3月 「主を見ました」

“主を見ました”とマグダラのマリアは、弟子達に伝えてきました。三日前に亡くなられたイエスの遺体は墓に納められましたが、彼女は空っぽの墓の前で泣いていたその時、イエスは彼女に現れたのです。その後マリアは走りながら弟子たちのところへ行って、その信じられない知らせを伝えました。当然彼らはすぐに信じませんでした。ペトロとヨハネは墓のところへ行きましたが、ただ空っぽの墓しか見ませんでした。

信仰は不思議なものです。同じ人から同じ話を聞いても、一人は信じ、もう一人は信じません。ときどき信仰は愛することに似ているような気がします。人を好きになることは、信じることと同じように、合理的な過程で生まれてくるものではなく、おそらく心にあるつかめない不思議な力から芽生えるのではないかと思ってしまいます。

宗教的な言い方で言えば、信仰は神の恵みだと言います。そうです、信仰は恵みです。しかし神は私たちの中にある不思議な隠されたものを使って、ある時それを感じさせるのかもしれません。例えばキリストの復活は、子どもの時から教えられた人と、大人になって初めてその話を聞く人とでは、大きな差があります。子どもの時から教えられた人は大人になった時、今まで教えられたことに疑問を持つかもしれませんが、それを簡単に乗り越えるのです。ところが、大人になって初めて復活の話を聞いた人は、大抵すぐに信じることができないでしょう。神の存在もキリストの復活も理屈でつかむものでなく、素直な気持ちでそれを求める心を育てることがとても大事だと思います。

皆さん、この四旬節の間、イエスの復活祭を相応しい心で迎えるために、自分たちの信仰を深めていくように、祈りと善行をもって聖霊の力を熱心に求めましょう。