10月 キリストの顔

先月9月4日、ローマでマザー・テレサの列聖式がありました。また来年2月7日には高山右近の列福式が行われます。この二千年に入ってから、教会から福者又は聖人を宣言された方は百人以上に上っています。皆一人ひとり違うのですが、共通点は神と人に対する優れた愛があったことだと思います。私たちは神の姿を見たことはありませんが、それぞれの聖人を通して私たちにその姿を少しだけでも見せてくださいます。そして私たちも自分なりに神の姿を作り出す使命があるのではないかと思います。
ある物語によりますと、一人の修道士は自分の院長から一つの命令を受けました。それはあちこち歩き回って、キリストの顔を描くためにふさわしいモデルを探すようにという命令でした。修道士は出かけましたが、キリストの顔を描くためのモデルはいないのではないかと思っていました。
しかしキリストの顔はみつかりました。喜びにあふれる歌を歌うある女の子に、また力強さはある農家の人に、荘厳さはミサを捧げる司祭に、寂しさはある売春婦の目に、素朴さはある浮浪者に、やさしさは病人を世話する看護師に、苦しさは危篤の状態にある病人に、厳しさはある神秘家に、正義は賢明な裁判官に、愛情は子を抱いているお母さんに、恐怖は追いかけられている泥棒に、絶望は子供を失った親に、陽気さは道化師に、神秘は目が見えない人に。つまりイエスの顔を描くためにふさわしいモデルはいませんでしたが、どんな人の中にも神の小さな印があったのです。
私たちもあの修道士と同じように、毎日出会う人に神の面影を探す姿勢があれば、きっとこの世の中はもう少し明るくなるのではないでしょうか。