11月「最後のただいま」

数年前、入院していたある九州出身の信者は、長い間教会をご無沙汰していました。ほかの信者から彼の入院を知らされたので、お見舞いに行きました。ところが私を見た途端、泣きそうになってしまいました。彼を励まそうとして「大丈夫よくなりますよ、祈ってあげますよ」と言うと彼は次のように答えました。「死を恐れているのではありません。死後のことを心配しているのです。」

昔、諸聖人の連祷の終わりに次の祈りがありました。“ab improvisa et subitanea morte libera nos Domine”つまり、急な死から救ってくださいという意味でした。なぜそのような祈りなのかと言いますと、神の前に現れる時ちゃんと心の準備(告解、聖体、病者の秘跡など)ができるように時間が欲しかったからです。現在たいてい死の話題に入ると皆さんは“ポックリ病”が一番よいと言います。・・・いつ神から呼ばれても大丈夫と思うからでしょうか。

長い伝統に従って、教会は11月の時、亡くなられた方のために祈りとミサを捧げるように勧めています。しかし人のために祈るのは大変良いことですが、ご自分の死後のこともちょっと反省した方がよいのではないかと思います。そうすればこの人生で何をなすべきか、何を避けるべきかがもっとはっきり見えるようになるのではないでしょうか。

年をとっていても若くてもいつ死ぬかわかりません。そしてご自分の人生の終点を知ることによって、歩むべき道がもっとわかるようになるのではないかと思います。キリスト信者にとって死ぬことによって父の家に戻るのであれば、私達はこの世を去る時は“旅立っていく”というよりも“ただいま”と言った方が正解ではないかと思います

マリオ・バラーロ神父