3月 敗北者はだれでしょう

“少年時代、学校で4年間絵の勉強をしましたが、一個の卵も描くことができなかった。9回クリームのケーキを作ろうとやってみたが、5回焼きすぎて4回固まらなかった。入学試験の時、パスしなかった。トランペットをやってみたが、音楽を思わせるような音を出すことができなかった。スキーもダンスもできない。部屋を片付けることも自動車を運転することもできない。家の鍵を持っても何回もなくしてしまった。”
半分本気半分冗談で、ある作家(Guido Piovene グイド・ピオベーネ1907~1974)は自分についてこのような自己紹介をしていました。

これを読んだ時、この人生において世間の目で見たら価値がない人のことを考えさせられたのです。そのとき自分の頭に色々な人の顔が浮かんできました。
ある人は惨めな状態に落ちてしまったのは、自業自得だといえるし、他の人は色々な病気でかわいそうな人生を送り、ある人は生まれた場所や育てられた環境によって、世間から人生の敗北者として見られています。

そのことを考えながら、2月11日はマリア様がベルナデッタに現れた記念日になっていることを思い出しました。ベルナデッタも世間から見れば価値がない人だったといえるでしょう。
父はいつも借金に追われ、家族をちゃんと養うことができなかったので、彼女は病気になったり、学校に通うこともなければ、読み書きももちろんできなかったのです。しかしマリア様は彼女に現れたのです。
パウロの言葉で言えば、“私は世の無に等しい者、身分の卑しい者や、見下げられている者を選ばれたのです。それは神の前で誇ることがないようにするためです。(コリント第一の手紙1章28~29)”

イエス様の福音がもたらした大きな革命は、次のようなものでした。
ギリシャの文化にとって最高の価値がある人間は、哲学者、頭のいい人、学問がある人でした。逆にキリストにとって一番価値があるものは、愛がある人でした。
キリスト信者である私たちはこの価値観を受け入れているでしょうか。または昔のギリシャの文化のような考え方をもっているでしょうか。大いに考えるべきではないかと思います。