洗礼を受けるまでの道のり  K.S.さん

全ては神様のお導きとお恵みによるものと、改めて思います。私達母子が4月20日、ご復活の日に洗礼を授かり、カトリック信者になれました事、しみじみかみしめております。
この世に生まれ、結婚までの私の、結婚後、出産前、出産後、そして震災に会いその後の人生、・・・。
人各々人生には様々な出来事や困難な時がございます。私自身はあまり困難とはとらえておりませんでしたが、一般的に困難と言えます事が多々ありました。私は、教育熱心な母の下、カトリック信者ではありませんでしたが、いつも聖書がそばにある環境で育ちました。困難と思える出来事が起きた時は常に自身に”世界にはもっともっと大変な人々が沢山います。そして決して明けない夜はなく、人のせいにせず、だれも恨まず、逃げずに自ら選択し、微笑みをもって過ごしましょう”と“そして全ての事は神様が私を強めて下さる為にお与えになった事”と考えるようにしておりました。
震災後、娘と二人で鎌倉に居住いたしました。夫は復興の為、仙台に残りました。
娘にも辛い思いをさせた日もございましたが娘も成長し、入園、その間も近隣の教会へと足を運んでおりました。
そして片瀬教会に電話しました。“母子で洗礼を受けたいのですが・・・”とお話し致しました。運命の出会いです。
はじめて足を運んだ時“はじめてですか?”と親切に信徒の方に声を掛けて頂き、聖書講座にも参加するようになりました。そこで出会った方と心を開いて様々な私自身の事を聞いていただき、心が楽になってゆきました。
勉強会の中やごミサでの神父様がイエス様(神様)に向かう姿勢やお話を通して、イエス様に惹かれてゆき、愛する気持ちが強くなってきました。この気持に合わせるように毎日曜日ごミサに与る事、それはわたしにとってかけがえのない時間、何をおいても大切な時間になってきました。人間の世界ではないイエス様にすべてをおまかせし、信者の方にお会いできたくさんの愛を頂き、とても救われるからです。そして自分の過去の事を抱え込み、思い込もうとしていた事、消化不良だった事、その事柄が神様の力で少しずつ自然に消化されていくのを実感しています。それは教会に足を運ぶ度に、涙が溢れて止まらない事が多々あるからです。もともと涙もろいという事もありますが (笑)。
神父様の優しいまなざしに触れ、涙と共に様々な思いがあふれ流れ出てゆく気が致しました。
あるごミサの時、皆の歌声がそろわずバラバラだった時、神父様が“声をそろえて”とおっしゃいました。私には“心をひとつにして”と聞こえたように思いました。皆で声をそろえ、心をひとつにいて祈る事ができた時、何とも言いようのない一体感と充実感、どこかスーッとした感じを強く感じました。
聖書を勉強し、様々な本を読み、もちろん「からし種」も大ファンです。益々イエス様の生き方、教えに感銘を受け共感し、求めてから自身の迷いも恐れも無くなりました。心強い支え、確固たる人生の軸ができたように思いました。信念を持ち生きてゆきたいという思いが一致したように思います。
神様は人に様々な人生をお与えになりました。強く素敵に楽しく美しく生きる為、このお恵みに感謝しています。とても幸せな事です。
イエス様がいらして、教会があり、神父様がいらして、祈りがあり、信者の皆様そして家族があります。洗礼に授かり、初めてイエス様の御身体と御血を頂戴した時、自分の中にイエス様がおられる、大切に生きましょうと深く感動しました。
人間である以上、いつも優しく強く穏やかである事は難しく、自らのコントロールに反省の日々ですが、私たちを愛して下さる神様のお導きにお任せし、素直に私自身が愛ある人として、皆様が幸せになるよう努めてまいりたいと思います。
私が大切に思い実行している事、それは継続する事です。仕事はもちろん趣味、子供の教育、そして大切な信仰も“休まず、焦らず、あきらめず”素直にまっすぐ続ける事です。これからは神様の愛のもと、続けてゆきます
神様からお授かりした子供が、社会の役に立てる人として成長できるよう、そして神様にお返しできるよう環境を整え見守ってゆきたいと思います。
最後にこの場をおかりして、洗礼を受けるまでの間、現在も私達家族を支えて下さる神様、神父様、教会の信者の皆様の慈悲あふれる愛に心から感謝とお礼を申し上げたく思います。いつも本当にありがとうございます。