7.マリア (3)

イエスの公生活において、マリアの存在はだいぶ控えめだと言えます。それがあの当時のユダヤ人の感覚に合うことでしょう。男性主義の社会だったので、女性の役割はたいてい目立たないものだったのです。
しかしマリアについて印象深いところは(強調できるものは)、少なくとも三つのところがあると思います。一つはカナの婚礼の時のことです。ブドウ酒がなくなったと気がついたマリアは、イエスに“ブドウ酒がなくなりました”と告げました。それに対してイエスは、案外冷たい態度で答えます。“婦人よ、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていません。”(ヨハネ2.3~4) しかしマリアはイエスの気持ちを理解したのでびくともせず、召使いに“この人が何か言いつけたらその通りにしてください。”(ヨハネ2.5)と言いました。 そこにマリアの取りつぎの力を強く感じられると思います。
またもう一つ大事な場面は、イエスが十字架にかけられたとき、一番若い弟子ヨハネをマリアの子として受け取るように、そしてヨハネにマリアをお母さんとして受け取って面倒を見るようにおっしゃったことでしょう。もしマリアが本当の子供を持っていたなら、イエスはヨハネに母の面倒を見るようにおっしゃらなかったでしょう。
三番目のマリアの素晴らしい態度は、十字架の下に“立っていた”と書いてあることです。ユダヤ人の習慣として死者の前で悲しみを表すために、大げさに泣いたりわめいたりしていましたが、マリアの姿勢は違っていました。力強く品を持ってご自分の限りない苦しみを耐えていました。
そのあと聖書にはマリアがどうなったか何も書いてありませんが、キリスト信者は、ずっとマリアのことを大事にして、時間が経つにつれてマリアの偉大さを理解し、マリアご自身、エリザベトにおっしゃった言葉を実現されました。
“今から後、いつの時代の人々もわたしを幸いな者と呼ぶでしょう。”(ルカ2.48)