6月「燃える愛」

先月初めて北海道に行きました。52年間日本に滞在しても、北海道に行く気持ちになったことは今までありませんでした。今回体の調子が良くなかったにも関わらず、どうしても行きたかったのです。
その理由は、小学生だった時からよく知っていた女の子が、トラピスチヌ修道院で盛式誓願を宣立することになったからです。彼女の召命は直接に私とはなんの関わりもありませんでしたが、6~7年前に彼女が修道院に入ってから文通をしはじめて、だんだん親しくなったので、この大事な時に私も参加したかったのです。
50人位のトラピストのシスター方の祈りと歌に参加しながら、ミサの中で35歳の若さで自分の人生を捧げようとしている彼女を見て、深く感動しました。そして前に読んだ1冊の本に書かれていた祈りを思い出しました。1926年にスイスで亡くなったライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)の言葉でした。彼は眼が見えなくなって、口もきけなくなり、体も動かなくなってしまいましたが、その直前まで書いていた祈りでした。

“神よ  私の目が見えなくされても あなたが見えます。
耳が聞こえなくされても あなたの足音が聞こえます。
足を折られても 引きずってあなたについていきます。
口がきけなくても あなたを呼び求めます。
両腕を砕かれても あなたを抱きます
私の心が破られても 私の思いは燃え上がるでしょう。
ベールが燃える切株に触れてたちまち炎になるように
私の動脈から生き生きした火が湧きあがるでしょう。”
彼女は至って健康で、リルケの状態とはずいぶん違っていましたが、同じような愛で燃えていたという気がしました。世間的なことしか求めていない大部分の現代の青年の心に、自分の人生における神に対する燃える愛が湧いて来るように祈らずにはいられません。