教令中の大名・高槻城主でした。棄教を迫られましたが拒否して地位や領土を捨て流浪の民となりました。長崎からマニラに追放され、その地で病を得て63歳で亡くなりました。
この右近のキリシタンとしての生き方をヴァチカンは殉教者と認めました。
式典中アマート枢機卿が「ユスト高山右近を福者として宣言する」教皇フランシスコの書簡を厳かに読み上げました。その後、三牧樺ず子(みまきかずこ)氏による右近の肖像画が除幕されました。
参加者は、改めて信仰の人ユスト高山右近の生涯をたどり、感動と感謝のうちに列福を祝いました。

9月4日、ローマ教皇フランシスコは貧しい人々の奉仕に生涯をかけた修道女マザーテレサを聖人の列に加える列聖式を執り行いました。式典が執り行われたバチカンのサンピエトロ広場には、世界中から集まった参列者で埋め尽くされ、その数は約12万人と発表されました。

マザーテレサ列聖式、12万人が参列

9月4日、ローマ教皇フランシスコは貧しい人々の奉仕に生涯をかけた修道女マザーテレサを聖人の列に加える列聖式を執り行いました。式典が執り行われたバチカンのサンピエトロ広場には、世界中から集まった参列者で埋め尽くされ、その数は約12万人と発表されました。

1910年にマケドニアに生まれたマザー・テレサは、18歳で修道女になり、1929年にインドに渡りました。その後、彼女の言葉によると、汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受け、修道院を離れてカルカッタ(現在のコルカタ)のスラム街に入っていきました。1950年「神の愛の宣教者会」を創立し、貧しい人々の救済活動に尽くし、1979年にノーベル平和賞を受賞しました。1997年に87歳で亡くなりましたが、列聖式の翌5日はマザー・テレサの命日に当たります。

全てを捨て、最も貧しい人の間で働く

1910年にマケドニアに生まれたマザー・テレサは、18歳で修道女になり、1929年にインドに渡りました。その後、彼女の言葉によると、汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受け、修道院を離れてカルカッタ(現在のコルカタ)のスラム街に入っていきました。1950年「神の愛の宣教者会」を創立し、貧しい人々の救済活動に尽くし、1979年にノーベル平和賞を受賞しました。1997年に87歳で亡くなりましたが、列聖式の翌5日はマザー・テレサの命日に当たります。

サンピエトロ広場の大聖堂には巨大な肖像画が掲げられ、式典にはマザーの意思を継いで今も奉仕活動を続ける「神の愛の宣教者会」のシスターたちが列席しました。

白い木綿のサリーと皮製のサンダル

サンピエトロ広場の大聖堂には巨大な肖像画が掲げられ、式典にはマザーの意思を継いで今も奉仕活動を続ける「神の愛の宣教者会」のシスターたちが列席しました。

9月4日、バチカンでマザー・テレサ(1910-1997)の列聖式が12万人の参加者の中行われました。現在のマケドニア共和国スコピエで生まれたマザー・テレサは自分の持ち物の全てを捨て、インドの「死を待つ人々の家」で生涯を捧げました。マザーは最も貧しい人々の中に神なるキリストの姿を見出していました。列聖式でフランシスコ教皇は「心の中にマザー・テレサの微笑を保ち、その微笑を私達の人生で出会う人々、特に苦しむ人たちに贈りましょう。こうして、理解や優しさを求めている人々、落胆した人々に、喜びと希望の世界を開きましょう。」と世界に向けて促しました。

マザー・テレサ 聖人に

9月4日、バチカンでマザー・テレサ(1910-1997)の列聖式が12万人の参加者の中行われました。現在のマケドニア共和国スコピエで生まれたマザー・テレサは自分の持ち物の全てを捨て、インドの「死を待つ人々の家」で生涯を捧げました。マザーは最も貧しい人々の中に神なるキリストの姿を見出していました。列聖式でフランシスコ教皇は「心の中にマザー・テレサの微笑を保ち、その微笑を私達の人生で出会う人々、特に苦しむ人たちに贈りましょう。こうして、理解や優しさを求めている人々、落胆した人々に、喜びと希望の世界を開きましょう。」と世界に向けて促しました。

教皇フランシスコは7月27日から31日まで、聖ヨハネ・パウロ2世の祖国でもあるポーランドを訪問なさいました。世界青年の日(ワールドユースデー)に参加され、29日にはアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れました。ミサや演説でなく「恐怖のその場では一人で祈りたい」と長い沈黙の祈りをなさいました。その後、生還者とお会いになり言葉を交わされ、更にマキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894-1941)が餓死刑で、ちょうど75年前に亡くなった地下牢も訪れました。コルベ神父は、家庭を持つ男性の身代わりとなることを申し出て、餓死室に送られた神父です。

教皇フランシスコ  アウシュビッツで祈る

教皇フランシスコは7月27日から31日まで、聖ヨハネ・パウロ2世の祖国でもあるポーランドを訪問なさいました。世界青年の日(ワールドユースデー)に参加され、29日にはアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れました。ミサや演説でなく「恐怖のその場では一人で祈りたい」と長い沈黙の祈りをなさいました。その後、生還者とお会いになり言葉を交わされ、更にマキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894-1941)が餓死刑で、ちょうど75年前に亡くなった地下牢も訪れました。コルベ神父は、家庭を持つ男性の身代わりとなることを申し出て、餓死室に送られた神父です。

カトリックの若者たちの祭典WYDが、ポーランド・クラフトにて7月26日~7月31日まで開催されました。クラフトはWYDの創始者である聖ヨハネ・パウロ2世の出身地です。
この大会は、世界中の青年がイエス・キリストの信仰を表すために教皇と司教、司祭、修道者と共に一つの場所に集まる国際的な大会です。

2016年ワールドユースデー(WYD)クラクフ大会

カトリックの若者たちの祭典WYDが、ポーランド・クラフトにて7月26日~7月31日まで開催されました。クラフトはWYDの創始者である聖ヨハネ・パウロ2世の出身地です。
この大会は、世界中の青年がイエス・キリストの信仰を表すために教皇と司教、司祭、修道者と共に一つの場所に集まる国際的な大会です。

2月12日から17日までメキシコを訪問されたフランシスコ教皇は、13日グアダルペの聖母巡礼聖堂でミサを捧げられました。この巡礼聖堂の由来は、1531年、インディオのホアン・ディエゴが、テペヤクの丘の上で5回にわたる聖母マリアの出現を受け、聖母からこの地に聖堂を建てるよう望まれたことに始まります。この聖堂の中には聖母像が写ったホアンのマントが保管されています。ミサ終了後、教皇は聖母像が保管されている礼拝堂に赴き、長い祈りの時間を持たれました。教皇はこの巡礼を記念し、聖母に金の冠を贈りました。

教皇、メキシコ訪問  奇跡的画像「グアダルペの聖母」の前で祈る

2月12日から17日までメキシコを訪問されたフランシスコ教皇は、13日グアダルペの聖母巡礼聖堂でミサを捧げられました。この巡礼聖堂の由来は、1531年、インディオのホアン・ディエゴが、テペヤクの丘の上で5回にわたる聖母マリアの出現を受け、聖母からこの地に聖堂を建てるよう望まれたことに始まります。この聖堂の中には聖母像が写ったホアンのマントが保管されています。ミサ終了後、教皇は聖母像が保管されている礼拝堂に赴き、長い祈りの時間を持たれました。教皇はこの巡礼を記念し、聖母に金の冠を贈りました。

教皇フランシスコは、2月12日キューバの空港でロシア正教最高位キリル総主教と会談しました。中東やアフリカにおいて、キリスト教徒が迫害されている状況がこの会談のきっかけとなったと考えられています。「迫害されるキリスト教徒を救うよう国際社会に求め、難民や移民、反貧困の努力に注意を向けそれらを支援します。人類の利益のためにキリスト者の団結を求めます。」と共同声明が出されました。

分裂1000年トップ初会談

教皇フランシスコは、2月12日キューバの空港でロシア正教最高位キリル総主教と会談しました。中東やアフリカにおいて、キリスト教徒が迫害されている状況がこの会談のきっかけとなったと考えられています。「迫害されるキリスト教徒を救うよう国際社会に求め、難民や移民、反貧困の努力に注意を向けそれらを支援します。人類の利益のためにキリスト者の団結を求めます。」と共同声明が出されました。

教皇フランシスコは、2016年1月21日、キリシタン大名「ユスト高山右近」に「福者」という称号を与えることを承認しました。大阪で生まれた右近は、父の影響で洗礼を受けました。織田信長や豊臣秀吉に仕え、高槻(大阪府高槻市)や明石(兵庫県明石市)を治めました。
この時代は、知恵と才覚があれば、繁栄や権力、名誉が手に入るという時代でした。そのような時代に、右近はキリスト教の信仰に出会いました。人の価値は無条件に神から愛されている事実によることを、イエスの福音から学び取ったのです。右近の生涯は試練の連続で、全てを失い祖国を追われます。それでも、福音を聴いて神に従う生き方を貫きました。1615年、流刑地マニラで亡くなりました。

ユスト高山右近 列福される

教皇フランシスコは、2016年1月21日、キリシタン大名「ユスト高山右近」に「福者」という称号を与えることを承認しました。大阪で生まれた右近は、父の影響で洗礼を受けました。織田信長や豊臣秀吉に仕え、高槻(大阪府高槻市)や明石(兵庫県明石市)を治めました。
この時代は、知恵と才覚があれば、繁栄や権力、名誉が手に入るという時代でした。そのような時代に、右近はキリスト教の信仰に出会いました。人の価値は無条件に神から愛されている事実によることを、イエスの福音から学び取ったのです。右近の生涯は試練の連続で、全てを失い祖国を追われます。それでも、福音を聴いて神に従う生き方を貫きました。1615年、流刑地マニラで亡くなりました。

教皇フランシスコは11月25日から30日まで、ケニア、ウガンダ、中央アフリカの3カ国を訪問なさいました。紛争地でありテロも頻発している中、治安上のリスクが懸念されていましたが教皇様の固い決意はお変りになりませんでした。 最初の訪問国ケニアではナイロビで大統領との会談を行い、ナイロビ大学構内でミサを捧げました。またスラム街の人達の中に入り、若者たちとも集いを持ちました。 ウガンダに移動され、ここでも大統領と会談しました。また長い間人々に奉仕しておられるシスター方にお会いになりました。そしてカトリックの殉教者聖地ではミサを捧げました。 最後の訪問国は中央アフリカ。首都バンギで大統領と会談し、難民キャンプを訪問しました。さらに、カトリック司教座大聖堂でミサを捧げ、戦争、分裂、貧困に背を向け「武器を捨て、愛と慈悲を身に付けてほしい」と訴えました。

教皇フランシスコ、決意のアフリカ訪問

教皇フランシスコは11月25日から30日まで、ケニア、ウガンダ、中央アフリカの3カ国を訪問なさいました。紛争地でありテロも頻発している中、治安上のリスクが懸念されていましたが教皇様の固い決意はお変りになりませんでした。
最初の訪問国ケニアではナイロビで大統領との会談を行い、ナイロビ大学構内でミサを捧げました。またスラム街の人達の中に入り、若者たちとも集いを持ちました。
ウガンダに移動され、ここでも大統領と会談しました。また長い間人々に奉仕しておられるシスター方にお会いになりました。そしてカトリックの殉教者聖地ではミサを捧げました。
最後の訪問国は中央アフリカ。首都バンギで大統領と会談し、難民キャンプを訪問しました。さらに、カトリック司教座大聖堂でミサを捧げ、戦争、分裂、貧困に背を向け「武器を捨て、愛と慈悲を身に付けてほしい」と訴えました。

10月4日から25日まで、全世界の司教様といく組かのご夫婦と他のカトリックではないキリスト信者も参加して、シノドス(各国の司教団代表者会議)が開かれ、家庭の問題について話し合いました。司教様の中から色々な意見が出ましたが、近いうちにそれを参考にして、教皇様から一つの具体的な指導がなされるでしょう。

シノドス

10月4日から25日まで、全世界の司教様といく組かのご夫婦と他のカトリックではないキリスト信者も参加して、シノドス(各国の司教団代表者会議)が開かれ、家庭の問題について話し合いました。司教様の中から色々な意見が出ましたが、近いうちにそれを参考にして、教皇様から一つの具体的な指導がなされるでしょう。

9月25日、国連を訪れ演説を行った教皇フランシスコは、国連が多くの紛争や和平に対する貢献を評価された。一方、誤った権力の行使によって、今日の世界で自然破壊や、人々が犠牲になっている現実があると指摘され、環境を保護しながら、疎外された人々の権利を確立する必要を強調された。

教皇、ニューヨークの国連本部を訪問、「人々の権利と環境を保護し、共通善への奉仕を」

9月25日、国連を訪れ演説を行った教皇フランシスコは、国連が多くの紛争や和平に対する貢献を評価された。

一方、誤った権力の行使によって、今日の世界で自然破壊や、人々が犠牲になっている現実があると指摘され、環境を保護しながら、疎外された人々の権利を確立する必要を強調された。

教皇フランシスコは、9月19日~28日まで教皇フランシスコ、キューバと米国を司牧訪問されました「ハバナでのミサ、革命広場で50万人の信者が参加」20日、首都ハバナ市内の革命広場で大規模なミサを捧げられ、広場には大勢の市民が詰めかけました。

ハバナでのミサ、革命広場で50万人の信者が参加

教皇フランシスコは、9月19日~28日まで教皇フランシスコ、キューバと米国を司牧訪問されました

「ハバナでのミサ、革命広場で50万人の信者が参加」

20日、首都ハバナ市内の革命広場で大規模なミサを捧げられ、広場には

大勢の市民が詰めかけました。

ハバナでのミサの中で、教皇は福音朗読を取り上げ、「いちばん先になりたいものは、人に仕える者であり、人から仕えられる者ではない」「仕えるとは、私たちの家族、社会、市民たちの間で弱い立場にある人々に奉仕すること」と強調されました。「奉仕とはイデオロギーではありません。するのです。」と説かれました。

思想に奉仕するのではなく、人に奉仕

ハバナでのミサの中で、教皇は福音朗読を取り上げ、「いちばん先になりたいものは、人に仕える者であり、人から仕えられる者ではない」「仕えるとは、私たちの家族、社会、市民たちの間で弱い立場にある人々に奉仕すること」と強調されました。「奉仕とはイデオロギーではありません。するのです。」と説かれました。

20日、キューバ革命を起こしたフィデル・カストロ前国家評議会議長の自宅に招かれ、家族同席の中、打ち解けた雰囲気で対話が行われました。教皇は前議長に、ご自身の回勅「ラウダート・シ」使徒的勧告「福音の喜び」、又フィデル前議長の師であったイエズス会士アルマンド・ジョレンテ神父の黙想を収めたCDなどを送られました。一方カストロ前議長はブラジルの神学者でドミニコ会士ベット神父とフィデル議長の対話を記した「フィデルと宗教」を献辞を添えて送りました。

教皇、フィデル・カストロ元議長とお会いになる

20日、キューバ革命を起こしたフィデル・カストロ前国家評議会議長の自宅に招かれ、家族同席の中、打ち解けた雰囲気で対話が行われました。教皇は前議長に、ご自身の回勅「ラウダート・シ」使徒的勧告「福音の喜び」、又フィデル前議長の師であったイエズス会士アルマンド・ジョレンテ神父の黙想を収めたCDなどを送られました。一方カストロ前議長はブラジルの神学者でドミニコ会士ベット神父とフィデル議長の対話を記した「フィデルと宗教」を献辞を添えて送りました。

米国を訪れた教皇フランシスコは、9月23日、ホワイトハウスでの歓迎式 に臨まれ、この後オバマ大統領と会談されました。歓迎式の挨拶で、教皇はご自分を移民の家族出身であると紹介しながら、同様の家族たちによって大部分が構成された米国を訪れた喜びを表されました。そしてこの訪問で出会いと対話を通し、アメリカ国民の夢と希望に耳を傾け、それを分かち合いたいと述べられました。 

移民の息子として、ここに来ました

米国を訪れた教皇フランシスコは、9月23日、ホワイトハウスでの歓迎式

 に臨まれ、この後オバマ大統領と会談されました。歓迎式の挨拶で、教皇はご自分を移民の家族出身であると紹介しながら、同様の家族たちによって大部分が構成された米国を訪れた喜びを表されました。そしてこの訪問で出会いと対話を通し、アメリカ国民の夢と希望に耳を傾け、それを分かち合いたいと述べられました。

 

交通の案内

■鉄道を利用
①小田急線を利用する場合
小田急江ノ島線 片瀬江ノ島駅から徒歩5分

 

②江ノ島電鉄線を利用
江の島駅と湘南海岸公園駅を利用する方法があります。
江ノ島電鉄線 江の島駅または湘南海岸公園駅共に徒歩5分

 

③湘南モノレール線を利用
湘南モノレール線 湘南江ノ島駅から徒歩5分

 

■車を利用する場合
①国道467号線を利用
松川賓館の交差点を海岸方向(南側)に入ってください。
山本橋を渡ってすぐ左側に教会があります。

 

②国道134号線を利用
江ノ島駅入り口交差点から江ノ島駅方向に入ってください。
湘南白百合小学校の西側を迂回する形で山本橋方向に走ってください。(※一方通行路です)
ただし20:00から翌日6:00までの間は江ノ島駅前は通行止めです。その場合は国道467号線側からお越しください。

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メールでのご返信にはお時間をいただく場合がございますので、あらかじめご了承ください。
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