4月 生きた化石として

皆さん、3月6日、灰の水曜日から始まった四旬節の歩みを続けています。あと3週間で主のご復活を祝います。四旬節の歩みを続けながら、キリストとの結びつきを確認しているのではないかと思います。というのは、キリスト者とはキリストに属する者であるからです。洗礼によってキリストの者となったキリスト者は、キリストのように祈ったり、行動したりするからです。

四旬節が始まった時のことです。水曜日と土曜日に行われた「聖書入門講座」の際に、私自身が多くの方々とともにイエスさまが与えてくださった「主の祈り」のすばらしさを再び味わうことができました。祈るときには、私たちはイエスさまが祈られましたように祈ります。イエスさまは、主の祈りを祈られました。初めてイエスさまは「神」を「アッバ、父よ」と呼ばれたのです。新約聖書では、イエスさまご自身が利用されたアラム語のアッバは翻訳されることなく、そのまま残っています。3か所だけですが、そのまま残っています(マルコ14・36、ローマ8・15、ガラテヤ4・6参照)。今でも、祈る時には私たちも神さまに向かって「アッバ」と呼びかけることができます。「アッバ」は「パパ」のことです。神さまは私たちのパパです。神さまは私たちのパパであるからこそ、必ず私たちを助けてくださいます。必ずご自分の力を与えてくださいます。神さまが与えてくださるご自分の力で、私たちは何でもできるようになります。

今年も「聖なる過越の3日間」の典礼は私たちにとって、キリストが私たちをご自分の者とするためになさったことを黙想し、深める機会となります。ペトロの手紙一の1章18-19節で、私たちに与えられた新しい身分はこう表現されています。「知っているとおり、あなたがたが……贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」(一ペトロ1・18-19)。2章に入って、「キリストとの結びつき」は「生きた石」というイメージで示されています。「あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい」(一ペトロ2・3-5)。「生きた石」であることは、イエス・キリストについて言われた直後に、「イエス・キリスト」がご自分の者とされた「キリスト者」のためにも言われているわけです。

最後に、聖パウロがコリントの教会とエフェソの教会に宛てたそれぞれの手紙の中で利用されるイメージにも注目しましょう。「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」(一コリント3・9)。「かなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、……建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります」(エフェソ2・20-21)。

よい復活祭を迎えましょう。