1.神(2012年11月、12月)

信仰宣言の初めに『天地の創造主、全能の父である神を信じます』と、唱えています。例えば、八百万の神とキリスト信者が信じる神は全然違います。
キリスト信者が信じる神が不可解な存在であっても、聖書によって少なくとも次の四つの特徴があるといえるでしょう。

つまり、神は唯一、全能、すべての造り主、私たちを愛して下さる方です。

この神の四つの特徴は、キリスト信者にとって否定できないものです。
もし聖書抜き、理性だけで神のことを理解しようと思えば、ある程度は理解できるのですが、やはり神の啓示がなければ難しいでしょう。

ところで、理性だけで聖書に書かれた神を理解できるでしょうか?。
パウロはこう書いています。『世界が造られた時から、目で見えない神の性質、つまり永遠の力と神性は被造物に表れており、それを通して神を知ることができます(ローマ 1-19~20)

つまりこの世には結果があれば原因が必要となっています。 それで例えば、宇宙があるから(=結果)、誰かがこれを造ったことがあるでしょう(=原因)。その他いろいろな例があります。 又、宇宙には秩序があるから(=結果)、この秩序を定めたものが(=原因)必要となるでしょう。 その他色々な例があります。

人間のことも考えたら、神が必要と思えるのではないでしょうか。人間は色々な物質的な要求があり、そしてそれを満たすために物があります。 例えば食欲があって、満足させるために食べ物と飲み物があります。性欲があってそれを満足させるために性があります。
しかし、精神的に一番肝心な欲求、つまり、完全に幸せになりずうっと生きることを求めているので、それが満足できるようなものがあるはずです。それを私たちは、神と呼んでいます。 その理由で偏見なしに考えたら神の存在を認められるでしょう。

神様は不可解な存在ですが、人間の次元と違っているので理解できないのは当然だと思います。 それにしても聖書から得られる神のイメージは、唯一、全能、想像主、愛して下さる神でした。おそらく私達にとってその四つの神の様子の中で、一番有難いものでありながら一番理解しにくいところは、神が私達を愛して下さるということではないでしょうか。

一方、神が完全なものとして愛であるのは当然だと思っても、実際この世において、物質的にも精神的にも人間の苦しみ、悲しみ、罪などがはっとするほど多くて、本当に神が私達の事を大事にして下さっているのかという疑問が湧いてくるかもしれません。 理論的に答えるのは難しいと思いますが、キリスト信者にとって神の愛を信じるのは、理論によってではなく、キリストの十字架によってなのです。

”神は、独り子をお与えになるほど、この世を愛された(ヨハネ 3-16)”

その言葉によって、苦しみと悪の謎はイエスの人生と死を通して、よくわからなくても信じられるのです。