母として、娘として導かれ K.H

初めて片瀬教会を訪れた頃の私は、頭の中が空っぽで不安で、例えるなら大海に取り残されたオールのない小舟のような感じでした。

前の年の初夏に母を、秋に父を亡くし、医療従事者であるにも関わらず何もしてやれなかった後悔と、自分の不甲斐なさに心が折れてしまっていました。悲しみに負け、目の前にいる大事な子供のことも見失ってしまっていたと思います。テレビ等で、大阪に大雨が降っていると聞くと、『おかあさん、大丈夫?』と受話器に手が伸び、『あ、もう誰もいないんやった。』と泣き『だれか…わたしはどこにいけばいいの?私が代わりに死ねばよかったのに』そんな気持ちでした。でも、このままではいけないという気持ちが私の心に少しは残っていたのか、以前、尊敬する先生が『教会は救いと癒しをくださる。』と話されていたことを思い出しました。私と先生との出会いは、20年前、まだ私が大阪にいた頃の病院長先生で、新人の私は大変お世話になりました。『病気は時を選ばへん。人の都合なんか構わず、しんどい時ほど罹(かか)るもんや。お金は後でいい。まずは治そうな。』と笑顔で話す優しい医師でした。そんな先生を頼って、病院はとても人気があり、私は先生のおかげで時間外の救急も、どんな患者さんにでも対応することが出来るようになったと思います。

そして、昨年1月、私は地図を見ながら自宅から一番近い片瀬教会へ向かいました。お御堂に座ってひとしきり泣いた後、掲示してあった聖書講座のチラシを見て『学びたい』と思い、マリオ神父様にお取り次ぎをして頂きました。突然伺ったのにも関わらず、マリオ神父様は優しいお顔で話を聞いてくださいました。—マリオ神父様本当にありがとうございました—その日から、私の中でマリオ神父様は藤沢のお父様のような存在となりました。

そして、1年間聖書講座を受け、今年4月5日に洗礼を授かることとなりました。

1年前に比べ、私の心にも暖かい風が吹くようになり、たくさんの方々と出会えたことに感謝しています。そしてこれからも、どうか私が道を外れないよう、大事なものを見失うことがないようお導き下さい。いつも何事にもありがとうの気持ちを忘れないように。といつも心に唱え、今年2年目の聖書講座を迎えました。皆様ありがとうございます。神に感謝を。