洗礼への道のり K.K

私が、初めてキリスト教と出会ったのは、娘がカトリックの幼稚園に入園した時でした。娘が小学生になると、神父様などから聖書に関する事や教育に関するお話を聞く会に参加しました。無神論者の私がなぜ参加したのだろう? まったく興味のない聖書の話を聞けたのは何でだろう? 今でもさっぱりわかりません。

生きていれば辛いと思う事は多々ありますが、尊敬していた父が27年前に他界した時は本当に辛かった。それからの私は父に少しでも近づきたい一心で、

20年近くをworkaholicでした。 しかし、そんな生活から疲れ果て、毎晩のようにお酒を飲んで量も増えていき、若い頃に乗っていた大型バイク熱も復活! バイクはやんちゃな乗り方で、救急車のお世話になったのは一度ですが、「もうだめだ・・あの世行き~」と死んでもおかしくない場面は数知れず。このような生活を続けてよく生きていたものです。

その生活の報いからか、4年前に体調を崩して仕事が思うように進まなくなった時から、すべてがボロボロと崩れ去り「私は無能で価値がない人間、生きている必要がない、もうどうでもいい」と自暴自棄になっていきました。でも不思議なもので、ある時「このままでは本当に価値のないダメ人間で終わる、それは怖い、自分に正直に」という気持ちが湧いてきました。そして、誰かに導かれたかのように片瀬教会にたどりつきました。そこでマリオ神父様にお会いして、自分の気持ちを聞いていただくうちに、なぜか心が安らいでいき、いつのまにか聖書入門講座に参加しようという気持ちになっていました。

昨年から講座に参加したものの、しばらくは、神を信じることやイエズス様の復活を信じること、愛することについて、なかなか自分のこととして受け入れられず、神を信じたい気持ちと、わからない気持ちとの葛藤がありました。 しかし不思議なもので「自分の気持ちを縛っているのは、自分の心の縄で、その縄をといて素直に向き合う気持ちになろう」と感じるようになり、ようやく心の闇の世界から小さな光が見えてきました。これはマリオ神父様から学ばせていただいた「イ言じること」の大切さだと感謝しています。

洗礼を受けた今も、間違いや迷う事は多々ありますが、神様はすべての人に、どんな時でも寄り添い、導き続けてくださっていると信じています。これからもイエズス様への信仰を通して神様の愛のうちに生きる喜びを深めていきたいと思います。

最後に、私の人生は不思議なことが多すぎるかもしれません。