19.聖書 その2  歴史か 神話か

旧約聖書は、大きく分けたら次の三つのグループの本で成り立っています。歴史書、教訓の書、預言書です。

聖書は昔の本であり、異なる文化と感覚によって書かれたので、私たち現代人にとって分かりにくい、または誤解しやすい本だと思います。読んで正しく理解するには、予備知識が必要だと思います。今回、予備知識に関する二つの点についてだけ申し上げたいと思います。

一つは歴史感の違いです。

一つの例として、出エジプト記に出てくる数々のモーゼの不思議なしるしを読みますと、私たちは本当にその通りかどうか、疑問が湧いてきます。現代人の歴史観は正確に出来事を確かめて、互いの関連を示しながら伝えることでしょう。しかしユダヤ人の歴史観は宗教的な体験を子孫に伝えることでした。つまり、神の助けがなければ、エジプトから脱出し、長い間砂漠で生き、先祖の国に入ることができたのは神のおかげなので、その体験を子孫に伝えることが歴史であり、正確に様々な出来事を伝えることとは違うのです。

もう一つの違いは、ユダヤ人がほとんど来世に対する信仰がなかったことです。

人は良いことをすれば、この世で神から祝福を受け、悪い事ならこの世で罰を受けると考えていました。しかし現実は度々違うので、先祖か子孫の責任にしてしますことがよくあります。例えばソロモンは多神教に走ったにも関わらず、自分の国は栄えたし、ずっと平和を保つことができたのです。聖書には、それはダビデ(ソロモンの父)のおかげだったと紹介されています。そして罰として、ソロモンの死後その国は分裂してしまうのです。つまり歴史を自分たちの信念に合わせるのです。私たちにとっておかしな歴史と思うかもしれませんが、ユダヤ人にとってそれが真実だったのです。何故なら、神が人の生き方によって祝福と罰を受けるのは、動かせない真実だと思っていたからです。