キリストの愛に魅かれて F.U

 一昨年10月、最愛の妹が59歳の若さで急逝しました。私の家族は、結婚式も葬儀もすべて日本神道のしきたりで行っていましたから、当然のことながら妹の葬儀もその方式で厳かに行いました。妹の棺の前で、例によって玉串奉奠をして、かしわ手を打ちました。 神道には、死後の世界を教える詳細な教義がないことから、私はこの日が妹との永遠の別れとなってしまったことを嘆き悲しみました。
 そのような折、カトリック信者である夫と、自分たちの死後や葬儀のことについて話し合う機会がありました。夫は自分たち夫婦には永遠の別れなどはないと主張し、熱っぽく復活と永遠の生命の話をしました。私は、処女懐胎はもとよりキリストの復活などまったく荒唐無稽な話だと思っていたので強く反論しました。
 片瀬教会のミサに通い始めたころから、夫がとても明るく穏やかになったことを不思議に思っていましたから、この教会ではどんなことを教えているのだろうかと少しばかり興味を覚えたことがあります。夫の勧めでマリオ神父様の聖書講座へ出席するようになったのはこの頃のことです。私は読書好きでしたから、この機会に世界のベストセラーである聖書を読んでみようかという、まるでカルチャーセンターのキリスト教セミナーに出席するような軽い気分で講座に参加しました。
 こんな調子でしたから、まさか自分が、勉強を始めてわずか1年数か月後に洗礼を授かりカトリック信者になろうなどとは夢にも思っていませんでした。
マリオ神父様の日々のお話はとても楽しく私の予想をはるかに超えていました。マリオ神父様のお言葉を通して、聖書に書かれている真実と深いキリストの愛について学びました。それらのことは、勉強の日を重ねるごとに私の心の中に強い感動となって響いてきました。荒んだ現在の世相の中で最も足りないものは愛だと思っていましたから、その愛の在り方と真正面から向き合い実践する宗教など、キリスト教以外どこを探しても見当たらないことに気づき、このキリストの限りない愛に少しずつ魅かれていきました。
 マリオ神父様をはじめ、教会に集う多くの方々の素晴らしい生き方に触れ、その愛の形を見たとき、キリストの傑刑と復活も真の神の愛であり、私たち人間の救いの源泉であることを素直に信ずることができるようになったのです。
 私は小学生の頃、教会の日曜学校でイエス様のことを学んだことをふと思い出しました。何もかもすっかり忘れてしまっていたはずなのに、そのころロずさんでいたあの歌が私のロからほとばしり出てきました。
  「子供の友はどなた、どなた、子供を守るイエス様よ、ホザナと歌え、ホザナと歌え、子供を守るイエス様よ。」歌いながら子供の頃に感じたイエス様へのいとおしい想いが蘇ってきて胸が熱くなりました。
 自らを真っ直ぐにして、神の栄光の道を歩んでいくことがこれからの私にとってとても大事なことであると気づかされ、キリストとともに、夫とともに、教会の皆様方のご指導を仰ぎつつ、道を逸れることなく進んでいきたいと今強く心に願っています。