11月 こぼした涙

 スフィズムの伝統に次の逸話があります。(スフィズムというのは、イスラムの神秘主義の思潮)ある人は次のように言いました。我が先生が重い病気にかかっていたので、お見舞いに行きました。私を見かけた時、先生の眼から涙が出てきました。慰めようと思って「早く治るように祈って差し上げますから、きっと良くなるでしょう」と申しましたが、先生は、「私は死が怖いのだと思っているのですか、違います。私は死んでからどうなるのか恐れているのです」
 昔のエジプトの世界でも、この問題について考えていました。彼らにとって、人は死んだら、その魂を神々のはかりの皿に置き、反対側にあるもう一つの皿に置いた1本の羽の目方と比べ、羽よりも軽いなら、つまり罪がないなら、幸せの状態になれるという考え方がありました。
 この11月は教会の伝統に於いて、死者に捧げられているので、死後について考えるきっかけになるのではないかと思います。自分の生き方を調べることは、自分の人生をよくするチャンスになるでしょう。それによって神と出会うための準備の一つになるでしょう。
 アイスキュロスという昔の有名なギリシャ悲劇の詩人は、次のように書きました。「上に向かって私の限りない苦しみを叫ぶ。深い暗闇から誰かが応えてくれるのでしょうか。」
 この問いかけに56番目の詩編には、「あなたは(神のこと)私の嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの革袋に私の涙を蓄えてください」とあります。神は羊飼いのように、革袋に入れるはずの大事な水の代わりに、人間の涙を大事にして下さるのです。人間がこぼしたすべての涙は、神が大事にして真珠のように取っておき、最後の日に光と喜びに変えて下さるでしょう。
「今泣いている人々は、幸いである、あなた方は笑うようになる」ルカ6章21節