27.パウロ(7) ローマにおけるパウロ

パウロはやっとローマに向かって出発します (58年) 。残念ながら乗った船はマルタ島の近くで遭難してしまいます。マルタではパウロは色々な人を治したので、大勢の人は彼を神様だと思ったのです。三ヶ月経ってから別の船でローマへ向かいました。ローマでは大勢の信者はパウロの色々な艱難を知っていたので、パウロを迎えに行き大歓迎しました。
パウロはそこで軟禁されましたが、自分の家に住むことは許されたのです。パウロの裁判がどうだったかは書いてありません。ローマの滞在期間に色々な手紙を書きました。(フィリピ、フィレモン、コロサイ、エフェソ、テモテとテトスへの手紙)
その後のパウロの行動ははっきりわかっていません。ある人は東の方に短い旅をしたと言っていますが、スペインに行ったという説もあります。しかしはっきりした証拠がありません。
パウロが殉教したのは(斬首)、ネロ皇帝の死ぬ前でしたので、おそらく67年か68年頃だったと思われます。ローマの教会の伝承によりますと、現在建っている“城壁外のパウロ大聖堂”の近くだったと思われます。パウロは聖書も地中海の文化もよく知っていたので、聖書の人物の中で一番国際的な人物であると言えるでしょう。
彼の外面的な姿について何もわかりませんが、彼の情熱と精神力は素晴らしいものだったと思います。その後のキリスト教はパウロ抜きには考えられないものになったのです。