洗礼を受けて思うこと  W.H

4月20日ご復活祭の日にマリオ・バラーロ神父様のお導きで洗礼を授けられ、
皆様の仲間に入れて頂く事が出来て、夢を見ているような嬉しい気持ちです。
頭に聖水を注がれた時には、思わず涙がこぼれました。
1951年10月に戦前から熱烈なカトリック信者であったローズメリー八重子と結婚以来63年間、
陰に陽にカトリックの恵まれた家庭環境下に過し、頭では絶対者の存在を認め
乍らどうしてイエス・キリストに結びつくのか、それはお釈迦様であっても同じではないかとの
疑問は解けませんでした。旧制第三高等学校入学以来、理性知性を通じた人間探究の生き方故、
理性では理解し難い奇跡を信じる事が出来ず信仰には程遠く、又我家は臨済宗妙心寺派の仏教徒であり
乍ら私個人は無神論者の域を出る事が出来ず、昨年暮のクリスマスまでまいりました。

京都広隆寺の弥勒菩薩像を見てもそれは信仰対象としてではなく美しい芸術作品としてしか見えなかったのです。
唯その間にもメリノール派のファーザー・マキュロップ様やスイスの神学博士の方等の
お話を聞いたりしてカトリック的環境には恵まれていたり、又クリスマスと復活祭の年に
二度だけは妻に連れられて教会に行き神父様から祝福を受ける等、所謂牛にひかれて善光寺参りの有様でした。
そんな環境下神父様から祝福を受けると何故か気持ちが落ち着き素直な気分になれました。

それでマリオ神父様から貴方は腰が悪く教会に来るのが難しいでしょうから、
私がお宅に伺ってお話しをしましょうかとのお言葉を頂いた時には、何の躊躇もなく有難うございますと
返事をいたしました。可故か神父様の前では素直になれる。我ながら不思議です。
それから週一回神父様から聖書のお話を聞いている内に何の抵抗感もなく、ごく自然な形で処女懐胎や
キリスト復活の奇跡を信じる事が出来る様になりました。理屈抜きの超飛躍です。説明がつきません。
妻の長年に亘る祈りのお蔭でしょう。私か初めて体験しました新しい感覚・・・これが信仰というものでしょうか。

私は90歳にして漸く神の道に辿り着く事が出来た様な気がします。歳こそいと高き所にいますが信仰はしもべです。
入口に立ったばかりの新入生です。 日々が祈りであり勉強です。受洗後皆様からおめでとうと祝福された後、
でもよく決断されましたねとの言葉を頂きましたが、私には勇気ある決断などはいりませんでした。
自然な神のお導きでした。神に感謝の一言です。