5月「信じた、だから話した」

高校生だった時、ちょうどイタリアでは大事な選挙がありました。その選挙によって、イタリアは共産圏の国に属することになるか、または自由世界の仲間入りをするか決める選挙だったのです。

私は他の青年と共に数週間にわたって毎日夜遅くまでキリスト民主党の為にビラ配りしたり、ポスターを貼ったりしました。夢中だったので義務ではなく、自分の信念の為に喜んで頑張ってやりました。やはり人は信じると、その信じたことの為に自然に尽くすし、様々な形でそれを表すのです。

カトリック教会では堅信という秘跡(祈り)があります。それによって聖霊(神の助け)を受け、それによって自分たちの日常の生活の中で信仰を深め、表す勇気と力が与えられるように祈るのです。私たちは信念をもっているでしょうか?持っていればどのようなものでしょう。そのためにどのくらい頑張っているでしょうか?
ひとりの作家によりますと「人は自分を信じることの為に何も苦労しないなら、その信仰は価値がないか、又は本人は価値がないものなのです。」と言っています。私たちキリスト者は信念だけではなく、ひとりの方を信じ、その方と共に自分たちの人生を過ごすのです。

堅信というのは、ミサの時歌うように、キリストによって、 キリストとともに、キリストのうちに生きる決心を表す秘跡です。
それを実現できるように、神の助けを求める祈りでもあります。
どうかその秘跡が単なる儀式に終わらないように、心から祈りましょう。

マリオ・バラーロ神父